チャプターψ はじまり。

 父よ。あなたは強かった。

 地獄のサタも金次第かねしだいと申しますが、小笠原富蔵おがさわらとみぞうの祖父は戦後わずかばかりの財産を伊豆に残した。


 当時は、焼け野原となった都心の一等地に、戦後のどさくさにまぐれ、ただ同然で住みついた人達も多くいた。


 生前、富蔵とみぞうの祖父が大切にしていた写真には、闇ブローカを営む戦友が数多く写っていた。


 右手を戦争で失った者。目を爆撃でやられた老人。両足が不自由で歩けない兵隊さん。つえをついて歩く若者。パンパン。


 ハーモニカを吹いて、物乞いする兵隊さんも、道ばたにゴザを敷き、天からの恵みを受けた。


 どやがいで、すいとんを売り、だんご屋を始めた富蔵とみぞうの祖父は、平成23年。92歳で亡くなった。


 座右ざゆうめい不惜身命ふしゃくしんみょうで、死因は末期の膵臓すいぞうガンだった。


 戦闘機に乗り、空を縦横無尽じゅうおうむじん零戦ぜろせんを走らせた祖父は撃墜王として相手の飛行機から恐れられ。ブラックアローとしては最高位、420機。相手の軍用機を撃墜げきついした。


 まさに荒野を吹き抜けるような人生を足早に歩み、あざやかにおのれの人生の幕引きをした。


 終戦と同時に戦地から引き揚げ、新宿で露天商ろてんしょうを営み、1個10銭の、だんごを売り歩き、事業をおこした。


 米軍からの払下げ物資を闇でさばき、家族を養い、新宿をまるで庭のようにジープで駆け巡ったのも、今から約70年前のことだ。


 葛藤かっとうもあったことだろう。

 命のやりとりをした敵を許すのに、時間もかかったことだろう。


 おばあちゃんは、初めてのデートで、祖父にチョコレートをごちそうになったことを今でもうれしそうに語る。


 この豪快で向こうみずな祖父の血を引き継いだのがまご小笠原富蔵おがわさらとみぞうだった。


 戦争は多くの人の運命を変えた。

 貧困を生み出し、またその傍ら戦争成金にもチャンスを与えた。


 無敵の軍艦を何艘なんそうも製造した三井造船。

 戦車で軍需産業への仲間入りを果たした三菱キャタピラ。


 紫電改など、海軍航空機を製造した川西航空機(現、新明和工業)。

 三菱が設計した零戦ぜろせんの3分の2を生産した中島飛行機(現、富士重工)。


 軍需産業は戦争が起こるたび、人の命と引き替えに私腹しふくやしてきた。


 財閥と呼ばれる多くの優良企業が、人の血の色で塗り替えられた、黒い歴史を持っていることに、今の若者が気付くこともない。


 それは日本の軍需産業に限らず、韓国のサムスン電子にもあてはまる。

 青い空に一筋の煙をき出し、はる彼方かなた、遠くの、目に映らない仮想敵国と戦った航空隊の兵士達は、日本の70年後をどう予測したであろうか?


 彼らは戦争の真の目的を知ることもなく、若くしてこの世を去った。

 ただお国のため、家族のため、日本のために。犠牲にならざるをえなかった。


 10機、出撃しても、見事味方の陣地に戻れるのは、3機から4機。生と死は常に背中合わせで、今日を生きることが許されるのはわずか30%の人達に限られていた。


 消えては表れ、表れては消える戦隊をなす敵の軍用機ムスタングは、日本の零戦ぜろせんに比べ大型で、数倍も破壊力に富んでいた。


 やがて日本はB29の出現と同時に終戦を迎えた。

 どんな楽しい思い出や美談も、それは心で思うから輝きを増すのだ。


 24節気の第3、啓蟄けいちつの日。

 冬眠をしていた虫たちが一斉に地面から顔をだし、さかりのついた雄猫おすねこが、深夜、雌猫めすねこを求め徘徊はいかいした。


 夕べは、網走刑務所で、死刑囚がばしで両目を突き刺し、ニュースになった。


 もう何も、目に映るすべてのものを見たくなかったのだろう。

 身ごもっていた女性の首を絞め、お腹から胎児を取り出し、代わりに電話を埋め込む。


 人は過去に犯した罪の重さに耐えきれなくなって、どうにもこうにも逃げ切れなくなることがあるらしい。


 朝6時半を迎えた。

 目覚まし時計が、とち狂ったように、けたたましく鳴り響いた。


 重たいまぶたを指でこすり、音源を探した。目覚ましを追う。すかさず右手でボタンをロックオンした。


 緩慢かんまんな動作で起き上がると、布団ふとんを畳み、机の前の椅子いすに腰掛けた。ツイッターを呼んだ。


 飛び込んできたのは、ラーメン王、肝硬変で死す。

 衝撃的なニュースだった。


 人の噂も49日?

 嘘も100回、突き通せば、真実になるって、韓国人は思っているようだけど、いつか嘘で身動きとれなくなる時が必ず来る。


 虎は死んで革残かわのこし。人間死んで名を残す。じいやん死んで、まご残す。


 豚(ぶた)の耳に念仏?

 正しいようでどこか間違った言葉遊びに、富蔵は退屈さを隠しきれず大きなあくびを繰り返した。


 親を打ちでの小槌こづちみたいに言う、最近の若者をなげいた。

 話を本題に戻そう。


 千葉県松戸市役所に、『すぐやる課』というセクションがある。

 創設者は、あの薬。ドラッグストアで有名なマツモトキヨシだ。


 庭の草刈り、家の掃除など、個人的な問題、市民間のトラブルには一切、手を触れない『すぐやる課』から一歩踏み込み、海老名市役所は、反対になんでもやるセクション『なんでも課』を立ち上げた。


 『なんでも課』は、読んで字のごとし。

 なんでもする。


 つまりノーウェイ・パラオ。

 オールウェルカムだ。


 別名、町おこし再生課と呼ばれ。

 早出、残業。すべては自己判断でなされ、市は手当を支給しなかった。


 9時~5時。完全週休2日制を廃止し、本当に市をよくしようとする者、よくしたいと願う者だけで、オンブズマンを構成した。


 なので国歌斉唱こっかせいしょうの際、起立しない者。有給を消化することばかり、権利を主張するだけのやからは海老名市役所から排除された。


 お金目当てで、市をよくしようと思わない者。待遇だけで、この仕事を選ぶ者には、3年以内に職場を去ってもらった。


 誰だってラクして稼ぎたい。

 そりゃそうだ。


 その思いが一般市民にも伝わり、働かずしてナマポ(生活保護)を受給するという安易な発想へと結びつく。


 みな、ラクしてお金を儲けたい。

 根底にあるものは同じだ。


 『なんでも課』は、いわば便利屋みたいなもので、そのかわり手数料を対価として受領した。


 企業を定年退職したおかかえの弁護士もいるし、庭師。職人。不動産鑑定士。車のディーラー。看護婦。医者をリタイヤした者。ほんと、ありとあらゆる人。あらゆる職業の人達で構成されていた。


これは市役所が独立採算制を目指していること。

 税金の収入だけに頼らず、外貨を獲得するを目的としていた。


 市役所の職員は、半数以上が民間人で成り立っていた。

 市役所、市民プール。文化会館。運動公園。公民館。

 海老名では、すべてを独立採算制に向け、極力、税金を使わなくてすむように工夫されていた。


 シルバー人財センターは、役所の直結の部署となり、警察の相談、市役所の窓口での相談。文化会館の駐車場もすべて有料になった。


 使用する者が対価を払う。

 当たり前の理論に、改めて挑戦状を叩きつけたのが、海老名市であり、海老名市役所『なんでも課』だった。


 当然、法令を遵守じゅんしゅしない仕事はしない。

 また法が整備されていないなら法を制定するよう国会議員に呼びかけ、市役所自ら率先して旗をふった。


 個人間の紛争にも着手するし。不動産の売買。遺品整理。なんでもこなした。

 これが、海老名市役所『なんでも課』のルーツである。


 ガッチャン、ガッチャン。

 ここは中国、広東省。ある人肉工場。

 錠剤のカプセルが、1分間に70個、機械から箱詰めされる。


 ココはハム工場。何を隠そう、またの名を人肉工場。中国ファクトリーだ。日本のヤクザが殺した人間をハムにする日本工場。完全犯罪を目論もくろむ工場の、中国支店、つまり海外支店、1号店だ。


 堕胎した胎児を粉末のカプセルにする工場でもあり、完全犯罪を目論もくろ巣窟そうくつとなっていた。


 工場内では内側になまりを入れた金の延べ棒も生産されていて、イミテーションやブランド模造品の製造所にもなっていた。


 海老名市役所、なんでも課、課長、小笠原富蔵は、人権救済委員の要請で取材に駆り出され、ほどなくして中国に渡った。


いつもなら、スズメバチの駆除とか、道路で事故死したネコの死骸を駆除するのが日常だが、今日はとてつもなく変わったスクープのために海外まで来て、テレビ関係者の同席を受けた。


 日本に人肉工場があると伝え聞いて取材をすすめるうち、人肉ハムの工場から、堕胎した胎児。中国工場へと辿り着いた。


 ガッチャン、ガッチャン。

 機械は休まることを知らず、カプセルが大量生産されていく。


 多くは韓国、日本へ輸出されていて、高額で取引されるのだという。

 滋養強壮にとてもよく効くらしく、一部の金持ち達の間で口コミで、急速に広まっていった。


 体力を消耗する妊婦の間にも噂は広まり、食前に愛用されることも日常となった。

 その昔、江戸時代。墓地に埋葬した遺体から肝臓を取りだし、不治の病で寝こんだ両親に煎じて飲ませると言うことは知っていたが、もはや話はそこまで。いや、それ以上。常識を完全に逸脱いつだつしていた。


 熊の胃どころの話ではなかった。

 ゴキブリや、猿の脳みそ。イヌ。ネコを食し、餃子ぎょうざに段ボールの紙で水増ししたり、漢方薬の重さを増やすため、鉛で水増しするくらいの中国だから、何でもあり、何があっても不思議はなかった。


 「あの子、カワイイ子だね」

 が、いつしか、

 「あの子供、おいしそうだね」

 「おいしそうな耳ガーだ」

 いつか皮肉を込めた噂話として、都市伝説化された。


 日本の人肉工場、富士山麓にある工場が摘発されたのは、半年前だ。小笠原富蔵の匿名、ご意見箱に、これまた匿名の便せんが3枚入れられていたのが発端ほったんだった。


 手紙を書いた主は、ヤクザを3年前に破門されていて、今は日雇いのドカタで生計を立てていた。


 男は今年5月。

 ガンで息を引き取った。


 「今生こんじょうのわかれや。言い残したことがある。誰ぞの役に立って、最期を迎えたい」

 男は遺言を富蔵に託した。  


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