大人の恋バナ、メガトン級

第6話 こちら海老名市役所なんでも課

プロローグ

 完璧なものなど、この世に存在しない。

 永遠と呼べるものがないように。 


 夢や希望で自分を語れなくなる多くの大人達は、中年を迎え、現実と非現実の世界を陽炎かげろうのように揺れる。


 そこで初めて死と対座し、ある者は安易に死を迎え入れてしまい、またある者は死神しにがみからも見放され、辛うじて生きることを許される。


 何も感じない、ただ息をするだけの大人も多い。

 パチンコし、日夜にちや、酒におぼれ、女を買い。バクチに精を出す。


 かつての私がそうだったように。

 多くの鬼門鬼門は人々を魅了みりょうする。


 暗闇の中を鈍牛どんぎゅうのような朝日が昇った。

 薄く差し込む光の帯に乳白色した光の粒子がキラキラあやしく反応した。


 ひざを丸めて息を殺す。

 胎児のように、男はシーツの中でひざを丸めた。


 幾筋いくすじもの後ろキズが、小笠原富蔵おがさわらとみぞうを苦しめた。


 あの日、私は死ななかった。

 サバイバルナイフを抱いて眠り、支離滅裂しりめつれつに3日を過ごした。


 何も言わない夜だけが、ただ一人理解者のような気がしてならなかった。

 ためらい傷が深く悲しみをいざない、数少ない向こう傷にも影響を与えた。


 あの晩、私は死ななかった。

 もっと正確に言えば、死ねなかったのである。


 彼女を残し、家族を愛したまま、この世に別れを告げることができなかった。

 今生こんじょうの別れのうたがすぐそこまで出掛かったが、ついにむことはできなかった。


 そう。あのときの私は、何げない日常にさえひどくおびえていた。

 私はどこへ向かって歩んでいるのだろう。

 どこへ向かって歩むべきなのか。


 残念ながらその答えを導いてくれるアイ・オープナー《開眼者》にも、とうとう巡り会えなかった。


 人は多くを失いながら、失敗から何かを学ぼうとする。

 傷つき、立ち直れないほどの痛手を受けても、またあらたな一歩を踏み出すため、姿勢をただし前を向く。


 まるで七回、ころび、8回起き上がる、起き上がりこぼしのように。押し倒され起き上がり。終わりというものがなかった。


 賢者けんじゃは書物を読み、疑似体験の中から多くの失敗を学ぼうとするが、愚者ぐしゃは実体験でボロボロになりながら失敗を学ぶ。そして立ち直れないほどの痛手を負い、傷つき、やがて心のどこかにかさぶたとなって記憶する。


 それが遺伝子に刻まれ、遠い記憶の中に神経となって何代も受けがれる。

 臆病おくびょうな子供が産まれるのは、こうしたことが原因となっている。


 人は苦労すればするほど、人の痛みがわかる大人になるというけれど、それは嘘だと思う。性格がゆがみ、人を正面から見れなくなってしまう。人を信じられなくなってしまうから。


 仮に多くの人の痛みを知ることができても、それが強さに結びつかないことを賢者けんじゃは知っている。


 静寂な夜もあるし、ざわついて眠れない夜も、いつの時代も夜は必ず決まった時間に訪れる。


 人形を抱いて眠る少女や不眠ふみんの大人が思うことは、大抵決まっている。


 それは夜明けの来ない朝はない。

 ただそれだけのことを言いたいがために、人々は目を閉じ、まどろむ朝を迎える。


 夜のとばりがおりる頃、ようやく人々は悩みから解放される。

 一瞬。そう一瞬だけ、悩みから解放され、無垢むく明日あしたを手に入れる。


 4分7秒の歌に秘められた想い。

 それは今も忘れることができないたましいの叫びでもある。


 きっと大人になって、何十回。何百回と同じ歌を聴いても、あなたを嫌いになることはできないだろう。


 思い出される横顔。

 ふと笑った仕草。

 捨てられぬ写真。


 そして、あなただけが遠い人になってゆく。

 グッバイ。さよならだけが人生だ。

 太宰治の言葉を借りれば、人生は別れを意味するものらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る