第4話 老人とリリー

プロローグ。

 異質な世界にひとたび身を置くと、正常な世界がひどくつまらなく思えることがある。


 例えば三角が四角に見えたり、四角が楕円に見えたり。

 目に見えないものが不思議と見えたりすることがある。


 リリーは引き返せない、片道切符を握りしめていた。

 このままいったら私は殺されるかもしれない。


 老人が、心の声を打ち消すように意味もなく微笑み返した。

 「リリーよ。かせておくれ。この腕におまえを感じさせておくれ」

 リリーは鳥肌が立った腕を何度もこすりあわせ、老人の言うがまま振る舞った。


 お願い、私を殺さないで。

 心の声がリリーの頭の中をぐるぐる回る。

 今日も男のシミだらけの腕に抱かれ、リリーは意識が遠のくのを感じた。


 洋服を1枚。また1枚と脱ぎ捨て、そして男の前に素肌をさらす。

 「さあ、キャミソールを脱いでおくれ。もっと近くに来なさい。おお、なんという美しい乳房ちぶさだ。たとえるならかおつフルーツのような、割れたザクロのようなエロスがある」


 白く透き通った胸が見事に上を向きゆるやかな曲線を描く。

 アンダーバストに支えられた胸は、まだつぼみのような未熟さがある。


 まだ十分に成熟していない乳房ちぶさはピンク色をしていて、血管が薄く透き通っていた。


 老人は思わず右手をのばして素肌に指をわせた。

 「さあ、両腕をおげ」

 リリーは言いなりになって、両手を頭上でクロスさせた。


 脇の匂いをかぐ老人。

 そり残した脇毛が、青くなった皮膚にわずかだが浮き出ている。


 うぶ毛が逆立さかだつ。

 少し甘酸っぱい脇の匂いが、老人の欲情を駆り立てた。


 まだ19歳になったばかりの少女の裸体らたいは、まだ十分には完成されていなくて、それがまた老人の欲情を誘った。


 少女を育てているという感情が老人をとても満足させ、そのまま支配欲、独占欲へとつながった。


 女体からほんのりかおつフルーツのような匂い。フェロモンのわずかな芳香ほうこうが、老人の鼻腔びくうをくすぐった。


 そり残した脇毛を老人は白く変色したしたで、何度も溝に沿って丁寧になぞった。


 老人はご満悦まんえつで、その手で少女を再び抱きしめ、自分の顔の上に少女をまたがせた。


 世の中には決して出会ってはいけない人がいる。

 開けてはいけない禁忌きんきと呼ばれる、パンドラの箱。


 もし興味本位でこれらの箱を開けてしまうと、人はもう後戻りができなくなってしまうという。


 そのドロドロとした人間関係、しがらみを断ち切れず、負の連鎖に身を置くようになって早1年が過ぎた。


 場合によっては命を奪われる悲劇を生むことを少女は予測することができなかった。まさかという油断があった。


 少女はアマゾンの電子書籍で自著を数冊出版していた。

 彼女の夢は紙本の出版化。

 メジャーデビュー、文壇デビューすることだった。


 そこにつけ込んだ老人は、出版社を名乗り、紙本をリリースするのを条件に彼女に近づいた。


 ネットで彼女の本を確認した老人は、

 「あなたがこれから書く本、3冊。まずはこちらを買取かいとりましょう。契約金は200万。もちろん印税も別途、支払います。興味があれば、もう少し詳しくお話しますがいかがかな?」

 これから書き上げる本、まだ書いていない3冊の本に老人は値段をつけた。


 生涯独身を貫く老人は、三鷹の大地主の息子で、名前を佐村河内横溝といった。

 平家の落人おちうどの遠い子孫しそんで、生まれは石川県。7人衆の末裔まつえいにあたる。


 とにもかくにも若い少女は簡単に老人の手に落ちた。

 彼女の名前は青山リリー。


 19歳の文学少女で。色白で、聡明そうめいで、ショートカットが売りの今時いまどきの女の子だった。


 「あなたを文壇デビューさせましょう」

 佐村河内は言った。


 「あなたを有名人にする。約束します」

 出版社にコネのある佐村河内は、大手の出版社に2000万を支払い、彼女の本を書店に並べる手配を取った。


 本も3000冊、自分で買取り。

 大手の出版社にプロモートを依頼した。


 素人作家に対する境遇では異例の措置が出版社で取られ、青山リリーは文壇デビューを果たした。もちろんそれは手放しでは喜べない、用意周到なわなだった。


 誰だって自分を高めてくれる人に、好意をいだかずにはいられないだろう。

 大概の女は、いちころだった。男の毒牙どくがにかかるのは時間の問題だった。


 エイメン。

 女の未来は限りなく黒に近くなった。

 グレーゾーンの灰色から黒に、そして死と隣り合わせになった。


 命の灯火ともしびが消えかけたも同然だった。

 青山リリーが生きて生還できるのか、この時点ではまだ誰にも予測がつかなかった。

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