チャプター1 おいしいものに出逢うと、人は涙する。

 わたせせいぞうの『ハートカクテル』みたいな恋がしたくて、学校の白いブランコに揺られた。


 健とはあの日以来、もう会っていない。

 廊下ですれちがうときの、あのバケモノを見るような目つき。


 私は自分の顔のことも忘れ、健に昨日の出来事を話しかけようとする。

 でも、そう。あの日には戻れない。


 私は自らの不注意で、自分の人生を狂わせてしまった。

 何かが狂った歯車は、勢いを緩めることなく、周囲の大人達を巻き込み、やがて自爆した。


 ブランコは油が足りないのか、ギーコ、ギーコ、乾いた金属音がした。

 今日もヒマだ。

 何もない。


 ポツポツと雨が降ってきたが、濡れることに抵抗もない。

 ベイベー。ベイベー。スマホから、音楽が流れ、ボーカルが無機質にシャウトした。


 『まうまうって、変わった名前だね』

 香世が友達に言う。この友達は韓国が母国の、留学生だった。


 日本が好きだが、なぜか手放しでは日本を愛せなかった。祖国の事情もあるのだろう。彼氏は同級生で、テコンドーの達人。チョッパリだった。


 枯れ木も草のにぎわいで、友達は多い方がいいなんていうのは、嘘。ベビースターラーメンをポリポリかじった、まうまうが言う。


 彼女は日本に来て、日本人のイヤなところをこれでもかというほど見てきた。

 裏切りも、数えられぬほど、経験した。


 人の心は生もので、日々、移ろいやすい。

 昨日まで好きだったものが、ある日を境に嫌いになってしまう、そんなことも高校生には日常だった。


 『いざというときに役に立たない、手のひらを返す友達なら、最初からいない方が傷つかずに済むよね』

 コンプレックスを持った人間ほど人は攻撃的になるというけれど、たしかに今の香世は絶望感に浸りながらも、攻撃的だった。


 人を許さないし、人を寄せ付けない。

 鋼鉄のバリアを1枚、体の周りに羽織っていた。

 香世は小さな鏡を見て、深くため息をついた。


 あの日から実に6年。

 時間だけが無駄に過ぎた。


 ヒリヒリした感覚は鈍り、いつしかすべてを許すようになっていた。

 悲しいことだが、私はこの顔と一生付き合っていかなくてはいけない。


 この化け物のような、とけた顔。

 ケロイドでただれた茶色いこの顔を優しくなでてくれる人など、もはやいないだろう。


 彼女は人生を悲観した。

 未来を真っ向から否定した。


 人は自分の顔に自信を持ちなさい、ごく当たり前のことをいう。

 でも無理。私には荷が重すぎる。


 何度、死のうと思ったことか。死にきれず、それでも生きることを選んだのは、悲しみのどん底にいると思っている人に、生きる希望。少しの勇気を与えたいと思ったからだ。


 今ではそれを使命と思い、ただその思いだけで生きている。

 不幸のどん底の私を見て心に勇気を持ってもらえたらどんなに素敵なことか、ただその思いだけだった。


 それが彼女の本心で、真心だった。

 この思いに達するまでに、彼女は実に6年の時間を費やした。


 それまでは、ただいたずらに反抗的な態度を繰り返し、人様に迷惑ばかりかけて生きてきた。でももう過去の自分とはおさらばだ。


 今の私は昔の関根香世じゃない。

 ニュー関根香世だ。生まれ変わったのだ。


 どうして小説化に同意したかっていうと、それは私と同じように悩み、死を思う人に、ほんとのどん底は、もっと遠いところにあるって知ってほしいから。


 私の苦しみに比べたら、そんなの比じゃないよって、そっと耳打ちしたいから。

 私は元恋人にバケモノ扱いされた。家族は皆、私が死んでくれた方が良かった。はっきりと、そう言った。


 でも私は負けない。

 こんなにつらくてもがんばっている人がいるってことを多くのみんなに知ってほしいから。


 それまで頑張る。

 だから私は負けない。


 死のうと思ってる人に、1人でも思いとどまってほしいと思うし、なんだ私の悩みに比べたら、わずかなものだといってほしくて。


 それが私に残された使命だと思う。

 せめてもの世の中への恩返しだと思ってる。


 この先、運命の残酷に負けて、もし私が死を受け入れてしまったら。

 どうぞそのときは許してください。


 こんな私でもがんばれたってこと、みんなに少しでも知ってほしい。

 生きて地獄を選んでしまったけれど、来世はもういちど、絶世の美女に生まれ変わりたいなと、思う。


 みんなありがとう。

 幸せになるために、もう一度、恋愛するために、私は生まれ変わります。


 お母さんありがとう。

 お父さんありがとう。


 妹よ、私の分まで、強く、幸せになってください。

 姉は、これからも生きることにします。


 泣いてばかりいた過去の自分。

 さようなら。


 私は前を向いて頑張ります。

 みんなありがとう。

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