チャプター2 旅行代理店の朝は、一杯のモーニングコーヒーで始まる。
電車を乗り継ぎ渋谷に到着したアヤは、駅のフランチャイズ・ショップでホットドッグをほおばった。いつもモーニングコーヒーは欠かさず、砂糖の量にもこだわりがあった。
今日はミルクを入れず、ブラックで飲むことにした。
ホットドッグは、チリドッグで、マスタードを少量かけた。トマトソースにマスタード? って思う人も多いけれど、これはこれで結構イケテイル。
朝食を5分で済ませたアヤは、渋谷センター街を北西に歩いた。目指すは、勤め先の旅行代理店、ヒットツアーだ。
この会社に勤めて3年になるアヤは、ついこの前まで新入社員のような気分でいたが、今や立派な中堅社員としての地位を築いていた。
スタッフは、男性の責任者が一人いて、そのほかに女性が3人いる。その中の1人、横山モナとは同期入社で、とても仲が良い。 モナは、松竹芸能を目指そうか真剣に悩んだ
なので芸能方面に明るく、話題も豊富でおもしろい。なごみ系とでも言おうか、巨乳が売りで、口から先に生まれてきたような不思議な女性だ。
趣味はゴスロリ。メイド喫茶で学生時代に働いていた過去を持つ。
ジョークが好きで、この前は彼氏が帰ってくる時間を見計らって、背中にプラスティックの包丁を突き立て、ケチャップを大量にぶちまけて死んだふりをした。
しばらくおとなしくしていたものの、ジョークの虫が再び頭をもたげて、今度はジョークハンバーガーにジョークチーズを挟んだものを彼氏に食べさせて、またしても彼にあきれられた。
『あれってさあ~。ゴムじゃん。かんでもかんでも、
おかしいのは、あんたでしょ?
アヤは、そんなモナが大好きだった。
達也とも仲が良く、よく3人でお茶をする仲だ。お茶をするといっても、しゃべっているのは専ら、モナで、達也は相づちを打つ木こり人形のように、首を縦に振るだけだ。
この時点で、達也が、モナと結婚すると予測できた人は皆無だろう。なんでアヤの彼氏が友人のモナと、と思う人もいるだろうが、こればっかりは運命で誰にも予測がつかない。神様が導いたとしか言えない。ほんと運命とは不思議なものだ。
どこでどう関わりを持つかわからない。運命という赤い糸が今となりにいる男性につながっていて、それを意識せずに今日を迎えていることが、意外と世の中、多いのかもしれないね。
アヤは、更衣室で制服に着替え、ヒットツアーの窓口業務の準備をした。
パンフレットが少なくなっているのは、台湾、ハワイ、韓国の順で、グアム、シンガポール、プーケット島、バリ、モルジブも人気だった。パンフレットを補充したアヤは、モナにおはようの挨拶を済ませて、カウンターを整理する。
雑巾がけは、アヤの仕事だ。入り口の扉を濡らした雑巾でふき、仕事の準備に取りかかる。始業の10分前に席に座り、来場者の接客準備を整えた。
まず最初にやってきたのは、30代の若夫婦で、新婚旅行にグアムを考えているとのことだった。
終日レンタカー希望で、シーサイドビュー限定だった。奥様はエステを旦那様は、ゴルフを楽しみにしていて、やしがにを食べてみたいというのが、グアムを選んだ理由だった。
アヤは、一階にオープンバーのあるヒルトンホテルをすすめ、若夫婦もそれに従った。オープンバーでは、バンドの生演奏が楽しめる。
ドッグレース場のことで質問されたアヤは、昔、二郎とグアム旅行したときのことを昨日のことのように話して聞かせた。
ウサギのおもちゃが駆け抜けると、それを犬が追いかけてレースが成立すること。掛金は5ドルまでが妥当だと、若夫婦に伝えた。
所詮は犬畜生のカケッコ(犬好きな方、ごめんなさい)なので、当たる確率の方がまれなのだ。
オプションにバナナボート。ウィンドサーフィンを選択し、
グアムは1年を通じて心地良い貿易風が吹くので、ウィンドサーフィンにはとても適している。
せっかくなので、アヤが独断で選んだ、グアムの好きなスポット~好きなもの ベスト11を紹介します。
1.マーティース・バー
2.ツリーバー
3.グアムタワー
4.トニーローマのピッツア
5.ハツホ・インターナショナル
6.ツーリストナイトクラブ
7.横浜おかだや
8.ギブソンズ
9.PICのシャツ
10.バーニーズバー
11.ABCマート
これで既に2名様の予約が確定になった。
『こいつは朝から縁起がいいわい』
アヤは若夫婦の背中を敬礼で見送ると一人パソコンにデータを入力した。
アヤは全国の営業所でも、トップ10に入る成績を残していた。それが地のり(渋谷という場所の利)から来るものなのか、アヤの接客態度から来るものなのか、その両方なのか自分でもよくわからなかった。
ただ来るお客様はすべて旅行に行きたがっていて、ここを訪れると思って、毎日、誠意を持って接客をしていた。
伝票を上司の机の上のボックスに入れ、決済を待った。新婚旅行が雨期と重なるのが少し気になったが、それはそれでお客様も納得の上のことだろうと思うことにした。
次にやってきたのは、老夫婦で、前のお客様が帰ってから1時間くらい経ってからだった。
今度はモナが対応し、軟らかい話術で包み込んだ。
お客様は韓国を希望しているらしく、赤い毛の犬の肉を食べたいというのが、旅行の目的だった。
戦時中に食べた赤犬の肉の味が忘れられず、死ぬ前にもう一度だけ食べたいのだと言った。
食用の犬の肉なら、新宿の大久保に行けば食べられますと喉まででかかって、あわてて言葉を飲み込んだ。
白髪の老人は、安価なメガネを2つ購入するつもりらしく、言葉が通じなくても困らないよう、デザインを表した写真を手帳に挟んでいた。
韓国では、日本の観光客を当て込んでいて、日本語の教育を受けた店員が意外と多い。焼き肉を食い倒れるほど食したいという老人夫婦は、キムチ、チャンジャのおいしい店がないかモナに尋ねた。
安く買いたいなら問屋街。露店。たしかな物を買いたいならホテルをモナはすすめた。ちなみにバスで連れて行かれるお土産コーナーは、旅行会社に売上げのマージン、5%を払うため、値引きをしない場合が多い。カード決済も、お店がカード会社にマージンを払うので、値引きしづらい。
なのでやっぱり、いつもニコニコ
老夫婦は、スーパーコピーのブランドには興味がないらしく、税関で没収されることはないので心配ないですと言って笑顔を返した。
ホテルの両替所は、レートが高い旨を伝えると、老人は、
『親切にありがとう。成田で多めに換金しておきます』
そう言って、申込みをして帰って行った。
海外旅行で、添乗員になりたての頃、アヤには苦い経験があった。
レンタカーを借り、旅行の最終日に規定の場所、エアポートに車を乗り捨てたにもかかわらず、翌月の請求書で750ドル請求されたことがあった。
カード決済で、空白の請求書にサインしたためで、あとから車が1ヶ月ほど見つからなかったといわれても、あとの祭りだった。
アヤは海外旅行するお客様には、必ずこのエピソードを話すことにしていた。
カード決済の場合、くれぐれも空白の請求書にサインしちゃ駄目よって、ひとこと助言を添えることにしていた。
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