チャプター4 トンビー(菊池徹)の教員生活。

 『先生なんてものはだな、踏み台でいいんだ』

 不登校の生徒に、立ち直ってほしくて、トンビー、菊池先生は言った。


 菊池徹は、子供の頃、同級生からイジメられて育ったから、あまり地元が好きではなかった。というより、当時の自分を思い出すのがつらかったのかもしれない。


 私立、源氏学園は、とにかく不思議な学校だった。

 この学校には生徒と淫行している先生が2人いて、開かずの間、美術室が、淫行の場に使われた。


 授業の合間に昼寝するスペースとしても、この部屋は重宝された。

 教員というのは、公務員と同じで手厚く保護されている。企業に働く社員と違って、ちょっとやそっとの不祥事では解雇されないよう保護されているから始末が悪い。


 権利というのは、義務の反対言葉である。つまり義務を履行しない者は、権利を主張できないはずなのだが、こと教師や公務員というのは、守られていることをいいことに、まず権利ありきで物を申す。


 入学式、国歌斉唱で先生が起立しなくて、果たして生徒が起立して国歌斉唱するだろうか?


 国歌を歌おうが歌うまいが個人の自由だと先生が主張して、果たして子供達が式典で国歌を歌うだろうか?


 服装、髪型が個人の思想の自由だといって、果たして学内で風紀は守れるのだろうか?


 なかには背中に入れ墨を入れている体育教師もいるから、教師のモラルが問われた。


 携帯でスカート内部を盗撮して逮捕された先生だって、個人情報保護を理由に、3日の謹慎で職場復帰した。


 野球部の顧問をしていたトンビーは、野球部のマネージャー。菊池美香の高校進学と同時に交際を始め、やがて肉体関係を結び妊娠させた。


 徹は少女に、まず精液を飲ませることを教えた。美香は、かつての教え子として、悩みを相談するうち、母校の中学教師、高木徹の餌食えじきとなった。


 美香が高校3年生になったとき、徹に3歳下の教員の彼女ができ、別れ話が持ち上がった。


 その夜、美香は、

『結婚する気がないのなら、警察に行って、すべてを話す』

 徹に直言し、この一言がもとで、徹の人生は急転直下、一変する。

 やもめ暮らしに終止符が打たれたのである。


 一人娘の美香の家と養子縁組することになった徹は、表向きは幼少の頃のイジメで、高木の姓を捨てたい。そう両親に伝えたが、実際のところは、美香に半分は脅されたのである。


 トンビーばあさんは、徹が婿養子に行ったのは、隣に住む純が原因だと思っていた。イジメが原因になっている、そうずっと思い込んでいた。

 しかし事実は異なっていた。


 徹は風俗通いをやめ、学校の行事に積極的に参加するようになった。

 『教育で一番難しいことは何?』

 ある日、美香が尋ねた。


 『それはずばり生徒をやる気にさせることかな?』

 徹は生徒をやる気にさせるのがうまかった。


 『よく子供を叱りつけて、萎縮させて、それで威厳を保つ先生がいるけど、本物の教育はそうじゃない。子供を褒めて、おだてて、そして気分良く勉強や運動にやる気になってもらうのが一番なんだ』


 一度、子供をやる気にさせてしまえば、子供は先生がいようがいまいが、一人で教科書を開く。自分で本を読み、自ら学習しようとする。それは部活動にもあてはまる。


 徹は相手の心理を読むのがとにかく上手だった。どうすれば生徒がやる気になるか、手に取るようにわかっていた。


 『何が難しいって、それは生徒をやる気にさせることさ。それが一番、難しいんだ。それと情熱かな。子供に裏切られても、そっぽを向かれても信じ続ける心。見返りを求めない愛』


 徹は誰にも負けない情熱を持っていた。

 『数学っていうのはね。タカラ箱なんだ。1つしかない鍵を使って、七色に光るタカラ箱を開ける。公式という鍵を忘れると、どんなに優秀な学者でも、タカラ箱は開けられない。数学が苦手な人は、この公式(鍵)を自宅に置き忘れて、問題が解けない解けないって、試験で嘆くことが多い』

 子供達は興味深く、トンビーの話に聞き入った。


 『部活でグラウンドを15周するだろ? 毎日70%の力で走る人と、100%の力を出し切る人。30%の力で、力を出し惜しみする人。1年、200日の練習で、どれくらい差が開くと思う?』

 部活の指導で熱く語りかける。


 『それが1年。2年。3年経つと、どうなると思う?  持久走も短距離も勉強も同じだ。いいか、1年後に気付くなら、今、始めろ。2年後、後悔するくらいなら、今から少しずつアクションを起こすんだ。人間、始まりに遅いも早いもない。気付いたときが勝負だ。そこで始められる人が、最後に勝利する。人間、始まりに遅いなんてことないんだぞ』

 器の大きい人になれ、トンビーは言った。


 『木を見て、森を見れる人。森を見て木しか見えない人、枝葉ばかりが気になる大人にはなるなよ』

 生徒をいましめた。


 数学の授業はみたび脱線し、生徒はそのたびに喜んだ。

 徹は、数学の授業を通して人生も、少しだけ教えることができたなら、そう考えていた。


 『例えば女子アイス・フィギュアの浅田真央ちゃん。練習で10回中、10回。4回転ジャンプを飛べなかったとする。練習で飛べないのに、オリンピックの本番で4回転を成功すると思うか?』

 生徒がみな考える。


 『火事場のクソ力で飛べるかも』

 バスケ男子のキャプテン。一郎が言う。


 『そう、本番の方が、練習以上に力を出せる者も中には、いる。でもそれは、ほんとまれなことだ。普通に考えて、練習でできないことを本番で試すというのは、無理があると思わないか? 練習で100%成功したって、本番では緊張して、失敗することだってあるんだ』 

子供達は多くを学びたくて、先生の言葉に聞き入る。自分を高めてくれる人を嫌う生徒はいない。


 『だから練習、日々の勉強が大事なんだ。いいか、まずは1番を目指せ。勉強でも運動でもなんでもいい。まずは1番を目指せ。美術でも音楽の世界でも運動でも、なんでもいい。トップを目指せ。特技がない人は、将来ラーメン屋で日本一になったっていいんだぞ。寿司屋で日本1になったっていい。小説家で飯を食ったっていいんだ。でもな、どうしても自分には無理って人は、そのときはオンリーワンを目指しなさい。自分だけにしかないものを大切にしなさい』

 それは子供の頃、劣等感にさいなまれた、自分に向けた言葉でもあった。


 校内学力試験が終わる頃。神奈川の姉妹校、隣町の私立中学校で、イジメによる転入生の自殺があった。


 マスコミが大々的に取り上げ、テレビでもたびたび放送された。

 以前からこの学校では、よそ者や弱者を排除しようという雰囲気が散見され、それは新米の非常勤講師、滝口先生にも向けられた。


 滝口先生は非常勤講師をしていて、2校かけもちで、国語を教えていた。

 国語の授業は、1授業中、メインの先生と、サブの先生。2名で構成され、教室の前と後ろに教員を配置した。


 いわゆるティー&ティーといわれる授業形式で、細やかな授業が期待された。

 滝口先生はサブで、メインは担任を受け持つ森信先生に任された。


 『あの新米の先生いや。森信先生教えて』

 小さな差別、いじめが、先生に向けられるような学校は、殊更、生徒にはもっと厳しい目が向けられる。


 クラスの生徒すべてが、新米の非常勤講師。滝口先生を無視して、授業を進めるようになった。授業担当のメイン、森信先生はそれを黙認し、ある意味、一緒に楽しんでいるように見えた。それを自分の人気と勘違いした。


 『わからないとこある?』

 『別にないです』


 そう言ったそばから、森信先生に質問する生徒があとを断たず、クラスの生徒に無視された滝口先生は、些細ささいなことだが、いじめにつながらなけらばいいのだがと胸を痛めた。


 生徒の関心を自分に集めたい森信先生は、あえて生徒に注意しなかった。

 嫌われる人間が悪い、そう思っていた。


 しかしそれは意外な形で結果となって表れた。

 生徒の自殺という形で、跳ね返ってきたのである。


 クラスの中では同じように弱者を排除する心が芽生え、陰湿ないじめが実行された。度重なるイジメの結果が、自殺となって表れた。


 教育委員会、校長先生は火消しにやっきになり、

『自殺といじめの因果関係は認められない』

 終始、言い訳に明け暮れた。

 自分の立場を弁護するための、詭弁きべんを使った。


 けれど民放のテレビ局が事件を大々的に取り上げたので、ことはうやむやでは済まなくなった。


 なかには、

 『いじめられる方が悪い。いじめるがわにも、人権がある』

 そう言い切る、ベテラン教師もいた。


 自殺した生徒は便所で何回もリンチにあい、金をまきあげられ、万引きを強要させられた。 


 あるときは、水槽に飼育していた、おたまじゃくしを口に入れられ、無理矢理、飲み込まされた。


 担任の原田先生に相談した自殺した生徒、ワタルは、この問題を教師が解決する望みがないことを知り、完全に希望を失った。


 『悩みなんか誰にだってあるさ。それをつらいと思うか、試練と受け止めるか、それで今後の人生が大きく変わってくる』


 教師の言葉は、ワタルの胸には響かなかった。教師はさも正しいことを言っているような顔をして、所詮は他人事たにんごとをずらずらと並べているにすぎなかった。


 いじめっ子が同席する場所で、

 『大丈夫か?』

 そう問いかける原田先生の神経も知れなかった。


 『オレは今、死と向かい合っている。自分で解決しない限り、永遠にイジメから抜け出せないなんて』


 ワタルは、教師の存在が無力なことを思い知った。

 絶望から逃れるすべがないことを悟った。


 学校を休めば、いじめっ子が親友のフリをして迎えに来る。

 親は、学校へ行きなさい。

 ずる休みするな、そう繰り返すばかりだ。


 壮絶なイジメの現場を目撃した生徒が、これまた大貫先生に相談したときも、教師がイジメの場面に遭遇したときも、どちらも簡単な注意で終わってしまった。そして倍の仕返しをされた。


 ワタルは死を思った。

 苦しいだろうとは思ったが、つらい今を思えば、死なんて一瞬で済んでしまう。そう思えて、マンションの屋上から飛び降りた。


 誰がワタルを救うことができたのか?

 菊池先生、トンビーは、後日、道徳の授業で、この自殺問題を取り上げた。


 なぜ救えなかったのか、誰が救うべきだったのか、子供達に意見を書かせた。

 道徳の授業で、それらの一部を読み上げることにした。


 いじめはどこにでもある。自分のことは自分で守らなければいけないと思う。

 教師は見て見ぬふりをする。


 トンビーは、みなのアンケートをかいつまんで読んだ後に、付け加えるように自分の意見を述べた。 


 生徒を守れない教師なんて、教育の現場に必要なのだろうか?

 弱い者の味方。ヒーローなんて、過去の、お飾りなんだろうか? 

 もし学校生活が少しでも楽しかったなら。もしくはつらさより、少しでも生き甲斐がまさっていたなら。ワタルは死を選ばなかったのではないか?。


 両親はワタルの死で、慰謝料を7000万、市と教育委員会、加害者に請求した。

 第2、第3のワタルが、どこかの中学、高校に現れないことを願った。

 

 ロンサム・ワタル。

 一人ぼっちのワタル。

 彼の死は無駄ではなかったと言える日が、いつか訪れるのを誰もが願った。

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