10

「ジャッキーがホウの店を辞めたよ。」

イワンが持ってきたその報告を耳にしたとき、ルイはぎくりとして思わず身体を固くした。

「それで、ロンのところに?」

時間をかけて緩やかに硬直を解いた彼女が半ば溜息のように問うと、黙って彼女の言葉を待っていたイワンは小さく頷き、同じようにため息交じりの言葉を吐いた。

「彼女、だめだよ。幽霊みたいになっちゃった。」

「幽霊?」

「ぐったりして、いつもぼーっとしてる。いるかいないか分かんない。」

「……まさか。」

「ほんとだよ。全然別のひとみたいだ。」

ルイはイワンから目をそらし、長い髪を苛々とかきあげる。割れた爪に引っかかってぷちぷちと何本か髪が千切れた。

「ホウは、止めなかったの?」

イワンは薄い唇を微かに苦笑の形に歪め、ため息をさらに深くする。

「ジャッキー本人が辞めたいって言ったら引き留めようもないでしょ。」

幽霊みたいになったジャッキー。ルイには到底その姿は思い浮かべられない。真っ赤なドレスがよく似合う彼女は、いつだって快活な表情ですばしっこい子猫みたいに男たちの間をすり抜けては、楽しげに客を引いていた。私にはこれが天職ね、などと笑いながら。

暫くの沈黙の後、弾かれたようにベッドから立ち上がったルイは、千切れた髪を爪にまとわりつかせたまま階段を駆け下りた。

「レイジ!」

いつものように壊れかけのソファセットで文庫本を開いていたレイジは、鬼気迫る妹の怒声に渋々顔を上げる。

「あんた、知ってたでしょ。ジャッキーのこと。」

まあな、とつまらなそうに短く肯定するレイジに、ルイは怒りで肩を震わせながら怒声を浴びせる。

「なんで止めないの。ジャッキーが店代えをあんたに相談しないはずないじゃない!!」

妹の怒りに馴れているレイジは、気だるげに頬を歪めてこれまた短い返事だけを辛うじて口にする。

「されてない。」

「嘘よ!」

「されてない。」

レイジは文庫本に目を落とし直し、それ以上妹と会話をする意志はないと言外に主張する。

それが許せない妹は、兄の手から文庫本を奪って壁に投げつけた。

「相談しないわけないでしょ!! ジャッキーはレイジのとこで働きたがってるのよ!」

投げつけられた文庫本とともに、崩落した白い壁がぱらぱらと床板に降りかかる。

それを目で追いながら、どうでもよさそうにレイジは答える。

「どっちにしろあいつを雇う気はない。」

「どうして!?」

「お前とジャッキーじゃ売り方が違いすぎる。同時にマネジメントは無理だ。」

「どうしてよ!」

「お前は値打ちをこいて高く売る女だ。ジャッキーは薄利多売の女だ。ジャッキーのマネジメントを俺が引き受けると、お前の値打ちも下がる。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る