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「……なんですって?」
レイジは本から目を上げないまま、常と変らぬ淡々とした調子で言葉を紡ぐ。
「犬。でかい、茶色い、顔がたるんだ犬。」
短い沈黙の後、ジャッキーは真っ赤な口紅をくっきりと引き直す。その赤いラインは微かに震え、歪んでいた。
更に短い沈黙。コンパクトのミラーで付け睫の具合を確認した後、ジャッキーはそう大きくはないが黒々と潤んだ両目で、思いつめたようにレイジを見つめる。
「それでも、もし店を持つなら……。」
「持たないし女も使わない。」
「……そう。」
口紅とコンパクトをスパンコールでぎらつくハンドバッグにしまったジャッキーは、ゆっくりと席を立つ。赤いハイヒールの尖った踵をゆるんで隙間だらけの床板に挟まないよう慎重に、彼女はビルを出た。
レイジはその背を見送ることもなく、開いたページに目を落としている。
その直後、部屋の奥の階段から客の男が降りてきた。中肉中背のまだ若い男。職業は警察官だというが、レイジの認識ではこのあたりの警察署でまともに機能しているものは一つもない。
無表情のまま男をビルの前の通りまで見送ったレイジは、すぐさま踵を返して妹のいる二階へ続く階段を上る。
「ルイ。」
「なに?」
うつくしい妹は、裸のままベッドのシーツをはがしている最中だった。すらりと伸びた手足は病的なほどに白く、腰まで届く長い髪も色素が薄い。そのせいか彼女の存在はどことなく儚げだった。
「今の客は?」
「問題なし。」
「そうか。」
「次は?」
「肉屋だ。」
「そう。」
肉屋と云っても精肉業者ではない。人殺しを生業にしていると噂のスキンヘッドのやくざ者を、この兄妹がそう呼んでいるだけだ。
ルイの華奢な腕が馴れた動作でシーツを丸め、兄の手に押し付ける。兄はそれを受け取ると一旦廊下に出て、商売部屋の向かいにあるシャワールームに置かれたぼろぼろの洗濯機の中に押し込む。
レイジが部屋に戻ると、ルイはマットレスがむき出しになったベッドに膝を抱え、爪にやすりをかけていた。ルイの爪は薄くてやわらかく、客の背中に傷をつけることなく己が欠けてしまう。
「支度が出来たら電話をするから言え。」
「もうしていいわ。シャワーは浴びてるし、あの人は裸で化粧もしてない私を抱くのが好きだから。」
レイジは軽く頷くと、右手のクローゼットを開けて山積みになっている新しいシーツを取り、妹と二人がかりでキングサイズのベッドを整える。
崩壊しかけのお化け屋敷みたいな一階とは異なり、二階の室内はベッドをはじめ家具の全てがお伽噺のお姫様の寝室のように品よく可憐に整えられていた。
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