第5話 時間はすべてを解決するのか

5年後 17歳




 12歳だった僕はあのあと家庭裁判所の判決で児童養護施設に入ることになり、その施設で暮らすことになった。




 僕が菜豆さんを殺した日、僕はおかしくなってしまっていた。


 そう理解できているし、今でもあのときの自分はおかしかったと思う。


 それでも、あの日やったことに後悔も菜豆さんに謝りたいという気持ちもない。




 それじゃあ反省をしていないのかと聞かれるとそうではない。


 僕は心の底から反省をしているし、菜豆さんのご両親に悪いことをしたとも思っている。




 だが、あのとき菜豆さんが素直に謝ってくれていれば僕は菜豆さんを殺すこともなく、本を破ったことをあとから咎めることもせず、壁に強く打ち付けたことを心から謝るつもりだった。




 だが菜豆さんは僕が暴力をふるってしまったことを怖がっていたのか、何も悪いことをしたと思っていなかったのか、今では聞くことはできないが、僕の謝れと言う言葉を無視した。


 あのときの僕も今の僕もこれを到底許せる気はしない。




 だが菜豆さんのみが悪いと言っているわけではない。


 いじめが起きているとき菜豆さんの周りにいた人達も僕からすれば悪だ。


 それだけじゃない、あのときいじめに気づいていたのに何も行動を起こさなかった人も。


 僕に辛かったねと優しい一言をかけてくれることもなく菜豆さんの肩を持った先生も。


 あのとき僕の話を一切聞かず菜豆さんに謝りなさいと言ってきた母親も。




 僕の中ではすべて悪だ、一生許すことはない。




 というわけでもない、別に今でも怒こっているということもなく、両親とは今でも月に一度ほどあっているし、施設に入りたての頃も電話でのやり取りもしていた。




 だが今からすぐに昔のような関係に戻れるかと言われると無理だ。


 あの頃と比べると僕は両親、特に母親との間に大きな壁を作ってしまうだろう。




 僕はあの日から誰に対しても壁を作るようにし、何か問題が起こらないように最大限気をつけている。


 そして我慢の限界になりあの日のように爆発しないように、何かあれば我慢せず逃げるようにしている。




 そうしなければ、また殺してしまうのではないかと怖くなってしまうのだ。




 あくまでも僕の話だが、いじめる側もいじめられる側も、どちらも損しかしていない気がする。




 僕は一生また人を殺してしまうのではないか、また嫌がらせをされてしまうのではないかと怯えながら過ごさなければならない。


 そして菜豆さんはとても痛い思いをし、恐怖の中で死んでしまった。




 何かもっと別の菜豆さんは死なず僕はこんな恐怖に苛まれ続けなくていい終わり方があったのではないか、と考えてしまう。


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新しくアニメやドラマ、映画などで見た現実ではありえないこと、またはこれはどうなんだろうということを現実世界ベースで書いてみる。(なるべく現実に寄せる)


と言うのをしてみたいのです。


どなたかこういう場面が良いとか、書いてほしいとかございましたら教えていただきたいです。

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