小さな花の国

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小さな花の国

「教室前に置く花を選んでくれって頼まれた?」


 梅雨が明け、道路を照らす陽に夏の熱が宿り始めた七月の初旬。

 放課後の図書室で本を読んでいた俺に、高校二年生で同級生の水樹(みずき)が答えた。


「うん。文化祭に合わせて準備してたけど、時間が足りなくなったからって、演劇部の人が」


 水樹は図書室の窓際に置かれたシャクナゲの土の様子を確認しながら、軍手を付けて頷く。

 シャクナゲは枝の先で七つに分かれた淡紅色の花を咲かせており、目に鮮やかだ。

 人里離れた深い山に咲く、「高嶺の花」の典型で花言葉は、「荘厳」「威厳」とは彼女の談。


「俺らも文化祭の準備はあるし、そもそも違う部活じゃないか」


 若干の不満を滲ませた俺の口調を受け、水樹は土の付いた軍手のまま頬を掻く。

 肩口まで伸びた髪先が揺れ、水樹は、「ふう」と息を吐いた。


「でも、文芸部の準備は終わってるじゃん。……薄い冊子で、お茶を濁そうって言ったのは、創(はじめ)だよ?」

「うっ。ま、まあ。予定は前倒しで終わらせた方がいいから……」

「で、空いた時間で好きな本を読んでいる……と。なら、悪い虫に群がられても仕方ないんじゃ?」

「……俺にも手伝えと?」


 俺の苦い調子に水樹は小さく笑い、涼し気な口調で答えた。


「イエス、サー」


 俺はシャクナゲと並び、図書室の窓際に置いてあるプランターへ視線を投げる。

 桃色、白、黄色の花を咲かせている立葵(たちあおい)。

 少し趣向を変え、南アメリカ原産の鮮烈な赤紫のブーゲンビレア。

 前者の花言葉は、「豊かな実り」「野望」、後者は、「情熱」……だったか。

 水樹は本を読む傍ら、疲れたら草花の世話をするクセがあり、それを見込まれたということなのだろう。

 そういう彼女のこだわりは俺も知っていたので、やりたいというのなら止める理由はない。

 俺は手に持っていた文庫本を閉じ、苦笑して答える。


「分かった、手伝うよ。何をすればいい?」


 水樹は嬉しそうに目を細め、軍手を脱ぎながら言った。


「じゃあ、付き合って、園芸店。やるならちゃんとしたのを、揃えたい」

「なるほど、荷物持ちか」

「うん。人手がないと辛いんだ」

「はいはい。花のチョイスは任せるから、俺がやるのは力仕事だけな?」

「ありがと。充分だよ」


 俺の大した事ない返答に水樹は目を伏せ、静かに微笑む。

 その背後では先に挙げた花々が、窓から吹き込んで来た風を受け、密やかに揺れていた。

 水樹の表情に不満の色はない。

 彼女と知り合ったのは高校入学後の文芸部で、何があっても、ずっとこんな調子だ。

 それだけに、俺は釈然としないものを感じていたのだが、グッと堪えて口にせず、ただその光景を眺めていた。







「あ、創。苗を植えるなら、土の周りに窪みを作って。その方が水をよく吸うから」


 数日後、園芸店でプランター、培養土、支柱、肥料などを買い揃えた俺達は、演劇部が活動する教室の前で並んで座っていた。

 水樹が言うには室内で鑑賞する植物と、他者を迎え入れるための植物は、分類が違うらしく、現場での作業という流れになっていたのだ。


「オッケー。この支柱は?」

「茎が折れないように誘導するから、テープでお客さん側へ花が向くよう、固定して欲しい」


 俺は、「なるほど」と頷き、グラジオラスの花を咲かせた苗の傍に支柱を差す。

 南アフリカ原産で葉の形がローマの剣闘士の剣に似ていることから、その名が付いた多年草だ。

 紅、桃色、黄色、白の華麗な花を付け、花言葉は「忍び逢い」または「忘却」。

 花言葉はともかく、演劇部の演目が、「中世騎士物語」だから、見た目が勇猛なそれに合わせたのだろう。


「こういうチョイスができるから頼られるんだろうけど……」


 俺は手を動かしつつ、教室内から聞こえて来る演劇部の歓声を聞きながら、水樹に悟られないよう小さくため息を吐いた。

 やがて、教室前が様々な花で彩られた頃、水樹は満足げな様子で頷く。


「うん、充分……かな。後は演劇部の部長さんに確認してもらえば」

「分かった。問題はありそうか?」

「ううん、大丈夫だと思う。創は先に図書室へ戻ってていいよ」

「……んー、じゃあ、食堂で軽く食べるものと飲みもの買っておく」


 俺の返答に水樹は頷き、教室の中へ入って行く。

 その背中を見ながら俺は、


「やっぱ、一度、言っておくか」


 と少し刺のある口調で呟いた。







 そして少し時間は流れ、夕暮れ時の図書室にて。

 俺の用意したフルーツサンドとミルクティーを堪能した水樹は、椅子に座り、何やら忙しく手を動かしていた。

 小さな白い花の付いた細い蔓をいくつか絡め、束ねたソレは円を描き、何かしらの完成形へ向かっていることが伺える。

 あれは……シロツメクサだろうか?

 また、あんなにたくさんどこから摘んで来たのか……と俺は半ば呆れながら、缶コーヒーを口へ運ぶ。

 グラウンドからは野球部の金属バットの音が響き、文化祭前ということもあって、校内に響く声も賑やかだ。

 その中にあって、花の冠を編む水樹の周辺の空気は、奇妙なほどに静かだった。

 さっきまで、他の部のしわ寄せ作業のようなことをやっていたのに、不思議と満たされたような雰囲気で、俺はつい、ずっと感じていたことを口にしてしまった。


「水樹、ちょっと今から、意地悪言っていいか?」

「え?」


 水樹は驚き、顔を上げる。


「何? 改まって」


 俺は一瞬、言葉に詰まったものの、その先を口にした。


「いつも、思ってた。今回みたいにさ、水樹は何かと他人の不始末を押し付けられてるって」

「……」


 花輪を編んでいた水樹の手が止まる。


「時間があるから、手が空いていたからは、それを押し付けられる理由にならないだろ。……ズルくやって他人より得をしたり、面倒は他人に任せればいいってヤツもいる」


 水樹は何も答えない。

 ただ、真っすぐ俺を見ている。


「水樹だって分かってるはずだ。世の中には、酷いヤツやろくでなしはたくさんいるって。……なのに」

「?」


 俺は俯き、下唇を噛んで問う。


「どうして、そんな風に頑張れるんだ? 腹は立たないのか?」


 俺の問いを受けた水樹は少しだけ目を伏せた後、苦笑した。


「やだなー。創には、私ってそんな偉い人に見えてた?」

「怒ってもよかったと思うことはある」

「あー……。まあ、私も自覚はあるよ。全部終わってから、『あれ? もしかして、怒ってよかった?』って。……でも」


 水樹は一度、言葉を切った後、続けた。


「それこそ、後の祭りだよ。今更ってヤツ」

「……辛くないのか?」

「んー……」


 水樹は少し悩まし気な声を漏らした後、手元の花輪へ視線を落とした。


「これは一つの言い伝えなんだけど」

「?」


 首を傾げた俺に水樹は淡々とした口調で続ける。


「まだ人が一人で生きていけた、ずっと昔のこと。乱暴で狂暴で、みんながそうだった時代」

「……」

「そんな時、初めて好きな人ができたある人は、その人を想いながら花輪を編んだ。……その間だけは、自分が獣であることを忘れられた。やがて、その時間が長く続くことを願い、誰かを傷付けて生きるのは止めようって決めたんだ」

「花輪を編んでいる間は、水樹も同じ気持ちになれてる……ってことか?」


 俺の指摘に水樹は目を細め、静かに微笑む。

 肩口に掛かった髪先が揺れ、その表情は優しく柔らかだが、俺は却ってその中に孤独を見てしまう。


「社会の始まり、文明の始まり、そんな大げさなことを言うつもりはないよ? ただ、私はその瞬間、夢中になれているから、それでいいんだ。……ホントに、それだけ」


 水樹の背後で、窓際の花々が夕暮れの風に揺れる。

 その光景を見た俺は何も言えなくなってしまったが、やがて水樹が、「よし」と言う。

 俯いていた俺に、水樹が手首に巻けるていどのシロツメクサの花輪を差し出してきた。


「完成」


 水樹は得意げに微笑み、俺の手首にそれを巻いて告げる。


「シロツメクサの花言葉は、『幸福』、『約束』。……やっぱりこういう方がさ、気持ちいいよ」


 そう言って笑う彼女の顔を見た俺は、改めて言葉を失う。

 水樹は多分、知っている。

 もっと効率が良くて、結果が伴って、皆に賞賛される方法があることを。

 演劇部の部員達に感謝されているのか、都合のいい人間だと笑われているのかは分からない。

 だが、確証があってもなくても水樹は、「夢中になれたから、それでいい」と納得するのだろう。

 だから、彼女は自由なのだ。

 俺は手首に巻かれた花輪へ視線を落としながら、問う。


「水樹」

「ん?」


 努めて俺は口元に勝気な笑いを乗せる。


「これ、防腐剤とか使ったら長持ちするかな? で、その後、本の栞にできたらいいんだけど」


 水樹は一瞬、ぽかんとしたが、やがて穏やかに微笑み、頷いた。


「うん、できるよ。家の電子レンジとか使って、栞に」

「へえ、ハンドメイドだ」


 俺は指先でシロツメクサの小さな花に触れる。

 そして少し間を置いた後、視線を上げ、水樹の顔を真っ直ぐ見て、告げる。


「ありがとう。……大事にするよ、ずっと」


 その言葉にどんな意味を見出したのか、水樹は目を閉じ、


「……うん。ありがと、嬉しいよ」


 と小さく答え、幸せそうに微笑んだ。

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