27話
日が進み年の瀬が近づいてきた。
あれから南さんの事情聴取を受けたり裁判をしたり、それなりに慌ただしい日々を過ごしていた。中には身に覚えない殺しも含まれていたけど今更否定したってどうせ死刑だろ。
あの日、録音機は気づかない間に二人に盗られてたらしく俺に不利な物しか残っていなかった。
聴取で二人との関係を聞かれた時、一度黙秘した以降誰も聞いて来なくなった。
南さんは担当外されたらしいし、あのダーツバーの店長…鈴木寛也とか言ったか。どうせあいつが裏で手回して二人を匿ってるんだろ。今どきあんな胡散臭い奴いないってくらい嘘だけで作られた男だった。
慌ただしい日々って言っても目が回るほど忙しいわけではない。むしろ前よりゆっくりする時間が増えて渡される本を何冊も読んだ。
その中で一番面白いと思ったのは九条桃良の“希望”。
賞を取ってるだけあって読み応えあったし何より共感できる地獄が多かった。絶望から逃げる唯一の希望か。悔しいけどあいつは案外近いところにいたのかもしれない。
九条と言えばこの間紗々が来た。本を書かないかと持ちかけてきた。
警察官の連続快楽殺人犯が書いた本なんてさぞ売れて仕方ないことだろうな。
しっかりお断りした。もう九条のお下がりはごめんだ。
その時紗々は九条の遺作として発売されたばかりの本を置いて帰った。
「“青いスパンコール”…」
青い宝石が表紙一面に散らばっていて派手なデザインだった。九条の作品らしくない。
“希望”とは打って変わって子供…いや、普段小説を読まない高校生でも分かる簡単な言葉が多用されていた。
「ははっ、ラブレターかよ」
未完のまま死んでくれて良かった。あまりにつまらなすぎて全部は読んでられない。
本を投げ捨てた時、独居房に雑なノックが鳴り響いた。
「七瀬大志。面会だ。出て来い」
この担当さんは律儀だ。開けっ放しの部屋にノックする人なんて初めて見た。しかもフルネーム…。
面会室に行くには一度外を通らないとだけどこの時間が一番寒い。もう面会とかオンラインで良いじゃん。ダルいな。
てか今日は誰が来たんだ。いつも教えてくれるのになんで教えてくれないんだろう。なんでこの担当さんは移動中にお喋りしないんだろう。
「うわっ!すみません、…どうしたんですか?」
寒さに凍え俯きながら歩いていたら前を歩いていた担当さんがいきなり立ち止まった。ドンと勢い良く背中にぶつかる。
「こんな中来るなんて、よっぽどお前に会いたかったんだな」
独り言のように呟いた担当さんの目線を追いかける。その先には一面の雪景色が広がっていた。しんしんと降り積もる雪は、曇り空に照らされ鈍色に光った。
外の景色なんて久しぶりに見た。すうっと深く息を吸うと氷柱のように痛い空気が肺を冷やす。
今日は一段と寒い。
.
面会室の前まで着き面会の注意事項等の説明を受ける。名前やら番号やらを書面に記入し最終許可が下りてようやく面会室の扉が開く。
ここの面会室はドラマでよく見る無機質で狭い小部屋みたいな感じ。最近はもっと綺麗な所もあるらしい。再犯に再犯を重ねたどうしようも無い奴が言っていた。
「入れ」
「ありがとうございま… えっ」
担当さんがガチャリと重たい扉を開く。
会釈をして顔を上げた時目を疑った。
アクリル板で仕切られた向かいの部屋に、いたから。
「み…!…何、しに来た」
美輝。と名前を言いかけてやめた。今はなんて名乗ってるか知らないから。
この期に及んでこいつに気を使う必要なんてあるのか分からないけど呼んじゃいけない気がした。
ドクドクと脈打つ心臓を落ち着かせゆっくりとパイプ椅子に腰掛けた。担当さんが俺の腕と椅子を縄で縛り部屋を出る。騒いだらすぐ入るからな、と言って扉を閉めた。
部屋は空気の音すら消え去ったように静まり返った。
美輝は何も言わない。ずっと伏し目がちに遠くを見つめている。
「…今日!さ。雪凄かったんだな。久しぶりに外出てびっくりしたよ。わざわざそんな日に来なくて良かったのに」
「俺が来たら嫌かよ」
必死に上擦った声で話す俺と反比例するように低く下がった声で美輝が言う。伏せた目を横に動かし貧乏揺すりまでして苛立ちを見せた。
「あ、いやそうじゃなくて…。嬉しいよ」
慌てて手を横に振り否定する。本当はもう二度と会いたくなかったけど。
「でも、これから雪が降る度お前のこと思い出しちゃうなーって」
もう美輝のことなんか考えたくない。こいつにどれだけ人生狂わされたか。全ての元凶。疫病神みたいなもんだ。
でもこんな風に会いに来られたらまた思い出してしまう。
雪が降れば、美輝の所も降ってるかとか、暖かくしてるかとか。長い時間の中で考えてしまう。
「他の日は」
「えっ?」
「他の日は、思い出さないの。晴れでも雨でも…。お前だけはずっと俺を好きでいてくれるもんだと思ってた」
唇を尖らせ拗ねたように言う。更に俯いて下を向いた。俯いても目にかからない前髪が新鮮で可愛くて目についた。
返す言葉がなくてまた部屋に静寂が帰ってきた。
俺達を分かつアクリル板の反射で美輝が随分遠くにいるように見える。
美輝はそこそこ愛想も良いしそれなりに素直な反応をしてくれた。
でもいつも分厚い壁の向こうにいるみたいで、その本心に触れることを許してくれはしなかった。
美輝の中で確固とした境界線があってそこに踏み入れることは誰もできない。正來もきっと、九条ですら許されていたかどうか。
触れたい。手に入れたい。誰も知らない美輝の奥深くを俺だけのものにしたい。
あまりにも往生際が悪い。だからお前のこと考えたくなかったんだよ。 でもごめん。俺はそんな大人なんだ。
「美輝…」
縛られていない方の手をアクリル板につけ、そっと名前を呼ぶ。
俺の声が一度だってこいつに響いたことがあったか。悲しい妄想はやめにしよう。 すうっと指がつたい落ちかけた時、ぽつりと美輝が呟いた。
「あの日の俺は確かに大志さんが好きだったよ」
ハッと顔を上げる。口角を下げボロボロと溢れ出る涙の痛みに耐える姿は幼く綺麗だった。
美輝はアクリル板越しに手を重ねぎゅうっと握りしめた。こちらへ引き寄せられるようにこつんと額を板に付けもたれかかる。
「利用しようとかじゃなくて、大志さんならどんな俺も受け入れてくれるって信じてた…」
︎︎こんな奴じゃない。どうせ嘘泣きだろ。
嘘泣きできる程器用だったか。
こいつも犯罪者だ、嘘くらい簡単に言える。
バレバレの嘘しかつけなかったのに?
頭では分かっているのに。冷静でいようとする理性とどこまでも昂る感情がない混ぜになる。俺だけを頼って俺に縋りついてる気分に陥った。
「美輝、俺はずっとお前だけ…」
優越感に負けた脳が取り繕うことをやめた。
俺も好き。お前だけを愛してる。今も。本当は、ずっと。
「んなわけねぇだろバーカ」
…えっ?
この距離でないと聞こえないくらい小さく低い声。美輝を模するように付けていた額を離し美輝の顔を覗き込んだ。
さっきまでとめどなく流れていた涙はもう乾いて跡になっていた。
「美輝…?」
「あ〜、今が一番お前のこと好きかもしんない。代わりに捕まってくれたから」
あれだけ愛しく思っていた光のない黒い瞳が急に恐ろしく見える。
終わりのない地獄みたいだ。美輝はクッと片口角を上げニヒルな笑みを浮かべた。
「お礼に、俺の罪ぜ〜んぶ!お前にあげる」
口の動きが鮮明に、スローモーションに見えた。 寸分狂うことなく俺に向けられた悪意。
純真を全て失った表情を見て何かがプツンと千切れた。マグマのように感情が噴き出す。
「〜っ!このクソガキッ!!ふざけんな!こっち来い!!!殺してやるよ!!」
「おい、何してる!やめなさい!」
縄で繋がれたパイプ椅子がガタガタと壁にぶつかる。後ろの扉が開いた音も制止しようとする声も熱くなった耳には聞こえない。
目の前のアクリル板を勢いよく殴り歪みができた。指から血が流れるのも骨が折れるのも気にせず殴り続ける。
俺がアクリル板を殴りバンッ!と音が響く度美輝は肩を跳ねさせ怖がるフリをした。向こうの部屋にも人が来て、知らない男に肩を支えられ出て行こうとする。
「テメェ逃げんじゃねぇよ!!」
美輝が足を止め怯えた顔でこちらを振り向いた。 目が合ったのを合図に喉が潰れそうな大声で罵声を浴びせると、目に涙を溜め手で顔を覆い泣いた。
知らない男が肩に置いた手を引き寄せ美輝に退室するよう促す。フラフラと男に寄りかかって俺に背を向けた。
何も変わってない。近くにいる男誰にでも擦り寄るクズのまんま。
騒ぎを聞き駆けつけた奴らに押さえつけられる腕にギリギリと力がこもる。握りしめた手に爪が食い込み手のひらからも血が流れ落ちた。
美輝が部屋を出る瞬間。
顔を隠していた手を少しだけズラし、俺にだけ見えるように笑った。
パタンと扉が閉まり姿が消える。
「な…っ!クソ!殺したい、殺したい!あいつだけは、あいつ…離せ!殺してやる!!」
「落ち着きなさい七瀬!!」
3人がかりで押さえつけられ身動きが取れないもどかしさに余計怒りが溢れた。
なんて地獄だ。これが恋の終わりなんて。
「あ、あぁ…うああああっっ!!!!!」
こんな恋、殺してしまいたい。
未曾有の恋 風鈴 @wind_bell
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