26話

 築45年のアパートはドラマに出てきそうなくらい分かりやすくボロついて、2階へと上がるトタンの階段は今にも崩れてしまいそうだった。

 
タンタンと軽い音を立て階段を昇り廊下を進み一番奥の扉。カバーが外れ、中の機械がむき出しのインターホンを鳴らす。


 5秒くらい経って、連打でもしてやろうかなともう一度ボタンに指をかざした時右側から声をかけられた。


「邪魔。どいて」


 振り向いた先にはレジ袋を持った理子がいた。髪色が変わった?元々赤みのある茶髪だったけど、こんな濃かったかな。


「イメチェン?」


「学校辞めたし染める必要ないから。で?何の用」
 



 虫を追い払うようにウザったらしく手をパタパタ煽がれた。舌打ちをしながら俺を押し退けガチャガチャと解錠する。


「美輝に会いに来た」


「二度と会いたくないって言ってたよ」
 



 そう俺に淡々と返事をして扉を開き家の中へ入る。扉が閉まっていく。

 直前、隙間に右足を入れそれを防ぐ。ここで大人しく閉め出されるために来たんじゃない。理子が扉の隙間から俺の顔と足を見比べた。


「なぁ、ちょっとくらい…ってぇ!!痛い痛い!おい!おま、っざけんなよ!!」
 



 俺の目をじっと見て表情一つも変えず黙ったままぐっと扉を引く。右足指の骨がぎゅっと集まった。小指の骨くらいは折れそう。怖いくらいに力が強い。インターホン連打するし来客の足扉で挟み潰そうとするし、こいつらどんな教育受けてんの!?


「あ〜〜クソッ!!良い加減にしろよ!り…じゃなくて、正來蒐!」


 強調するように声色を変えて名前を呼ぶ。

 ︎︎正來の動きがピタリと止まり右足が開放される。表情は変えず目線だけ右下に落としてしばらく黙ってから扉を開け、玄関の外に出てきた。


「私もお前に話あるんだった。ここじゃちょっと、来て」
 



 扉が閉まり、正來がアパートを離れそれについて行く。

 その時扉の向こう側からカチャン。と鍵が閉まる音がした。


.


 団地の中にある公園を見渡せる場所にあるベンチに二人横並びで腰掛ける。公園では幼い子供やその親達が砂場で遊んで、小学生が遊具の取り合いをしていた。


 
場所選びが上手い。誰かに話を聞かれることはないけど騒ぎを起こせば目立つ。人目があるようでないようなそんな場所。


「学校辞めたって言ってたけど、美輝は何してる?仕事?」
 



 夕暮れ間際。幼い子供達がチラチラと公園の時計台を見上げる。10月はすぐ日が落ちる。



「ずっと家にいるよ。バーが今休業中で」

「本業の方はどうだって聞いてんだ」


 踵を立て、ゆらゆら揺れる正來の爪先が止まった。




「何人殺した?」

「…なぁ〜んだ!やっぱり知ってるんじゃん」
 



 核心に迫る質問に正來は顔を上げた。遠くで遊ぶ子供達の声に耳を澄ませ嬉しそうに笑う。取って付けたような空気作りがあまりにわざとらしく何を考えているのか分からない。


「そう、私たち殺人犯だよ。でもあの調べ方はどうかと思うなぁ。ヤクザよこして…。下手に動けるから間違えて殺しちゃったじゃん」



 正來はあっさりと人を殺したことを認めた。迷いもなく、それがどうしたと開き直ったように。

 
あいつら、連絡取れなくなったと思ったらまさか殺されてたとは。使い勝手良くてお気に入りの駒だったのに。


「全員雇ってたんだね。だから一人捕まえても無駄だった。おかげで透華ちゃんも大変そうだったよ。情報もらってるなら少しは手加減してあげれば良かったのに」
 



 それもやっぱりバレてたか。何だかんだ言って正來側だからそこまで信用はしてなかったけど。分かりやすいタイプだったし相手がこれなら…。

 まさか自分から言ったんじゃないだろうなあの女。本当のことは一つだけ伝えれば良いと言った、本当のことにそれを選んでたら…?恋は盲目なんてレベルじゃない。狂わされてる…。


 正來は一貫として淡白な態度を取り続けた。それでも、腸煮え繰り返るほど怒っていた。初めて出会った時の騒がしさからは予想もできなかった静かな気迫。


「なんで人に頼んだの?そうまでして怖がらせたいなら自分ですれば良かったのに」
 



 俺が何も反応しないことに苛立ち分かりやすい溜息を吐いてからそう言った。お前ならもう少し上手くやれたでしょ。と。



 違う。それじゃ駄目だからこうしたんだよ。



「それじゃ弱みに漬け込めない。泣きついてもらわないと。俺が助けたいんだ」


 手段はどうであれ。
初めて美輝を見た時、あれは一目惚れで。市民じゃなくてこの子だけを守りたいと思った。その為に辿り着くかも分からない遠回りなんてしたくなかった。



 職を活かした最短ルート。最適解のように見えていくつか誤算はあった。

 最初に感じた儚さとは裏腹に美輝は意外と強いこと。この厄介な女が側についていること。


「惚れた方が負けなんて言うけど、それでも相手より上に立たないと。こっちが優位に立つんだ。分かるだろ」


 
その言葉を聞いた正來は呆れたように陰った目を送ってきた。どこか身に覚えのある大嫌いな目。吐き気がする。
 



「確かに美輝は馬鹿で弱いよ。でもそこらの奴ほど脆くできてない」


 ずっとぼんやり遠くを見ていた目の焦点が絞られる。キッと赤い夕日が差し込み一瞬光った瞳から目を逸らす。
 



 目障りだ。いつも邪魔ばかり。消えろ。


 ︎︎どうせこいつのことだから会話は録音されてる。俺も録ってはいるけど余計なことは話せない。データを力ずくで奪うにはまだ少し明るいし人もいる。
早く口を滑らせろ。もっと決定的な、証拠を伴う自白を。


「でも未だに信じられないな。お前らが殺しなんて」



 
嘘はついてない。二人が殺し屋のような仕事をしてることまだ疑ってる。こいつはともかく、美輝は特に。


 ふとした瞬間陰る横顔は高校生らしからぬ憂いで何かしら罪の意識を持っているとは思っていたけど、まさか人を殺してるとは。嘘も上手くつけないような子が。あんなすぐ泣くような脆い子が。


「…。あー、そういうこと。いいよ、何言って欲しい?ちゃんと大きい声で言ってあげる。何ならそれ持って喋ってあげましょうかー?」
 



 正來がわざとらしく足を組んで膝の上で頬杖をつきニヤリと笑う。自慢げに録音機を入れたジャケットの左ポケットを指さした。



 こいつ…!食いしばる奥歯がギリっと軋んだ。落ち着け。感情的になるな。こいつのペースに乗せられるな。俺が主導権を、




「あ。何人殺したかって質問の答えが先だね。殺した数かぁ…。数えきれないくらい、かな。お前もいちいち数えないでしょ」


「何が言いたいんだよ」


 この一言が終わりの始まりと気付いたのは正來の笑顔を見てから。

 蜘蛛のようにニタリと目を細め口角を上げる姿を見て、これは悪手だったと気が付く。


「一年前の連続殺人事件。目の前で事件が起きて自分も負傷したから動けなかったって?違うでしょ」
 



「本当はお前が殺したんだもんね?」
 



 コンクリートの海に投げ込まれたような、そんな、黒。視界も音も全て奪われた感覚。



 どくんと一度大きく脈を打ったっきり心音は聞こえなくなった。


「ははっ、冗談やめろよ。警察が殺しなんかする訳ねぇだろ。それにもし俺だったとしてお前に何の関係があるんだ。この話は終わり。もうお前と話すことなんてない」


 乾いた笑顔で返事した。こいつと話してると本当にイライラする。何も考えずにさっさと黙らせた方がいい気がしてきた。



「よく喋るね。図星?それとも私が怖い?」
 



 人を小馬鹿にした気味悪い笑顔から心の底から哀れむような表情に変わった。腹立たしい顔にピリッと怒りが右目を掠める。


 ずっと、ずっと俺を見下してくる。


 
でも大丈夫。焦ることない。証拠も何もない。どうせ口から出任せ言ってるだけだ。


「証拠ならあるよ。目撃者がいる」
 



 こうも全部先回りされるといよいよ殺意湧く。自分が主導権握った気になりやがって。 


 でも残念でした。やっぱり適当言ってるだけだろ馬鹿野郎がよ。



「いねぇよそんな奴。現場には俺とあの女しかいなかった。……」
 



 ヒュッと気道に冷たい空気が入り込んだ。そっくりそのまま真似た、小馬鹿にする笑顔が固まる。


 
本当に残念なのは、
 



「…二人だけ、ね。被害者はもう分かってる。じゃあ加害者は?」
 



 俺だ。


 確信を得た正來は笑うでも怒るでもなく、静かにじっとこちらを見つめた。鬱陶しい正義感を持ち合わせた目。
 



 やっぱり、あの女だ。最初に殺した、あのムカつく女。

 
犯人役と取引してるところを勝手に居合わせて、ウザい正義感でガミガミ説教してきたあいつ。何が自分の罪は自分で償えだ。
 



 おかげで人生狂っただろ。


 正來なんて変わった名字だからまさかとは思ったけど、もう一人妹がいるとは思わなかった。あの時いた気弱そうなのだけだと。

 美輝のついでにこいつも調べたけど、出生届が出されてなくてそもそも正來蒐なんてこの世に存在していないことになってる。


 こいつは何者なんだ?気持ち悪い…。


「…邪魔だな」


「あ?」
 



 ぼそっと呟くと荒々しい相槌が返ってきた。全てが癪に障る。



「邪魔だつってんだ。美輝のこと追えば追う程ついてくる。しかもお前俺のこと調べ上げてんだろ。あのヤマにしても。目障りなんだよ。全部お前さえいなければ、」


「それはこっちのセリフ」


 怒りに任せて言いたいことを全てつらつら話した。もうどうでもいい。どうにでもなればいい。こいつさえ黙れば。

 
でも正來はまた話し始めた。低く冷たい声。犯罪者の冷たさ。


「私はただ、ご飯が食べたかっただけ。キッチンに店長がいて、隣に美輝がいて。殺人を繰り返す日々でもそれだけあれば良かった。…なのにっ!」
 



 裏返りそうな程語気を強め声を張り上げた。弦がキィとなるように耳が痛い不快な声色。


 もう頼むから黙ってくれよ。


「お前が…。お前さえいなかったら美輝が桃良さんを知ることはなかった。あんなに傷つくことなかった。碧だってそう。お前が全部壊してった。何もかもお前が!」


「黙れ!!!」


 ガッと胸倉に掴みかかりベンチに押し倒す。ゴンッと鈍い音を立て正來の頭が肘掛けにぶつかった。



「…そうやって、後先考えずに行動するからお前は残念なんだよ」


 正來が呻きに近い声で言って俺の襟元を掴み返す。


「その録音使って自分に都合良い証拠作るつもり?やれるもんならやってみろ。死にたくなるまでやり返してやる。こっちには音声も写真も、被害者だっているんだから」


 
痛みに顔を歪ませながら笑った。青天井の残酷さに血が登った。


「お前美輝を…、仲間を売るのか!?」
 



 グッと胸倉を引き寄せ揺さぶる。それでも余裕と言わんばかりにふっと笑われた。
 



「仲間を売る?人聞き悪いなぁ。利用できるものは全部利用するだけ。それで美輝が捕まろうと私には関係ない。私さえ良ければそれで良いの」


 どこを取っても利己的な在り方にプツンと何かが切れた。


 
殺さないと。

 


 使命感のようにそう思った。理由は後から分かる。ただ今は一刻も早くこいつを消さなければ。その一心で、他の雑念を捨て正來の首に手をかける。上から全力で体重をかけて少しでも早く死ぬように。


「うぅっ…!! ぐ、…」
 



 俺の襟元を掴んでいた手が腕に回る。互いの腕が震え揺らぐ。負けるか。お前なんかに。お前にだけは。



「死に土産に一個教えてやるよ。俺さ人が死ぬ瞬間、目の光がなくなる瞬間が好きなんだ。お前も人殺しなら分かんだろ」


 絞殺が一番それを堪能出来る。ビー玉みたいで本当に綺麗なんだ。すうっと遠く消えていくのが脆くてずっと見ていたくなった。


 
でも今はそれより美しいものを見つけてしまった。


 美輝の目を初めて見た時、心を強く掴まれた。

 小さな黒目は光を取り込むのが下手で綺麗だった。陽の光から逃げているようで守りたくなった。初めて自分の手じゃなく、自然と朽ちてゆく命の終わりを見たいと思った。


 絶対手に入れたいとあんなに強く思ったのは初めて。まるで初恋だった。


 俺の手首を掴む正來の手が少しずつ緩む。目の光もどんどん遠のく。グッとより一層力を入れる。あともう少し。あともう少しで消せる。


「蒐!!」


 遠くから大きな声がした。
咄嗟に嫌だ、やめてくれと声に出た。
 



 そこに目を向けると、美輝と、その後ろには同僚達がいた。

 美輝はダルダルの部屋着でぴょこんと前髪を結んでた。どこまでも可愛い姿のままこちらに駆け寄ってきた。


「蒐…っ」


 正確には俺じゃなくてこいつ。

 これ、こいつの趣味なんかな。こんな可愛い美輝をあんな汚いとこに閉じ込めてたのか。やっぱりこいつだけは殺しておきたかった。


 
美輝は俺の手が緩みゲホゲホと咳き込む正來をぎゅっと抱きしめ背中をさすった。




「こんなこと…。蒐まで死んだら俺、」


 美輝がグズグズと啜り泣く。その目は涙でキラキラ眩しかった。めいっぱい光を取り込んでいた。

 何見せられてんだ。二人まとめて殺すぞ。



「くる、の おっそ…」


 ヒューヒューと空気を漏らしながら正來が言った。それに美輝がヘラりと笑って謝る。お前なら大丈夫だと思って〜。そう、言って。
 



「七、逃亡生活は楽しかったか」

「…はい」

「そうか。あとで全部聞いてやるよ。七瀬大志、殺人未遂の現行犯で逮捕する」


 ガチャン。
限界まで軽蔑を込めた顔と声で南さんに手錠をかけられる。

 かけられるのは初めてだ。思っていた以上に冷たくて重たい。


 横目で確認すると、二人はぎゅっと手を握り身を寄せ合っていた。さっきまで計画通りだとか言っていたくせに今ではもう被害者ヅラ。


 
結局、何も手に入らなかった。

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