25話

 家に帰ると美輝はがさつに畳んだ布団の上に腰掛けていた。
朝用意してあげた薄手のシャツを着て、白くて華奢だけど筋肉のついた足を晒して。恥ずかしげもなくドカっと足を広げ座る姿はひどく刺激的で目のやり場に困った。


「ただいま。酔いは覚めた?」

「おかげさまで最悪の目覚めだったよ」


 
美輝は表情を一つも変えず答えた。その姿がなんだか妖艶だと少し不謹慎なことを思った。


「お前俺に返すもんあるだろ」
 



 美輝が立ち上がり腕を組みながら右手を上に向けた。ほら、とぶっきらぼうに手を仰ぐ。


 美輝は思ってる以上に華奢でシャツの中の体は泳いでいた。ボタンは一つしか開けてないのに鎖骨の端が薄ら見えるくらい。


「その前に写真撮っていい?一枚だけ」


「良いわけねぇだろ。殺すぞ」


 元々ない理性を滅多刺してくる姿にカメラを向けると分かりやすく苛ついた。怒った顔も可愛い。


「ちょっと借りてただけじゃん。そんな怒んないでよ」
 



 ポケットから美輝のスマホを取り差し出す。全然引き寄せられてくれないから美輝の目の前まで俺の方から近づいた。
美輝がスマホを掴み受け取ろうとするのを拒む。指に力を入れてぐっと離してやらない。



「おい」

「君の大好きな桃良さん。亡くなったんだって。遺書も見つかったから自殺の可能性が高いだろうね」


「…んな奴知らねぇよ」
 



 美輝は俺の手から勢いよくスマホを抜き取ってからキッと俺を睨みつけた。すぐ嘘をつくけど全部バレバレ。素直な子。


「九条と一緒に暮らしてた高校生ってお前だろ。美輝、昨日家に来る前何してた?」
 



 抑揚のない無機質な声で淡々と。一度合った目を逸らさないようにじっと見つめる。

 嘘をつく時男は目を逸らし、女は意地でも逸らさない。聴取が苦手な俺に南さんが教えてくれた。


「俺のこと疑ってんのかよ」

「本当のこと言わないからだろ。お前は何を隠してる」


 美輝は目こそ逸らさなかったけど微かに瞳孔が開いた。小さな黒目が揺れる。


「…お前こそ隠れて何やってんだよ」



 美輝がベッド下の引き出し収納に手を伸ばす。ガラガラと引き出しをひいて目当てのものを手に取り俺に投げつけた。

 バサバサと落ちていったそれはよく見慣れたもので、俺にとってはお守りみたいな存在だった。



「盗撮、お前かよ」


 嫌悪感が滲んだ声が降ってきた。膝をついてコツコツと貯めてきた大切なお守りを拾い集める。

 眠そうな顔で登校する朝。気だるげに袖を通したジャージ。目についた物を適当に手に取った購買。

 全部が愛おしくて大切な瞬間だから。
正確には俺が撮ったんじゃないけど、美輝にとっては同じことかな。


「部屋漁ったの?恥ずかしいなぁ」


「こんな分かりやすいとこ置いといて…。警察ならもっと上手く隠せよ」


 へらへら笑ったけど誤魔化されない。馬鹿なくせに変なところ頭良いから嫌になる。本当に賢いなら気付かないふりくらいすればいいのに。
 



「帰る。…服と靴は」


 
美輝はまた右手を出して物をせがんだ。あれしてこれしてと要望ばかり。


「捨てた」


「捨てた?!」



 
美輝は目を見開いて驚いた。外出ないなら、なくても困んないでしょ。ずっとここにいれば容疑者になったとしても匿ってあげられるよ。


「そうでもしないと勝手に出てっちゃうじゃん」


「…ふざけんな」


 
美輝は唾を吐くように呟き玄関の方へ歩き出した。急いで腕を掴む。振りほどかれそうになるのを何度も掴み直した。


「美輝!おい待てって!そんな格好で外出てどうするつもりだよ」


「誰のせいで…。じゃあお前がどうにかしろよ!マジで最低!!死ね!!」
 



 そう言われた瞬間反射的にミニの頬を平手打ちした。バチンと破裂音が二人の間に静寂を連れてきた。じわじわと美輝の白い頬も俺の掌も赤く腫れる。




「最低なのはどっちだよ」


 初めて美輝に怒りを覚えた。寂しくて苦しくて悔しくて、ダムが決壊するようにどくどく流れ出す。
 



「そもそもお前が誘ってきたんじゃん。俺の気持ち利用してそのくせ酔いが覚めればこれって馬鹿にすんのもいい加減にしろよクソガキ」


 美輝の腕を力いっぱい引いて壁に押し付ける。ガシャン!とシェルフに置いていた物が大きな音を立てて落ちた。
まだ抜け出そうとする美輝の手首を掴んで壁に押さえつける。ギリギリと手に力がこもって痛い。


「俺の為だけに生きてよ。俺が一番美輝のこと愛してる」

「愛してるなら、俺がどこで何したって受け入れろよ。…支配したいだけのくせに」


 
やっと大人しくなった美輝の頬に手を添える。殴った後の頬はヒリヒリ熱くて冷たかった。


「1回寝たくらいで…。気持ち悪い」


 憐れむような、いや。それよりもっと、汚いものを見るようだった。軽蔑。卑下。恐怖。嫌悪。

 光のない海のように深い目をしていた。
やっぱり良いなぁ。目を閉じるようにキスをした時、頬に添えた指が濡れた。


 
その日の夜降ち。電気を消して布団に入り寝たふりをしてからしばらく経った頃。
美輝が布団から出た。ペタペタと裸足で廊下を歩いて、カチャリと玄関の扉が開く。


 ︎︎“どこで何したって受け入れろ”


 その言葉が何度も頭の中でぐるぐる回って、寝たふりを続けた。玄関の扉が閉まってしんと静かになる。


 やろうと思えば足を切り落として歩けないようにしたり、どこかに縛りつけたりできたんだよ。

 でもしなかった。ちゃんと自由を与えてた。美輝が我儘すぎる。俺は悪くない。


 美輝がいたところをすうっと指でなぞった。こんなに恋焦がれる気持ち、気持ち悪いかな。



 署内の交通安全週間ポスターを剥がし痴漢追放運動ポスターに貼り変える。暦の上では月が一桁から二桁になり終わりへと向かい始めていた。


 
あれから、美輝に会えないまま一週間が経った。


 市民情報を検索しても嘘で固められてるから役立たない。電話帳に登録されていたダーツバーはもぬけの殻。

 学校は退学か転校か、除籍されていた。生徒に聞き込みをしても無駄。美輝は結構モテてたとか、彼女がいると言ってたとか。何が彼女だ。あのタワマンで男に抱かれてたくせに。


 水島さんは理子がいなくなって以降塞ぎ込んでまともに話せない。親御さんの了承を得て一度会ってみたけど、可哀想なんて言葉では片付かないくらい憔悴しきっていた。初恋の相手がまるで最初からいなかったみたいに消えたんだから、仕方ないか。


 こんな短期間でここまで綺麗に消えるなんてとてもできたことじゃない。
 それがあまりに不自然で強い探究心を煽られた。
 



 絶対見つけてやる。


 手段なんて選んでる余裕なかった。後戻りできなくなっても全てが今更だから。

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