23話

 午前5時。重たい体を起こし布団から離脱する。一睡もできなかった。



 ベッドの足元に脱ぎ捨てられた美輝の服を集めポケットからスマホを取り出す。…顔認証タイプ。無理だとは思いつつカメラに可愛い寝顔を差し出してみる。画面の上で鍵の絵が揺れた。やっぱり注視いるか。緊急連絡先は何一つ登録されてないから情報は全く得られなかった。

 しょうがない。これは出勤してからどうにかしよう。ちょっと借りるね。
 



 ゲロを吐きまくった美輝のために雑炊を作って食卓にメモを残す。美輝が身につけて来た服と靴をゴミ袋にまとめる。その代わりに替えの下着とカッターシャツを枕元に置いた。


 寝息も立てず静かに眠る美輝の顔にかかった前髪を除ける。まだ顔色が悪い。可哀想に。今日帰りに二日酔いの薬買ってきてあげよう。


 
あぁ〜、出勤したくない…。ずっとこの寝顔を眺めてたい。そんなことを考えながら長い睫毛に見惚れた。


「…ら、…れも……」


 美輝が声とも言えない嗄声で呟いた。布団の外に出ていた指が微かに動き5cmだけこちらに伸びた。

 思わず手を引っ込め後退りする。美輝の手はそこに留まり敷布団をきゅうっと握りしめた。ドッと脈打つ心音が耳の奥まで響く。


“桃良さん、俺も好きだよ”


 桃良。水島さんが言ってた小説家。九条桃良。


 俺も好きって、何?やっぱり二日酔いの薬なんて買ってきてあげない。ずっと寝込んで大好きな桃良さんに会えなかったらいい。


.
 



「そこを何とか!お願いします!!」

「嫌だ…。危ない橋渡りたくない…」


 同期で仲の良いサイバー対策本部の松下に勢いよく頭を下げる。松下は協力を渋った。

 依頼内容は美輝のスマホのロック解除。
これくらい朝飯前だろ、飯奢るからと粘ってみる。



「寿司」「回る?」「…回らん」「貸せ」


 
割とチョロい松下は俺からスマホを受け取ると5秒か10秒かで解除した。データ全部移しといたとUSBを渡される。怖…早すぎ…。サイバーには飛ばされたくないな。


「…七。お前これどこから持って来た?」



 松下は抜き取ったデータが映ったパソコンの画面を見て眉をひそめた。3件しか登録されていない電話帳の一番下を指さす。


「この“桃”ってまさか… ビンゴ!お前やっぱすげぇわ!」
 



 松下が何かを思い出したかのように急いで調べ出てきた結果に感嘆のため息をつく。ハイタッチを求められ訳も分からないまま掌を差し出した。
 



「で、何?」

「お前九条桃良のヤマ追って来たんだろ?」


「…。九条が何だって?」

「はぁ!?それで手柄引き当てれんのかよ…。やっぱエースは違うな」


 九条のヤマ?あいつがなんかやらかしたのか?なら願ったり叶ったりだけど。カチャカチャとキーボードが弾かれニュースサイトが開いた。前のめりで画面を覗く。
トップにその名前があった。
 



『小説家・九条桃良 遺体で発見 自殺か』
 



 今日未明九条が自宅で亡くなっていたのが発見された。遺書が見つかったことから自殺の方向で捜査してる、と書かれていた。

 ウチの管轄内で一課が担当してるらしく松下はそいつの携帯も解除させられたらしい。数字なんて他にも沢山見てるだろうによく覚えてたな。



「そん時一課が話してるの聞こえてきたんだけど…」


 松下は周りをキョロキョロと見渡し近づくよう手招きをした。体を屈め耳寄せる。俺が言ったって言うなよ、と釘を刺してから話し始めた。
 



「殺しの可能性もあるらしい。死ぬ前に出前して手もつけず玄関に置いたまま。しかも二人前。女遊びも凄かったらしいからその線もあるって。でも…」


「でも?」


 松下はまた周りの様子を伺い、更に声をひそめた。


「同居してた高校生が今行方不明だって。これ、そうなんだろ?」


 
手に持っていたスマホの画面をカンカンと爪で叩かれる。
 



 美輝が人を殺した?



 人殺した直後酒飲んでその足で家まで来たって?それは、ないだろ。殺人なんてできる程強いとは思えない。


「それ持って行って一課に返り咲くか?」


「誰が行くかよあんな所」


 
松下がニヤニヤと俺を小突いた。スマホとUSBを持つ手に力が入る。
こんなの持って行ったところで部外者がどうだと叱責されるだけだ。今更居場所なんてどこにもない。語気を強めた俺を見て松下は残念そうに眉尻を下げた。


「なぁ、もしあんなことがなかったら生安に行くこともなかったし今頃一課で」


「もういいよ昔の話は。…これありがとう。また連絡する」
 



 まだ何か言いたげな松下を無視して部屋を出る。


“あんなこと”。一年前の事件。



 連続殺人事件を追っていた。犯人も次のターゲットも分かって、新たな事件を防ぎ犯人を捕まえるだけだった。でもできなかった。


 被害者の元に駆けつけたけど目の前で事件が起きて、被害者は死亡。俺は腹を刺され動けなかった。

 その後犯人は行方不明。今も未解決。


 この事件がきっかけで一課を辞めた。

 皆あんなことがなければ、あんなの気にするなよ、そう言ってくれる。

 確かにあの事件がなければ今頃こんな堕ちた人生歩んでなかったかもな。
 



 大切にポケットの中に入れた美輝のスマホが震えた。画面には「理」とだけ表示される。左下の赤い丸を押して振動を止めた。

 ︎︎またスマホが震える。今度は着信じゃなくてメッセージ。



『今どこ』『なんで切った?』『もう怒ってないから』『早く戻ってきて』『心配してるの』『返事しろ』



 メッセージが次々届く。美輝は愛されてるな。皆執念深くて、邪魔だ。


 もう一度“理”から電話がかかってきた。次は緑の丸を押して応じる。
 



「もしもし」

『誰』


 少し幼い声をした女が電話の向こうで返事をした。電話に出たのが美輝じゃなくて不服そう。


「お前まだ生きてたのか。さっさと死ねよ勘違いブス女」

『…チッ、てめぇが死ねカス』


 ご丁寧に挨拶してやると理子はこれでもかと分かりやすく苛立ちを見せた。


『今どこにいる。あいつに何かしたらただじゃおかないから』
 



 理子は早口で捲し立て怒りを露わにした。ガキが警察相手に舐めた口利きやがって。
 



「そんな大事なら自分で取り返してみろよ。お前が手放したんだろ」


 はっと鼻で笑い電話を切る。電源を落として全部シャットダウン。あいつの焦る顔を想像して必死に笑いを堪えた。


 今日は早く上がろう。美輝が俺を待ってる。

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