17話

 この家に来てから2ヶ月が経って、家に出入りする女達とも顔見知りになった頃。久しぶりに仕事をすることになった。
 



 今日の仕事は2歳の子供と21歳の母親。母親本人からの依頼。夫に捨てられ経済的に厳しいから子供殺して自分も死にたいって。自分で殺せばいいのにそれは怖くてできないとか何とか。

 今回みたいな別の人を殺して自分も、なんて依頼はちょいちょいある。死刑になりたいから派手に無差別殺人を起こすあれみたいな。

 でもそれよりもっと弱くて、自分が罪を犯すことも罪悪感を感じながら生きることもできない人達。
遺書も自筆で書いてくれるし実際ほぼ自殺だから後始末が楽だって二人にはウケてるけど。


 もう既に事故物件ですよと言わんばかりのボロアパート。インターホンを鳴らし招き入れられる。


 部屋には布団の上で眠る子供とそれを撫でる母親。机の上に茶封筒が二つ。遺書と今日の給料。



「それで、どっちから」
 



 ︎︎どっちから殺したらいいですか。
 



 人が死ぬのを見たくないから自分を先に。あるいは死んだと確かに見届けてから死にたいからもう一方を先に。大体この二択。
 



「この子を先にお願いします。寂しがり屋で、私が少し離れただけでいつも大泣きして…」


 そう言って母親が子供の頬にそっと手を添える。愛しそうに微笑んだ目がどこか苦しそうに見えた。似た者親子か。


 分かりましたと了承して子供の首に手をかける。別れの時間は設けない。やっぱりやめてなんて言われたらダルい。


 子供は柔らかいからすぐ死ぬ。サクッと。殺されてると気付く前に手早く。



「…っ、ごめんなさい…っ」
 



 終わりましたよ、そう振り向くと母親が口を手で押さえすすり泣いていた。
自分で頼んでおいていざ殺されると泣き出す人は多い。飽きるほど見てきた。欠伸が出るくらい。


 
一瞬、腹の奥がチクリと痛んだ。なんか変な物食ったっけ。
 



 次に母親を殺すから腕を出すよう言うと母親は少し躊躇った。注射器を持った右手が行き場を失う。怖気付いたか。今更やっぱり死にたくないとか言われても殺すけど。


「どうして、私は注射なんですか?」


「えっ?痛くないから。楽な方がいいと思って」



 そうですかと小さく呟いてから、ぎゅっと決意したように一度顔を上げた。

 母親は瞬きする瞬間だけ俺と目を合わせたあと姿勢を正しゆっくり床に手をつけ頭を下げた。


「こんなお願い馬鹿げてるのは分かっています。でも…お願いです。私も、この子と同じように殺してくれませんか」
 



 自分だけ楽に死ぬなんて、私にはできない。 


 声を上擦らせ涙声で土下座する姿はあまりに小さく痛々しかった。冷たい床に広がる髪の黒さが目につく。
楽に死にたいって依頼は何回も受けてきたけど苦しめては初めてだった。


 俺は殺せたらあとはどうでもいいと願いを聞き入れると母親はまた頭を下げた。
 



「ごめんなさい。こんなことさせて、貴方もまだ若いのに…」


「別に。仕事なんで」
 



 母親の上に跨り首に手をかける。子供より固い首に体重をかける。それでも痩せ細った母親の首は細く脆かった。

 
苦しそうに目を細め口をパクパクと動かす。目の端から涙がつうと一筋。震える指が俺の手首に触れ、ぱたんと落ちた。



 給料が入った方の茶封筒をしまうついでに部屋を見渡す。母親の財布を開いて寂しい中身に手をかけ、やっぱりやめた。ポケットから携帯を取り出し遺体を取りに来いと蒐に連絡を入れる。
 



 母親は最後「ありがとう」と言った。首を絞めている時に感じた手の感覚が離れない。


 またチクリと痛んだ腹の奥にどうしようもない苛立ちを覚えた。


.


 車で二人が来て遺体を後ろに詰め込む。適当に投げ込むとあとで食べるんだから丁寧に扱ってよ!と蒐に怒られた。少しの間なのに懐かしいと感じる。
 



「じゃ、あとよろしく」
 



 トランクの扉を下げて二人を見送り帰ろうとした時、蒐が車に乗り込むのを躊躇った。



「そろそろ戻ってきたら?」


 もう大丈夫でしょ。それに桃良さんとずっと一緒は疲れない?ぎゅっと目頭に皺を寄せわざとらしく笑った。
 



「えっ?あ、うん。そう、そうだな。うん」
 



 この時なんでこんなに吃ってしまったのかは自分でも分からない。何かと何かの間で悩んで正解を出すのに時間がかかった。そのせいで蒐を怒らせたのはよく分かる。


「え、なに。ずっとあの家にいたいとか思ってないよね?」
 



 蔑むような笑い混じりに言われた。傾いた笑顔が薄く車内灯に照らされる。そんなわけないだろと即答して笑い飛ばせ。そう思うのに俯くことしかできない。



「美輝、自分の立場分かってる?」



 
蒐がバンッと勢いよく車の扉を閉め車内灯が消える。こちらを向くと同時にアスファルトがジャリと音を立てた。
 



「ごめん、もうあの家出るよ。だから…」


 許して。最後まで言わなかったけど多分蒐にはそう伝わったと思う。嘲笑とも取れる溜息をついたから。多分俺が何を言っても、何も言わなくてもこうだ。頑固だし。
 



「美輝は犯罪者なんだよ。分かってる?お金貰って人殺して、桃良さんとは生きる世界が違うの」


 なんで今そんなこと言われなきゃいけねぇんだよ。お前だって犯罪者のくせに。お前だって間違えて産まれてきたようなもんなのに。



「…分かってる」
 



 投げやりな返事をすると蒐は勢いよく俺の胸倉を掴んでかかった。ぐらぐらと揺さぶられる。
 



「分かってない!大体美輝はいつも、」


「黙れ!!分かってるつってんだろ!!」
 



 俺が大声を出した途端辺りがしんと静まり返った。ぴしゃりと虫の音も消える。
 



「…優人なんてもう知らない」


 蒐は目を潤ませながらぶっきらぼうに手を離した。

 蒐が乗り込みしばらくして車は走り出した。車が見えなくなった頃また辺りの騒音が戻ってきた。
 



 分かってる。言われなくても。

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