10話

 ご飯を食べてる時、美輝がここを出ると言った。誰かにつけられてるかもしれないからと。

 間に合わなかった。こんなこと言い出す前に全員消しておきたかったのに。


「あては?寝るとこ」

「あー、考えてなかったわ」

「お前そういうとこだぞ」


 計画性もなくのんきに構える美輝に店長はうーんと唸った。絶対変なこと言わないでよ…。考え込む店長に念を送り続ける。

 しばらく黙り込んでから「あ!」と店長が沈黙を破った。


「桃良!絶対タダで住まわせてくれるだろ!蒐、連絡してやれ」


 

“桃良”
 その名前に思わず体が固まり手の力が抜ける。ガチャンと皿にフォークがぶつかる音が響いた。



「桃良さん!?えっ、やだよ!」


「??何?めんどくさい奴?」


 横から見るとより際立つ美輝の長い睫毛を見ては溜息をついた。


「いや、良い人だよ。良い人なんだけど〜…」



 頂上を見るだけで首を傷めそうなくらい背の高いタワーマンション。桃良さんはここの最上階、ではなく上から10番目。42階に住んでる。一番上は地面から離れすぎて怖いんだって。52も42も変わんないよ。


「九条桃良って知ってる?」

「知らない。それ本名?変な名前」
 



 作動音が全くしない静かなエレベーターの中、美輝と私の声だけが響く。



「本名だよ。芥川賞を史上最年少で受賞した天才小説家。授賞式では結構話題になったけどね、イケメンすぎるって」
 



 ポーンと柔らかな電子音が鳴りエレベーターが止まる。
 



「その人が桃良さん」


 エレベーターを降りてすぐ目の前にある、何度目かのインターホンを鳴らす。セキュリティーは万全。盗撮や身バレの心配は減りそうだけど。
 


 しばらく待ってようやくカチャンと玄関の扉が開いた瞬間、甘い香水の匂いが廊下に漏れ出した。


「え、学生…?あっ。すみません、九条先生ですね。どうぞ」


 扉から顔を覗かせた女性は驚いた表情を見せてからふわりと微笑んだ。乱れた髪、紅潮した頬、シワになった薄手のシャツ。やっぱりね〜…。


「先生、お客様ですよ」
 



 廊下を進んで2番目に見えてくる右側の扉を女性がノックすると10秒くらいして内側から扉が開いた。


「……。久しぶり。此方へおいで」


 中から出てきた男性は眉間に皺寄せぐっと目を細め私の顔を凝視した。私を思い出したのかふっと笑いながら腕を広げた。

 彼が私の頬に手を伸ばそうとした時タイミング良く、中まで案内してくれた女性がもう帰ると言った。また来ますね、と彼の耳元で囁いて。彼はそれに答えるよう女性の首筋に顔を擦り寄せた。
 



 桃良さんは出会った頃からずっとこんな感じ。来る者拒まず、泣かせた女性は数知れず。いつも女性を侍らせてる。

 
家族ぐるみで付き合いの長い婚約者がいたのに他の既婚者と不倫して、勘当された次の日にはまた違う女性と寝てたって噂。普通は信じられないけどこの人ならやりかねない。


「昨日言ってた、優人。しばらく泊めてあげてよ」


 私が美輝の肩に手を置き紹介すると桃良さんの視線は自然と私から美輝に移る。
桃良さんはまた目を細めた。


 美輝が思わず後退りするくらい近づく。鼻先くっつきそう。逆に近すぎて見えなさそうだけど、小説家は変な人が多い。


 しばらく美輝の顔を見つめて満足したようにふっと笑った。



「可愛い。楽しみだね」
 



 目にかかった美輝の前髪をふわりと上げる。露になった美輝の額に触れたか触れてないかくらいの口付けをした。多分美輝の顰め面もぼやけて見えてない。



「…何が」


 
欠伸をしながらリビングへ向かった桃良さんの後ろ姿を眺めながら美輝が呟いた。
 



「ああいう人なの…」



 店長の思いつきはいつもピンキリで、今回はキリの方だった。


.


「桃良が美輝を?アハハ!あいつ顔だけは良いもんな!」


 
バーに戻ってから今日のことを話すと店長は大口開けて笑った。
 



「でも懐かしいな〜。蒐が桃良に抱かれそうになって泣きながら…」


「次その話したら殺して食べる」
 



 今すぐにでも忘れたい人生最悪の記憶を引っ張り出されナイフを投げつける。ナイフは後1cmのところで店長の頬を横切り後ろの壁に打ち付けられた。ダーツの矢ならいけたのに…。


『本日午後3時頃中区で女性の絞殺遺体が発見されました。中区で絞殺遺体が発見されるのは今年に入って10回目となり……』


 
頬杖をつきテレビから聞こえるニュースに耳を傾ける。画面は事件現場を映していた。そこには複数の取材陣がいて色んなリポーターの声が聞こえる。
 



「そろそろ引っ越そうよ。警察も動き回ってる」


「あ〜、でもここ良い客多くて…」
 



 店長は名残惜しそうに肩を落とした。殺し屋としての機能性じゃなくてバーの常連客の心配をするなんて。


「客なんて誰でもいいじゃん」

「うわ、ないわ。人の心がない」

「こうなるよう育てたの自分でしょ〜?」


 店長が作ってくれた料理を頬張る。今日もいつも通り美味しいんだと思う。美輝はいつも私に食い意地張りすぎだって言うけど、私は食べるのが好きなんじゃなくて、美輝と食べるご飯が好きだってこと。一人で食べても味がしないこと。本当に分かってくれてるのかな。


「…美輝は。家族と暮らしてたんだよね」

「あぁそうだな。自分で殺したけど」


 ここに来たばかりの頃店長に教えてもらった。美輝は11歳の時家族全員殺して途方に暮れてるところを店長に拾われたって。母親の育児放棄とか両親の喧嘩とか、噂はされてたみたいだけど。


「あいつ拾った時、誰も褒めてくれなかったとか言ってびーびー泣くから改めてガキは分からんと思ったよ」

「…ふーん」


 私が初めて人を殺した時、怖くて苦しくて震えが止まらなかったけどずっとそばで美輝が手を握ってくれた。大丈夫、生きてるだろって。

 でも美輝は一人きりで、まだ11歳で、それが家族で。

 そう思えば一年前希和に対してあんな態度だったのも分からなくもない。




登場人物メモ③


九条桃良(くじょうももら):美輝と一緒に暮らし始めた小説家。顔だけで食べていけるレベルの美人。20歳なりたて。19歳2ヶ月の時に芥川賞受賞。


栗田紗々(くりたささ):桃良の家にいたセクシーお姉さん。24歳くらい。桃良の編集担当。桃良が適当に褒めた香水を着け続けている。

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