3話
ネオン街から少し離れた静かな路地裏。ビルの狭間。周りに誰もいないことを確認して電話をかける。
『はい』
「今一人」
一瞬番号を間違えたかと思うほど声色を変えた蒐にそう答えると「焦ったぁ〜!!」といつもの声に戻った。
耳から遠ざけたくなるほどうるさいその声に一握りの安心を覚えてしまうからまだ俺も弱いな、と思う。
「さっきのやつなんか見逃してくれて。帰れって言われたから一旦帰るフリして今は違うとこ。でそろそろ戻ろうかなって」
『じゃあ今日行けそう?』
「うん、だいじょ…あーごめん」
『え?何急に、だ
話し続ける蒐を無視して一方的に電話を切る。 やられた。なんで…。
「ついてきてたんですか」
空虚に向かってそう呼びかけるとビルの死角から人影が出てきた。全然気付かなかった。
「帰れって言ったよね。なんでまだいるのかな」
一歩、二歩、七瀬がこちらに近づく度ジャリジャリと地面が鳴る。蒸し苦しい夏の空気と混ざり合って緊張感が増す。 背中はもう壁とくっついて後ろに逃げ場はない。
逃げるなら隙をついて正面から。 いつもならそうしてたけどこの時の俺はそうしなかった。
警察だから。狭い路地だったから。 後からいくらでも理由をつけることはできるけどこの時はただ、こいつからは絶対に逃げられない。直感的にそう思った。
「なんで帰らなかったんだって聞いてんだけど?おーい。喋れないの?」
七瀬が俺の後ろの壁に手をつく。ぎゅっと下唇を噛み口を噤むと頬を弱い力で叩かれた。弄ぶような笑みを浮かべる切れ長の瞳と目が合い慌てて逸らした。
落ち着け。こんな時の言い訳くらいいつもならペラペラ出てくる。落ち着け、落ち着け。
「そこまでしてあの男に会いたい?」
「ひっ、」
輪郭をなぞり書くように七瀬の指が首筋から顎先へと這う。指の動きに沿って顎がくっと上向く。 触れられた瞬間思わず口を押さえてしまうような上擦った声と胃が持ち上がるような浮遊感がした。
「可愛いね。お前抱くくらい俺でもできるよ。してあげようか?お望み通り」
七瀬の指は来た道を戻り俺の制服のボタンに手をかけた。指がつたったところからゾワゾワ逆毛立つような嫌な感じ。
こいつ本当に警察か!?左耳のすぐそばで吐かれた声は低くて蜂蜜のように重たくて、胸焼けに近い息苦しさを誘った。
「ハァ!?やっ、な…ふざけんな!」
動揺に身を任せて七瀬を思いっきり突き飛ばす。七瀬は反対側の壁に背中を打ちつけて呻き声をあげながら膝をついた。
「いっ… 待って力強すぎない?折れ…」
「変態!!」
唾を吐くように言い捨ててその場を後にする。
「あ、ちょっ
「言われなくても帰るわ!じゃあな!!」
縋るように腕を掴む手を払い落とす。怒りに任せて七瀬の肩を蹴飛ばした。
クソ。警察だなんて気にせずさっさと黙らせときゃ良かった。あ〜、マジでイライラする。
.
バーに帰って来ると食器も食材もなくなっていた。カウンターと椅子以外全て綺麗さっぱり消えてる。
この短時間でこんなに片付けられるとは。なんて感心したのは一瞬だけ。俺の帰宅に気づくや否や蒐の説教が始まった。
蒐の説教はネチネチ長くて嫌い。 でも言ってること全部正しいから反論はできない。
「ごめん」
「私に謝ってどうにかなること?そんなに許されたいなら依頼主に頭下げなよ」
蒐がカウンターに腰掛け、足を組み溜息をつく。苛立ちを露にした不機嫌な顔のままダーツピンを投げる。
「結局殺せませんでした、って」
トッ、と的の真ん中に刺さる心地良い音が空気を断ち切る。遅れてやってくる赤い光の花火が俺を照らし抜き嘲笑う。
「警察に見つかる。ターゲットは逃す。その後の連絡もよこさない。逆に何ならできるの?」
「ごめん」
何度も同じ言葉を繰り返す俺にまた大きな溜息をつく。蒐は手元にあった残りのピンをガチャガチャと乱雑に掴んで近くのグラスにしまった。
「美輝って本当どんくさいよね」
ドクンと心臓が鳴った。久しぶりに呼ばれた名前と嫌いな言葉が心に入らないよう、笑顔で自分を守る。
「ごめん。次から気をつけるし今回のも最後までする。連絡も忘れないようにするから」
「…ちゃんとしてね」
目を合わせると蒐は舌打ちして目を逸らした。雑に髪を掻きもう一度溜息をついた。
「あー…気合い入ってるとこ申し訳ないけどこれ、」
着々と店の修復作業をしていた店長が横から口を挟む。コードを繋げ終わったテレビから流れるニュース速報を指さした。
『中区で男性の絞殺死体発見』という物騒な見出しと共にアナウンサーがニュースを読み上げる。 あのネオン街の近くで男の遺体が見つかった。被害者の名前と年齢は今回のターゲットと同じだった。
「誰か知らねぇけどラッキーだな!どうする?今回はちょっとくらいまけてやるか」
「や、今回はもらわなくても…」
今回の依頼主は高校生で、必死にバイトして稼いだ金とこれまで貯めてきた小遣いを握りしめてウチに依頼しに来た。それに今回は俺がしたわけじゃない。
「え〜?用意してくれてるんでしょ?じゃあ全部もらわなきゃ!」
小さく呟いた言葉は蒐のデカくて明るい声にかき消された。蒐はケラケラ笑いながら「じゃあ本当に今度こそおやすみ〜」と言ってソファに寝転がった。
蒐が椅子から立ち上がって、目が合った一瞬。
また、だからお前は甘いんだよと言われているようだった。
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