無題、水島透華

20話

──秘密に口付け、私の世界を赤く狂わせた危険な女の子。




 透明人間。声も痛みも、誰にも見えない。


「ごめーん、気付かなかったぁ」

「てかいたんだ?」

「…っ、…」


 誰も助けてくれない放課後。今日もまた国本さん達のストレス発散が始まる。彼女達はこれをいじめと思わない。寧ろ、友達がいない私に構ってやってるなんて言う。

 痣だらけの体にしてくれて、よく言うよ。


 でも私にやり返す強さはない。ただ待つだけ。飽きてくれるのが先か、卒業するのが先か。私が、潰れてしまうか。静かに色を消して終わりを待つだけ。の、はずだった。


「やめなよ」


 ゴミ箱を持った国本さんの腕が頭上で止まる。その腕を掴んでいたのは、隣のクラスの鈴木さん…?

 わざわざ危険な場所に自ら割って入って、私を、助けた。


 同じクラスの鈴木くんと仲が良くてほぼ毎日うちの教室に来てる。二人は家族で、親友で、恋人…かは知らないけど、誰よりも近くにいて特別。遠くから眺めてるだけで眩しかった。


 花のように美しく、華奢で女の子らしくて、箸より重い物は持てない。そう見えていた彼女が目の前で国本さんを圧倒する姿に驚いた。


 彼女は私の想像より遥かに強く気高く聡い。欲しいもの全てを持っていた。


「帰ろう。透華ちゃん」


 名前を呼ばれた瞬間、ドクンと鼓動が鳴った。彼女は笑うでも睨むでもなく真っ直ぐ私を見つめ右手を差し出してきた。その右手に手を伸ばした。でも怖気付いて引っ込めようとした時彼女は迷わず私の手を取った。

 どうして私の名前を知っているのか。そう訊ねると鈴木さん…、理子ちゃんは私の目を見て答えた。


「透華ちゃんは透華ちゃんだもん」


 にっと目を細め、人懐っこい子犬のように愛らしい笑顔を見せた。

 その時茜色の夕日に照らされた。彼女の茶髪が赤く反射する。眩しい赤。それに見とれた時、胸の奥がどうしようもなく熱くて手を離したくなくなって。


 初めて誰かに見つけてもらえたことが嬉しかった。



 理子ちゃんの隣にいたい。何になれなくても良い。その思いが憧れよりもっと強い、恋だと自覚するのは容易だった。

 結ばれないのは分かってる。ただ、一緒にいられたら。


 こんな、鈴木くんを守るようなことさせられても。


 教室では鈴木くんの行動を監視して、帰り道こっそり後ろをついて行く。これじゃ私がストーカーになっちゃう、鈴木くんのこと好きでもないのに。でも案外このやり方で犯人も見つけられるわけで。鈴木くんにカメラを向ける人を写真に収める。


 また違う人だ…。いつも違う人につけられてる。本当に理子ちゃんが言ってた通り、個人的な感情の縺れじゃなくてそういうのが関係してるのかな。

 鈴木くんや犯人に見つかってしまう前にそそくさと立ち去る。


 早く理子ちゃんに報告しないと。早く、しないと…。…なんで本人にも警察にも言っちゃ駄目なんだろう。ここまでさせるなら、なんで犯人捕まえてって言わないんだろう。


 理子ちゃんって、少し、怖い。


 理子ちゃんの心にはたくさんの扉が付いていて、それはいつも開いてるはずなのに中が見えない。入ろうとした瞬間パタンと静かに閉められる。

 鍵がかかってない扉もあって、浮かれて開けてみたらそこには一面真っ暗な壁が聳え立つ。決して心の内を見せてはくれない。


 キスした時、理子ちゃんは恥ずかしそうに頬を赤らめて愛おしかった。天使だと思った。

 でも鈴木くんのストーカーを見つけてって言われた時は、断って逃げ出そうとしても許してくれなくて怖かった。悪魔だと思った。


 理子ちゃんは、私の天使だよね…?


 スマホを制服のポケットにしまった時指にカサリと紙が当たった。“警視庁 生活安全部 相談センター 受付担当 七瀬大志”


 柔らかく親しみやすい色とフォントの名刺。知らない間にポケットに入ってた。きっとあの時、理子ちゃんを助けに入った時の警察の人。


 …。私は、…。



 名刺と周りを交互に見比べて立ちすくむ。


 警視庁。総合相談センター、ってあれだよね。来てしまった…。どうしよう…。


 相談する?「クラスメイトがストーカーされてます。犯人の写真もあります。でもいつも違う人なんです。捕まえてください」って? 「私は好きな人に指示されて犯人を追ってるんです」って?


 それとも、…。…やっぱりやめよう。目の前に見える窓口に背を向けて来た道を戻る。早くここを出なきゃ。こんな所来てるって知られたら、理子ちゃんに嫌われる。


「こんにちは。来てくれたんですね。その後大丈夫でしたか?」


 出口に向かう途中、すれ違った男性が引き返して私の顔を覗き込んだ。あの時の、七瀬さん。帰ろうって思えたのに。


「あ、あの!相談したいことが、あって…」


 せっかく思い留まれたのに、私の馬鹿。


.


 七瀬さんは警視庁の近くにある公園に連れて来てくれた。周りに人がいたら話しにくいだろうって。

 相談センターってハローワークみたいな所を想像してたけど、少し違った。皆対面じゃなくて電話で相談するのかな。私も匿名の電話にすれば良かった…。


「それで、何かありましたか?」


 七瀬さんは私にミルクティーのペットボトルを差し出しながら隣に座った。ぺこりと小さくお辞儀して受け取る。


「その、私の…クラスメイトがストーカーされてるかもしれなくて。それで犯人追いかけてるというか、」


 きゅっとペットボトルを握る。言ってしまった。理子ちゃんは言わないでって言ってたのに。ごめん、ごめん、何度も心の中で繰り返した。


「鈴木理子?」

「違います。でも、理子ちゃんの大切な人」

「じゃあ鈴木優人だ」


 当然と言いたげに七瀬さんが堂々と言った。なんで…。泳ぐ目に気付いてばっと慌てて俯いた。

 この人、前会った時理子ちゃんと普通に話してたけど、何者…?


「七瀬さんは二人とどういう…」

「俺?優人の彼氏」

「えっ」


 サラッとそう言い切った。私が目を丸めるとその後すぐ「なんてね。ただの願望ですよ」と笑った。

 願望なのに、なんで今言い切れたの…?


 七瀬さんの笑顔は、お化け屋敷で何もない道を歩いてるみたいだった。何か来ると思いながらも歩かないと外には出られないあの感覚。


「で、優人がどこのどいつに付き纏われてるって?」

「いや、えっと…その…」


 心臓がバクバクする。怖い。どうしよう、どうしよう。助けて。


「理子のこと好きなんでしょ。なのに優人を守るようなことさせられて、それが辛くて助けて欲しい。違いますか?」

「え、あ、違わないです…」


 私の気持ち全て言い当てて、にこりと笑った。瞬きする間に変わった表情が不思議。

 警察の人ってこっちの気持ちは手に取るように分かるのに、こっちからは何考えてるか分からない。やっぱり怖い。


「優人は俺が守ります。水島さんが今知ってること、教えてくれませんか?」


 真っ直ぐ見つめられグラグラと揺れ動く。知ってること言っていいの?この人に教えていいの?でももうほとんど知られてるようなものだし、警察の人だし。でも、


「い、嫌です…。だって理子ちゃんが、」

「あいつには適当に嘘ついたら。伝えても自分が損しない本当のこと一つだけ伝えて、あとは塗り固めれば良いです」


 あははと適当な雑談をするみたいに言った。


「警察なのに、そんなこと言うんですか」

「警察だからですよ」


 俯く私に返す。その声が冷たくて、一度この人に捕まったらその後はないと観念した。


.


「理子ちゃん、あのね」


 七瀬さんと別れ、理子ちゃんがいるダーツバーに行った。


“本当のこと一つだけ”。他のことは、嘘でも大丈夫。


「…そっか。ありがとう教えてくれて」


 私の言葉を聞いた理子ちゃんは笑ってぎゅっと抱きしめてくれた。確かめるようにキスをして髪を撫でられる。


「私に嘘つかないよね、透華は」

「…うん」


 ごめん理子ちゃん。私理子ちゃんに隠してることがある。でもそれを許してくれる理子ちゃんか分からなくて怖いの。


 あの時、私が持ってる情報を使って七瀬さんが鈴木くんを守って、いい感じになって。それで二人が本当に恋人になれば理子ちゃんは一人になるから、そうなって欲しいなって思ってしまった。

 理子ちゃんが好きと気付いた時からずっと。鈴木くんがいなかったらいいのにって思ってた。


 理子ちゃんは許してくれないよね。だから、ごめんね。



 それから、理子ちゃんと七瀬さん。二人に報告をするようになった。それぞれ伝えることを少しだけ変えて。


 例えば鈴木くんが理子ちゃんと別れて帰路についた後、それをつけてる人がいたとしたら。

 理子ちゃんにはその人の特徴、できれば写真で伝える。「スーツ着た茶髪の人がいたよ。背も高かった」「着いて行ってたけど何もしてなかった」「様子見てるだけだった」と。

 七瀬さんには鈴木くんのことを伝える。「今日も九条桃良って小説家の家で過ごすみたいです」「いつもと違う道で帰っていました」と。


 そうやって限りなく本当に近い隠し事を重ねる。後ろが透けて見える和紙のように薄く、破れない嘘を貼り合わせる。


 解放されたいような。理子ちゃんには絶対捨てられたくない。

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