第三章、神田美輝
14話
──虚像すら美しいと思えた初恋は、誰にも見せられない。
▽
空いてる部屋も家にある物も全部好きに使って良いとまで言ってくれて神様の御加護、なんて思ってた。けど違った。ただどうでも良いだけだったんだ。
ここに来て1週間が経ったけど、毎晩違う女が家に来てヤリまくり。日替わり定食。タワマンは思ってたより防音機能がなってない。
家賃ゼロの代償はデカい。蒐が顔をしかめたのはこれかと痛感した。騒がしいのはどうもストレスが溜まる。
「おはよう。学生は早起きだねぇ」
もう家を出て登校しようとした時後ろから腑抜けた声がした。いつも朝は寝てるから驚いた。
「そっちこそ今日は早起き」
「ちょっと嫌な夢見てね」
桃良さんが鬱陶しそうに前髪をかきあげた瞬間目の下にできたクマが見えた。
「行っちゃうの?今日はずっと家にいたら?」
寂しいよ、と腕を組み壁にもたれて俯きながら弱々しく呟いた。
「女呼べば?お前に呼ばれたらきっと喜ぶよ」
「君がいい」
ずっと俯いたまま目を合わせず今にも崩れてしまいそうに言う。これが計算か無意識かは知らない。でも確かにモテそうだなとは思った。残念ながら俺には刺さらないけど。
「知るかよ。日頃の行いが悪いからだろ。毎日女連れ込んで飽きねぇの」
嫌味たらしく吐き捨ててやった。桃良さんの顔見るとムカつく。どうせヘラヘラ笑ってるだけで成功者になれたんだろ。無条件に愛されて、俺みたいな落ちぶれた人間の苦労なんて知らないまま全部手に入れて。
「飽きないよ。昨日来てた物静かなあの人も、その前に来てた派手なあの人も。皆可愛いからね」
君もどう?そう言ってふわふわ笑った。君もどうって何がどうなんだ。意味分かんね。
︎︎というかいつも君とかあの人とか言ってるけど。
「名前、覚えてないんだ」
あまりに無慈悲な可能性に俺は目を丸めた。桃良さんは俺の顔をきょとんと見つめた後込み上げてくるように大声で笑った。口角を目いっぱい引き伸ばす。仰け反ったりジタバタ足踏みしたり、変な笑い方。
一頻り笑ったら深呼吸をしてケラケラと乱れた息を整えた。俺を面白いと評した後に、でもねと続けた。
「名前なんてただの飾り。それだけを見て評価するのは馬鹿がすること」
急に真面目な顔して見つめてくるから背筋を伸ばしてしまった。見つめた瞳に怒りが滲んでいて、初めてこの人が怖いと思った。
「それに、君も名前で呼ばれることを好まないでしょう?」
きゅうっと狐のように目を細め微笑む。笑っているけど瞳は怒ったままで息を呑んだ。
こうも核心を突かれると全てバレている気になって、心が読めるのかとすら考えた。鞄の持ち手を握る手に力が入る。
「本当に可愛らしいね。純粋で素直で、恋する女の子みたいだ」
桃良さんが静かに近づき、俯く俺の髪を耳にかける。一瞬触れるだけの口付けをされる。不健康なクマに似合わず、温かい人肌の滑らかさにトンと脈打った。
「黙れ!」
桃良さんの体を押し退け、未練がましく頬に添えられた手をはたいた。はたかれた手を呆然と見つめるのを無視してドスドス走って家を出る。夏は暑くて嫌いだ。
桃良さんはよく意味不明なことを言う。今日は暑いから一緒に寝ようとか。ゲーム中いきなり頬にキスしてきて理由を聞けばクリアしそうだったからとか。空が青くて死にたくなった、とか。
小説家は変な奴が多いってのはあながち間違ってないと思う。
外に出た瞬間ジリジリと熱気に包まれた。 眩しい光に導かれるように空を見上げると雲ひとつないまっさらな青が広がっていた。
今日のこれは、あの人が死を思う青なのかな。
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