第114話 こんな時間に何の用

 セネーレ王子には、子飼いの暗殺者が何人もいた。


 その供給元は、彼の母方の実家であるイブライア伯爵家だ。

 王国各地から攫ってきた幼い子供たちに、過酷な訓練と教育を施すことで、従順に命令をこなす戦闘奴隷を作り出している。


 その中には、暗殺者として育成される者たちもいた。

 邪魔な政敵を秘密裏に処理することによって、イブライア家は国内での権力を高め、ついには一族の娘を国王に嫁がせ、王子を産むまでに至ったのである。


 当然、セネーレ王子の存在は、イブライア家にとって何物にも代えがたい。

 そのため優秀な奴隷たちを、何人も彼に提供していた。


 今回、彼がエデルを始末するために仕向けたのは、その中でも圧倒的に有能な暗殺者である。

 確実に任務を果たしてくれるはずだった。







 深夜。

 英雄学校の敷地内に忍び込む、怪しい影があった。


 厳しいセキュリティが施されているはずの門を、その影はいとも簡単に通過する。

 守衛所にいた警備員たちも、まったく影の侵入に気づくことはできなかった。


 なにせその影は、影そのものなのだ。

 僅かな月明かりの中では、もはや夜の闇と完全に同化していると言っても過言ではない。


 地面を滑るように進んでいくその影は、やがて生徒たちが寝泊まりする学生寮へとやってきた。


 施錠されているはずの出入り口だが、影にとっては何の障害にもならない。

 微かな隙間をするりと抜けると、寮内へと侵入した。


 影は二階へと移動し、とある部屋の前までやってくる。

 そしてドアの隙間をすり抜けた。


「……?」


 そこで影は困惑した。

 なぜならこの時間、ベッドの上で熟睡しているはずの生徒が、どこにも見当たらなかったのである。


 ずるり、と。

 平面世界にしか存在しないはずの影が盛り上がったかと思うと、人の姿を形成していった。


 現れたのは、漆黒の装束に身を包む謎の男だ。

 無論、彼こそがセネーレ王子が仕向けた暗殺者である。


 闇の中、男の光る目が上下左右に素早く動く。

 しかしやはりターゲットを見つけることはできない。


「いない? 一体どこに行ったのだ……?」


 次の瞬間だった。

 彼が立つ足元の床が、突如として消失する。


「っ!?」


 そのまま重力に任せて落下し、男は硬い地面の上に着地した。


「ここは……?」


 かなり広い部屋である。

 先ほどの狭い部屋が十、いや、二十はすっぽりと収まるだろうか。


 だがこの建物の構造上、あり得ない場所だ。

 一体何が起こっているのかと戸惑う彼の前に現れたのは、まさしくターゲットの少年だった。


「どうも。こんな時間に何の用?」


 気軽に話しかけてくる少年――エデルに、男はさらなる困惑に陥る。

 完全に気配を消して侵入してきたというのに、明らかに待ち構えられていた様子なのだ。


「……どういうことだ? 一体どうやって、私の侵入を察した?」

「どうやってもなにも、そんなに殺気立って近づいてきたら分かるよね?」

「っ……」


 殺気立っていたと指摘され、男は一瞬返す言葉に詰まる。

 今回の任務において、いつも淡々と任務をこなす彼らしくないほどに、気持ちが入っていたのは事実なのだ。


「わ、分かるはずがないっ! 私の影魔法は完璧だったはずだ! そもそも影の気配を察知するなど不可能なはず!」

「影って言っても、背後にいるのは人間でしょ? 殺気はもちろん、緊張や焦り、疑問といった感情が必ず乗る。それを完全に消すのは不可能だよ。それに魔法で作り出したものなら、少なからず魔力も感知できちゃうし」

「か、仮にそうだとしても、そんな些細なものを感じ取るなど……」


 そのときだった。

 少年の背後から、予想外の人物が姿を現したのは。


「久しぶりだな」

「なっ……」


 男は思わず息を呑み、叫んだ。


「は、ハイゼン様……っ? なぜここにっ!?」


 そこにいたのは、英雄学校の元教師であるハイゼンだった。


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