第16話 質問はまた明日にしよう

「はぁ、ほんと、何であたしが……」


 アリスは頭を抱え、大きな溜息を吐いていた。

 もちろん先ほど、この学校の校長である祖母から押し付けられた厄介事のせいである。


 ただでさえ人付き合いが苦手だというのに、あんなどこの誰かも分からない少年、しかも恐ろしく常識の欠けた人間と、上手くやれるとはとても思えない。


 ――だってあなた、どうせまだ友達の一人もいないのでしょう?


 脳裏を過る祖母の言葉。


「……おばあさまには、あたしの気持ちなんて分からないわよ」


 胸の奥につかえた想いをぽつりと呟くアリス。

 それから何を思ったか、彼女は急に服を脱ぎ始めた。


「ああもうっ、お陰でぜんぜん勉強が捗らないじゃないの! ちょっと走ってくるわ!」


 どうやら気持ちを切り替えるため、外でランニングをしてくるつもりらしい。

 身に着けていた服を脱ぎ捨て、訓練用のものへと着替えようとした、そのときだった。


 トントントン。


「? 何の音かしら?」


 突然、壁から聞こえてきた謎の音に、眉根を寄せるアリス。

 先ほどの少年の部屋の方からである。


「壁を叩いてる? 何なのよ、うるさいわ――」


 次の瞬間、何もなかったはずの壁から、いきなり人間の手が生えてきた。

 すぐに頭、胴、下半身がそれに続く。


「アリス、聞きたいことがあるんだけど。入るよ?」

「は?」


 壁をすり抜けて部屋へと入ってきたのは、編入生のエデルで。


 何か分からないことがあったらノックして声をかけなさい、とは言ったが、まさかドアではなく壁をノックして入ってくるなんて、想定しているはずもない。

 思わずぽかんと立ち尽くしていると、アリスの姿をまじまじと見ながら、エデルが言った。


「何で服を脱いでるの?」

「~~~~~~~~っ!?」


 そこでようやく自分の格好を思い出したアリスの顔が、恥ずかしさと怒りで見る見るうちに真っ赤に染まっていく。

 さらにわなわなと全身を震わせ、


「こ、このっ……変態があああああああああああっ!!」


 雄叫びを上げながら、咄嗟に魔力を込めた拳をエデル目がけて突き出すアリス。

 

 ドオオオオオオオオオオオオオンッ!!


 轟音と共に拳から勢いよく放たれたのは、凝縮された魔力の塊だ。


「あっ!?」


 我に返ったときにはもう遅い。

 祖母譲りで、実は生まれつき常人の何十倍もの魔力を有するアリスは、魔力をそのまま放つだけで凄まじい威力となる。


 直撃すれば相手が死にかねない。

 だがこの至近距離では、躱すことなど不可能だろう。


 このままでは編入生を殺してしまう。

 しかし戦慄するアリスが目撃したのは、信じがたい光景だった。


「おっと」


 指一本。

 エデルがそれを、アリスが放った魔力の中心へと突き入れると、


 パァァァァンッ!!


 まるで針を刺した風船が割れるように、魔力があっさり四散してしまったのである。


「な、な、な……」

「びっくりした。いきなりどうしたの? もしかして都合が悪かった? 一応言われた通り、ちゃんとノックしたんだけど……」

「ノックってのはドアでするなんだけど!? 何で壁から入ってくるの!? ていうか、今どうやったのよ!? あと、こっち見んなああああああっ!」


 ベッドのシーツを強引に引っぺがし、慌てて裸体を隠すアリス。

 ツッコミどころが多過ぎてツッコミの渋滞を起こしている。


「え、ええと……ごめんね?」


 何か間違ったことをしてしまったらしいと察したのか、エデルはすごすごと壁の中へと戻っていった。

 その背中が完全に壁の奥に消えてしまった後、アリスは恐る恐るその場所に触れてみた。


 何の変哲もないただの壁の感触。

 手が壁の中に埋まっていくようなこともない。


「一体、何なのよ、あいつは……?」







 自分の部屋へと退却したエデルは小首を傾げていた。


「うーん、壁をすり抜けるのはダメなのかな? 便利なんだけど」


 魔界で暮らしていた家では、エデルもじいちゃんも壁抜けを当たり前に利用していたのだ。


「今後はドアの方からノックしないとなぁ。……にしても、あんなに怒らなくてもいいのに」


 じいちゃんと二人暮らしで育ってきたエデルにとって、家の中を裸でうろうろするのも日常茶飯事なのだった。


「仕方ない。質問はまた明日にしよう」

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