【第31話】ひとまずの和解

 野次馬をしていたクルーたちの間に上がる悲鳴。

 その悲鳴を聞きながら、俺は視界の片隅に映る殺気の籠もった白刃の軌跡を確認して最小の動きでその攻撃を躱した。


「まぁそう来るだろうとは思ってたよ、メアリー」


 自分では必殺の一撃と思い込んでいたのだろう。

 斬撃を躱されたメアリーが、愕然とした表情を浮かべていた。


「この……おまえぇぇぇっ!」

「いい。ソール。俺に任せろ」

「でもっ!」

「大丈夫だ。だから離れていて」

「……(コクッ)」


 何か考えがある――そう察してくれたのか、ソールは俺の指示に従って距離を取った。


「他の皆も手を出すなよ!」


 茫然とした状態から復帰したメアリーの斬撃を余裕を持って躱しながら、俺は周囲に待機を命じる。


「その余裕、いつまで持つか見物ですね……っ!」

「いつまでも持つさ」

「馬鹿にして……っ!」


 苦々しげな口調と共に肩口から振り下ろされる斬撃。

 その斬撃を指で弾き返した。


「なっ!?」


 指で――正確には指先から真っ直ぐに伸びた魔力の剣で、だ。


「付与魔法の応用さ。指を剣に見立て、魔力で見えない剣を生成して指先に付与する。魔法使いが近接戦で戦うときに使用する魔法の一つだよ」


 魔法の説明をしながら、俺はメアリーを挑発するために手招きした。


「ナルマとの決闘は君の勝利だ。だがそれで魔法を。俺たちを侮られるのもあまり良い気はしないからさ。俺が本当の魔法の力ってのを見せてやる」

「その余裕、不愉快です……っ!」


 吐き捨てるように言ったメアリーは、杖剣を素早く動かして宙に魔術陣を描いた。

 杖剣の切っ先が光ると同時に、宙に魔術陣が描かれていく。


「『氷弾アイス・バレット』!」


 陣が完成するのとほぼ同時にメアリーは力強く魔術の名を口にした。

 詠唱からコンマ数秒のタイムラグの後、宙に描かれた魔術陣が拳大の氷の弾を生成し、俺に向けて射出する。


(へえ……基本的な発動プロセスは魔法と良く似てるな。だけど魔力の動き方が少し変だ――)


 迫り来る氷弾を目標と定め、俺は素早く腕を横に振り払った。

 その動作と同時に目の前に氷弾が現出し、メアリーの放った氷弾めがけて飛翔する。

 互いの氷弾は宙でぶつかり、周囲に破片を撒き散らした。

 攻撃魔術を相殺されて驚愕するメアリーに向けて、俺は再度、挑発するように手招きした。


「くっ……!」


 整った顔を怒りに歪め、メアリーはすぐさま次の魔術の詠唱を始めた。

 杖剣で宙に魔術陣を描き、


風刃エア・カッター!」


 氷弾のときと同じように魔術の名を発生し、俺に向けて無形の刃を撃ち放った。

 その風刃を相殺するため、俺は腕を振り払って無詠唱で風刃を発動させて迫り来る見えない刃に向けて魔法を撃ち放った。

 次の瞬間、空中で衝突した風刃が乾いた音をたてて弾け飛んだ。


「そんなっ!? 詠唱もせず陣も構築せずに魔術を相殺するなんて……!」


 連続して魔術を相殺され、メアリーは茫然とした表情を浮かべた。


「さあ次は何? 炎か? 水か? 土か? それとも光か? 何だって構わないぞ。全部、相殺してみせる」

「やれるものなら……っ!」


 俺の挑発に激高し、メアリーは次から次へと魔術を行使する。

 『炎弾ファイヤーボルト』を相殺し、『束縛の鎖』を粉砕し――メアリーが繰り出す魔術の悉くを相殺すると、メアリーは『肉体強化』のような魔術を使用して接近戦を挑んできた。


「貴方を殺せば――!」


 肉体強化されたメアリーの一撃は重く、鋭い。

 次々と繰り出される覚悟を籠められた一撃必殺の斬撃を弾き、いなし――メアリーの心が折れるのを待つために防御に徹して猛攻を受け止める。

 やがてメアリーの手数が減り始めた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――」


 疲労からか、杖剣を構えることもできず、切っ先をダラリと床に向けたまま、メアリーは荒い呼吸を繰り返す。


「勝負あり、かな?」

「いいえ、私は、まだ……っ!」


 すでに体力は限界を迎えているのだろう。

 フラフラとした足取りで一歩踏み出すと、俺に向けて一撃を入れようと杖剣を抱え上げ……その杖剣を取り落とした。

 カランッ――硬質な音が訓練場に響き渡る。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――」


 疲労困憊の様子でメアリーは床に膝を突く。

 動かない身体で悔しそうな表情を浮かべながらも、その瞳はまだ力を失わずに俺を睨み付けていた。

 そんなメアリーに魔力の剣を突きつけながら、俺は疑問をぶつけた。


「隷属の首輪の条件が緩和されたタイミングで俺のことを狙ってくるのは予想していたよ。予想通り、君は俺を狙ってきた。だけど分からないんだ。俺を人質にして脱出すると予想していたけれど、君の初撃は殺気を孕んでいた。……ここで俺を殺したとして、その後、君自身がクルーに殺されることぐらい聡明な君なら予想していたはずだ。なのになぜ、俺を殺そうとした?」

「貴方を殺せば、それで全てが済むから……!」

「済む? 何が?」

「友達の苦しみが――!」


 そう言ったメアリーの表情が悲しみに曇った。


「アンジェリカはきっと今、苦しんでいる。貴方に殺された仲間たちの仇を取るために。自分を押し殺して貴方に復讐するために……!」

「なるほど。苦しむ友を助けるために、か。だけどやっぱり疑問だ」

「なにが疑問だと言うのです……っ!?」

「メアリーの友人は、自分を助けるために友達が自殺行為をすることを喜ぶやつなのか?」

「――っ!? そ、れは……」

「俺は君の友人のことは知らない。だけど理性的で聡明な君が友と呼ぶ者が君の死を喜ぶとは思えない。生きて君と再会してこそ、その友人は喜ぶんじゃないのか?」

「――」


 俺の指摘に言い返すことができず、メアリーは無言で俯いた。


「君が今、しなければならないことは何としても生き抜くことだ。生き抜いて敵である俺の情報を持ち帰ることがその友人のためになる。違うか?」

「違わ……ない」

「そうだろう? だからこそ俺はもう一度、君に提案しよう。君が生き残って友人と再会するために、魔法と魔術の情報交換をしないか? 公平で公正な取引として」


 言いながら、俺は魔力の剣をメアリーの喉元に突きつけた。


「それは――」


 喉元に魔力の剣を突きつけられながらもメアリーは逡巡していた。

 それも当然だろう。

 友人と再会を果たすために生き残る――そのためには『古き貴き家門』の秘密を提供しなければならないのだ。

 『魔法』という、『古き貴き家門』にとって未知の技術の情報を持ち帰ることができるとはいえ、判断の天秤に乗るのは貴族の矜持と己の命。

 普段のメアリーならば、例えどれだけ追い詰められようとも、躊躇せず貴族としての矜持を優先して取引を拒絶しただろう。

 だからこそ俺は剣を突きつけながら取引を持ちかけたのだ。

 メアリーではなく別の者に見せつけるように。

 そして案の定、俺の思惑は図に当たった。


「お、おおおお、お待ちになって!」


 シンと静まりかえって事態の推移を見守っていた野次馬たちの間を割って一人の少女が駆け出してきた。

 その少女はメアリーの傍に駆け寄ると、床にへたり込んでいたメアリーを守るように両手を広げて俺の前に立ちはだかった。


「この方を……メアリー様を傷付けるのお止めになってくださいまし!」


 決死の表情を浮かべたアミャーミャは友人を守るように立つと、必死の形相で懇願の言葉を吐き出した。


「魔術のことはこのわたくしが貴方にお教え致しますわ! ですから。後生ですからわたくしの大切な友人の命を奪うのは止めて下さいまし……!」

「アミャーミャ様、それは……っ!」

「良いのですメアリー様。例え仲間を裏切ったと後ろ指を指されようとも、わたくしはメアリー様のお命のほうが大切なのですわ。だからどうかお気になさらずに」


 背後で蹲るメアリーに泣き笑いのような表情を浮かべてみせたアミャーミャは、再び俺を振り返って口を開いた。


「もし、もしメアリー様を傷付けるというのなら、わたくしにも考えがありますわ!」

「へえ。どんな考えか聞かせてくれる?」

「もし貴方がこのままメアリー様を傷付けるのというのであれば、わたくし、この場で舌を噛みきって死ににゃすみゃ!」


 最後の最後で言葉を噛んだアミャーミャの顔が、白から赤へと見事なまでのコントラストを描きながら変化していった。

 アミャーミャの面白い――だが必死さの伝わる――脅迫にもならない脅迫の言葉に、俺はアミャーミャという少女の一端を垣間見た気がした。

 優しいのだ。この少女は。

 際限なく優しく、慈愛に満ちているのだ。

 その振る舞いは例え言葉を噛んでしまっていても、例え言った言葉が脅しになっていなくても、俺には清々しく、誇り高いものに見えた。


「それは困るな。なら約束だ、アミャーミャが魔術のことを教えてくれるのであれば俺は魔法のことを君たちに教えよう。そしてメアリーの立場を悪くするようなことはしない」

「……本当ですわね? 二言はございませんわよ?」

「ああ。約束しよう」

「……良いでしょう。ならばわたくしが貴方に魔術のことを――」

「アミャーミャ様。その先の言葉は私が言います」


 アミャーミャの背後で立ち上がったメアリーが、自分を守るように立ちはだかっていた友人の手を恭しく包み込んだ。


「貴女がその言葉を口にしてはいけません。この事態を招いたのは私なのです。責任は全て私が負います」


 そう言ったメアリーの顔には、決意とはまた違う穏やかな表情が浮かんでいるように見えた。


「ジャック。メアリー・ピスセスは貴方との取引に応じます」

「その申し出、承った。ではまずはこちらから、魔法の奇跡を見せてご覧に入れよう。契約コンフリクトの魔法だ」

「契約の魔法?」

「そう。お互いに契約を遵守するために制約を課す魔法だ。魔法についての質問に対し、俺は嘘を吐くことも誤魔化すこともできない。そして君も同じように魔術についての質問に対し、誤魔化しも嘘も弄することができなくなる。公平・公正を担保するための魔法だよ」

「……私のことが信じられないと?」

「信じるという言葉で人と人とのやりとり全てがスムーズに進むのであれば、こんな魔法は必要ないね。だけど違うだろう?」

「……確かに魔法とやらに対して無知な私では貴方の嘘を見抜けない。ですが貴方は違う。貴方はどうやら魔術について推測している節が見える。でもその契約の魔法とやらは私が一方的に得をする魔法なのでは? そんなことをして貴方にいったい何の得が?」

「誠意を見せる一環、とでも思ってくれれば良いさ」

「……分かりました。その提案、受け入れましょう」


 俺の説明に納得した訳ではないだろう。

 だが俺の提案に損はないと判断したのか、メアリーは小さく頷きを返してくれた。


「よし。なら俺に手の甲を差し出して。アミャーミャも」

「わ、わたくしもですのっ!?」

「ああ。一人でも二人でも特に負担は無いからな」

「……い、痛くはないですわよね?」

「痛みはない。すぐに終わる」

「わ、分かりましたわ……」


 怖々とした様子のアミャーミャと、普段と変わらぬ冷静な表情のままのメアリー。

 対極の二人が差し出した手の甲に指を当て、体内の魔力を高めて契約の魔法を発動させた。


「『契約』」


 その言葉と共に互いの手の甲が光を発し、『契約』を示す魔法陣が浮かび上がった。


「この魔法陣は魔術と魔法についての質問にのみ反応し、嘘偽りを述べることができなくなるよう精神に作用する。その効力の真偽については……まぁ情報交換をしている内に分かることだから割愛するとして、ひとまず契約期間は一ヶ月としている。その期間を過ぎれば魔法は消滅するから安心してくれ」

「これが魔法……。魔法とはいったい何なのですか?」


 手の甲に浮かんだ魔法陣を見つめながら、メアリーが早速質問を繰り出してきた。


「何、という質問は漠然だけど、敢えて答えるとするなら……そうだな。創世の女神がくれた贈り物さ」


//次回、07/22(金)18:00 に更新予定


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