【第26話】例え外道に堕ちたとしても

 ジャック一行が第七辺境宙域へと移動を始めた頃――。

 カリーンステーションでギルドへの事情聴取を終えたアンジェリカは、先行するラーズ艦隊に追いつくために速度をあげ、第七辺境宙域に差し掛かろうとしていた。


「失礼します」


 艦長室で資料に目を通していたアンジェリカの耳に、最近、ようやく聞き慣れ始めた女性の声が届いた。


「ウルハ・イツトセ、お召しにより参上致しました」

「待っていたわ」

「はっ! お待たせしてしまい、申し訳ありません!」


 明朗な声で謝罪したウルハは、背筋をピンッと伸ばした状態でアンジェリカに頭を下げた。

 その勢いで束ねた後ろ髪ポニーテールが宙に弧を描く。

 女性の名はウルハ・イツトセ。

 高速巡洋艦『アルフォンス』でアンジェリカの副官を務めている。

 歳の頃はアンジェリカよりも上で現在、二十三歳。

 階級は准尉だ。

 歳の割には幼い見た目をしており、年下のアンジェリカの方が年上に見られることも少なくない。

 『アルフォンス』に搭乗して以降、ウルハは誠心誠意アンジェリカに仕え、アンジェリカもまたこの副官に信を置いていた。


「謝らなくても大丈夫よ。私の都合で急に呼び出したんだから」

「いえ! 上官であり高位貴族でも在らせられるアンジェリカ様の命令には、何を置いても即推参するのが当然であり、この度の遅参につきましては私が無能が故でありまして――」

「ああ、もう。そういう堅苦しいのは止めてって言ったでしょ? 貴女は何も謝らなくても良いの。分かった?」

「し、しかし――」

「しかしもおかしもないの。……ほら、座って」

「……ハッ!」


 アンジェリカに着席を促されたウルハは敬礼した後、恐る恐るといった様子でソファーに腰を下ろした。

 アンジェリカはソファーに座ったウルハの前に、手ずから淹れた紅茶のカップを差し出す。


「私が淹れたものだから味は保証できないけど……」

「い、いえ! アンジェリカ様が淹れてくださった紅茶ならば、きっと天国への階段を昇るほどのお味なのは確定的に明らかですので! 遠慮無く頂きます! アチッ!」


 思いの外紅茶が熱かったらしく、ウルハは涙目になりながらカップから口を離した。


「ううっ、すみません……猫舌なもので……」


 申し訳無さそうに謝罪しながら、ウルハはカップに向かってフーフーッと息を吹きかける。

 そんな副官の様子を微笑みながら見つめていたアンジェリカは、だがすぐに姿勢を正してウルハに相対そうたいした。


「アルフォンス所属の空間騎兵隊の訓練は順調かしら?」

「はい。アルフォンスには主に銀河連邦宇宙軍からの出向組が搭乗しておりますから。私の部下も全員が宇宙軍出身の者です。余計な軋轢もなく、訓練に従事しております」

「それは良かった」

「ただ――一部の者たちとの連携は困難な状況ですね」

「一部というと……サジタリウス家の私兵の者たちのことね?」

「はい。アンジェリカ様の艦であるアルフォンスに搭乗している海兵隊は、全てサジタリウス家の私兵です。彼らはラーズ司令官には忠誠を誓っていますが、それ以外の者を蔑んでいるように感じます。その心中が態度や言動に出ていますからね」

「宇宙軍から出向してくれているクルーたちを見下している、と?」

「それは、ええ。あくまで私見ではありますが」

「なるほど。……『古き貴き家門』の悪癖ね」


 『古き貴き家門』に名を連ねる十二の貴族家は、銀河連邦の中で特別な権力や影響力を持つ集団だ。

 特別な権力を持つその十二家に雇われている私兵たちの間でも、自分たちは特別な兵士であるという認識が蔓延している。

 十二家に仕えている私兵たちは、自分たちは銀河連邦の最高権力者たちを守っている最精鋭の兵だという自負を持ち、その反動として、銀河連邦軍の兵を下に見る傾向があるのだ。

 ウルハはそのことを言っていた。


「も、もちろんアンジェリカ様は違いますよ? 十二家門の方ではありますが、私たち銀河連邦軍の兵たちを平等に扱って下さいますし、その……私ごときが言うのも憚られますが、評価している、というか尊敬しているというか……と、とにかく私はアンジェリカ様に忠誠を誓っておりますから! はい、その点はご安心ください!」

「ふふっ、ありがとう。だけど……艦内に不和があるというのは、いざ戦闘になったときに不安ね」

「それはそうなのですが……私兵たちに対しては私には指揮権がありませんから、どうにもしがたく――」

「……分かったわ。報告してくれてありがとう、ウルハ准尉」

「は、ハッ! 有り難きお言葉!」

「ところで……それを踏まえて貴女に一つ、頼みたいことがあるの」

「ハッ! 何なりとお申し付けください!」

「……そうやって即答してくれるのは嬉しいのだけれど。少しは疑問を持った方が良いのではなくて?」

「疑問、ですか? えーっと……はっ!? 私に頼み事というのは何なのでしょうか?」


 アンジェリカに指摘されたウルハはしばらく思案に耽ると、ああそうか、とでも言わんばかりに目を丸くして口を開いた。

 信頼している副官の様子に呆れながらも、アンジェリカは好意的な微笑みを浮かべて言葉を続ける。


「先ほど話題にも出たサジタリウス家の私兵のことだけれど。彼らはラーズから密命を帯びていると私は考えているの」

「アンジェリカ様が仰るラーズとはラーズ・サジタリウス侯爵、そして討伐艦隊の司令官でもあらせられる、あのラーズ様で間違いないですか?」

「ええ。サジタリウス侯爵家の次男。彼はこの討伐艦隊の戦果を持って元老院に働きかけ、侯爵家の後継者の地位を奪おうと考えている。……私たち高位貴族の間ではそう噂されているわ」


 アンジェリカがこの情報を得たのは、タウルス家の嫡男であり、討伐艦隊の参謀長を務める、トーマス・タウルスからだった。

 トーマスは侯爵家の次男であるラーズが討伐艦隊を結成した経緯を独自に調べ、ラーズの意図をほぼ正確に見抜いていた。

 功を一人占めするのではないか――そんな危惧を抱いたトーマスは様々な情報を集めたが、トーマス自身は男爵家の人間だ。

 身分の差もあってラーズの行動を掣肘することは難しい。

 そこでトーマスはラーズよりも上位の貴族である公爵令嬢アンジェリカに情報を流して共闘を呼びかけた。

 アンジェリカは武功にはさほど興味は無い。

 だがあの戦場で散った仲間たちの仇であるジャック・ドレイクを、自らの手で殺してやりたい――そんな暗い憎悪を燃やしているアンジェリカにとって、トーマスから聞かされたラーズの思惑は邪魔でしかなかった。

 そこでアンジェリカはトーマスと秘密裏に共闘関係を結び、ラーズの思惑を牽制した上で彼よりも先んじて賊討伐を為そうと決めていた。


「私は賊をこの手で討ちたい。宇宙に散っていった仲間たちの仇をこの手で討ちたいの。だから私はチャンスがあれば独断専行をしてでも賊を仕留めるために動くつもりよ。でも、そのためにはアルフォンスに搭乗しているサジタリウス家の私兵たちが邪魔なの」

「……なるほど。つまりアンジェリカ様は、その時はアルフォンスに搭乗しているサジタリウス家の私兵たちを、銀河連邦軍から出向している者たちで掣肘せよ、と仰りたいワケですね」

「ええ。……貴族同士の揉め事に巻き込むのは辛いのだけれど、私には信頼できる部下が少なくてね。貴女だけが頼りなの」

「信頼できる……っ! お、おおおお任せくださいアンジェリカ様! 不肖、ウルハ・イツトセ、アンジェリカ様の副官として、いやさウルハ・イツトセ個人として! 貴女に忠誠を誓っておりますれば、貴女様の願いを叶えるためならば、この命を賭けてでも成し遂げてご覧に入れましょう!」

「ま、待って待って! 命は賭けなくても良いから! そこまでして貰わなくても大丈夫だから!」

「いえ! 私のような平民を副官に抜擢してくださった恩。そして身分差があるにも関わらず、銀河連邦軍に所属する兵を公平に扱ってくださっている恩! 多くの恩を受けている私たち出向組にとって、アンジェリカ様の願いを叶えるために命を賭けるのは当然至極であります! きっとアンジェリカ様の願いを叶えてご覧に入れましょう!」

「ウルハ……ごめんなさい。ありがとう……頼りにさせてもらいます」

「はっ!」


 満面の笑顔を浮かべて敬礼するウルハを、アンジェリカは複雑な笑顔を浮かべて見つめていた――。


 やがてお茶を飲み干したウルハが艦長室を出て行ったあと、アンジェリカは机に突っ伏して身体を震わせていた。


「ごめんなさい、ウルハ……。貴女の忠義、私はずっと覚えておきます。きっと忘れませんから……だから許してください……!」


 溢れる涙には理由があった。


(任務を達成した後、平民の兵は皆、魔術の存在を秘匿するために全ての記憶を消されてしまう……。貴女は私のことなど覚えてもいないようになってしまうでしょう)


 どれほど慕ってくれていようが、どれほど忠誠を尽くしてくれていようが、任務達成後、平民の兵たちは記憶を消された上で辺境への異動を命じられる。

 それが十二家門の通例だった。


(私たち『古き貴き家門』は魔術の存在を秘匿するために非人道的な行いをしてきた。今更、私が自分の正義感を振りかざしたところで変わることはない。だけど――!)


 戦場で背中を預けた者たちでさえ例外なく記憶を消去し、十二家門との関わりを消し去って辺境に飛ばし、そして二度と中央に戻ることを許さない――その行いはあまりにも非道が過ぎる。

 そう思っているのにアンジェリカには通例を覆すような力もない。

 自分の無力さに打ちひしがれ、アンジェリカは無言で涙を流す。


(泣いたところで、私には何も変えることはできない。それは分かっているわ。でも……)


 『古き貴き家門』というのは何なのか。

 平民や奴隷たちをまるで物のように扱い、利用するだけして必要でなくなったら簡単に捨て去る集団が銀河連邦を牛耳っているなど、あって良いことではないはずだ――。

 だがアンジェリカ自身、その権力者集団の中で様々な恩恵を受けて生きてきたのだ。

 否定したいのに、否定できない――そのジレンマがアンジェリカの心をきつく締め付ける。


「だけど私は――」


 自分の矜持が汚泥にまみれ、悪意によってドロドロに穢れていくのを感じながら、アンジェリカは顔を上げた。


「私自身の思想や理想なんて、もうどうでも良い。メアリーたちの仇を討つためならば外道になっても構わない……っ!」


 あのとき受けた顔の傷。

 その傷がじりじりと痛むのを覚えながら、アンジェリカは湧き上がる苦しみを堪えるようにきつく拳を握り締めていた――。


//次回更新は 06/17(金)18:00を予定

//但し、ストーリーストックの都合上、延期する可能性があります。

//何卒ご了承くださいませ


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