【第11話】復讐者
【第二幕二章二節】復讐者
「うっ、くっ……んっ……ここ、は――」
視界の向こうに広がる豪奢な天蓋。
王侯貴族のような豪奢な天蓋付きベッドの上で、一人の少女が苦しげな声と共に目を覚ました。
「ああっ! お嬢様! お目覚めになられましたか……っ!」
「ジル……?」
「はいっ、ジルでございます! 貴女様の忠実な侍女、ジルでございますよお嬢様! 少しお待ちくださいね。すぐに公爵様をお呼び致します!」
ジルと呼ばれた初老の女性は捲し立てるように言うと、少女に背を向けて部屋を飛び出していった。
その後ろ姿を見つめながら、少女は自分の身に何が起こったのかを朧げに思い出していた。
「そう、か……私はあれから気を失っていたのね……」
轟沈するサン・シーロから脱出したアンジェリカは、敗残兵をまとめ上げ、後方に待機していた近衛軍の補給艦に合流した。
死の恐怖に直面した多くの候補生たちを、自分のことは後回しにして励まして回っていたアンジェリカは、『アルトネリコ』への帰還を果たすと同時に気を失ったのだ。
「ここはどこかしら……? 私は……」
自分の居場所が分からず、身体を起こそうとしたアンジェリカが、悲鳴にも似た声を上げる。
「痛っ……」
顔の左側に引き攣るような痛みを感じてそっと手を当てると、掌に布の感触が伝わってきた。
「包帯……そっか。そう言えば私、怪我してたんだ……」
布の冷たい感触に、アンジェリカは爆発する艦橋の中でモニターの破片に当たった時のことを思い出した。
「ははっ……公爵令嬢が顔に傷だなんて。もうお嫁に行けそうにもないわね。元々、そのつもりも無かったけれど。でも――お父様とお母様に心配、掛けちゃったんだろうな……」
自嘲気味に呟きながら、アンジェリカは力無く笑った。
そのとき、扉の向こうから何者かが走ってくる足音が聞こえてきた。
それと同時に扉が大きな音をたてて開き、一組の男女が姿を現す。
「ああっ! アンジェ! 無事で良かった!」
豪勢なドレスを身に纏った中年の女性――アンジェリカの母が、涙で顔をくしゃくしゃにしながらベッドに横たわるアンジェリカに覆い被さる。
「お母様……ご心配をお掛けしました。お父様も」
「うむ。だが今は良い。とにかくお前が無事で良かった」
「無事なものですかっ! 顔にこんな傷を負ってしまって……アンジェリカがお嫁に行けなくなってしまったんですよ!」
妻のヒステリックな叫びを苦々しい表情で受け止めていた男性が、後悔するかのように大きな溜息を吐く。
「分かっている。やはり士官学校になど行かせなければ良かったと、後悔しているところだ……」
「そうです! だから私は反対したのです! なのに貴方は……っ!」
「お母様! お父様も。それはもう済んだ話のはずです」
「そんなことはありません! もし士官学校などには行かず、リリガーデン学園に通っていればこんなことには……っ!」
リリガーデン学園とは、十二家門の子女たちが通う貴族専用の学園のことだ。
アンジェリカは両親からその学園に通うように言われていた。
だが十二家門の公爵令嬢としての責任を果たしたいと考えたアンジェリカはその提案を拒否し、無理を押して『アルトネリコ』士官学校への入学を決めたのだ。
結果、アンジェリカは顔に傷を負ってしまったのだから、両親が愚痴を零すのも仕方のないことだろう。
だが――。
「お母様。私はやはり士官学校に。『アルトネリコ』に入学して良かったと今でもそう思っております」
「そんな……! あれだけ美しかった顔に傷を負ってまで――」
「顔の傷などどうでも良いのです。私は戦場に出て、この世界の真実を学びました。……我ら『古き貴き家門』が導く平和な世界を覆さんとする輩がいることを」
「そんなものは軍に任せておけば良いのです! 貴女が顔に傷を負ってまですることではありません!」
「いいえ。『古き貴き家門』筆頭であるライブラ公爵家の後継者として、私がやらなければならないことです!」
「そんなもの……っ! 貴女はどれだけ意固地になれば済むのです! 母は貴女をそんな風に育てたつもりはありません!」
「そうですね。毎日毎晩、お茶会や舞踏会に出席するお母様に育てられた覚えは私にもありません。子供の頃から私の傍に居てくれたのは昔も今も、ジルだけですから」
「貴女は! 親に向かってなんてことを……っ!」
部屋の中に響く乾いた音。
頬を押さえながらアンジェリカは母を睨み付けた。
「貴女のように、毎日遊びほうけるような貴族が居るから! 私は士官として十二家門に尽くそうと決意したのです!」
「まだ言いますか!」
娘を打擲するために振り下ろそうとした腕を、隣に居た男がサッと掴んでその行為を辞めさせた。
「やめなさい……っ!」
「ですが貴方っ!」
「良いから。おまえは少し落ち着きなさい。……アンジェリカ。顔の傷以外にどこか痛いところはあるか?」
「いいえ。身体のほうは問題ありません」
「そうか。ならば良い」
「良くはないと、私は――!」
「いいからお前は黙っていなさい。……アンジェリカ。私はおまえの行動についてとやかく言うつもりはない。望むようにすれば良い」
「はい。そのつもりです」
「但し、だ。一つだけ約束しておくれ」
「約束、ですか?」
「ああ。アンジェリカが持つもう一つの名、フィリス。その名に恥じぬ振る舞いをすると。そう約束して欲しい」
「それは……」
フィリス。
それは十二家門の始祖と言われるライブラ家の先祖よりも更に時代を遡り、遥か昔――それこそ御伽噺の時代に存在したと言われる、ライブラ家の家祖。
フィリス・ライブラ。
勇者と共に世界を平和に導いたと言われる聖女フィリスの血を引く者として振る舞え、と。
公爵はそう言っているのだ。
だが、その言葉はアンジェリカには到底受け入れられない言葉だった。
「父上。残念ながらそれはお約束できません」
「それはなぜだ?」
「私……私は、仲間たちの仇を討ちたいのです。敵を赦し、手を携えた聖女フィリスと同じことは、私には――」
できない。
アンジェリカがそう答えようとしたとき、部屋の外から大きな声が聞こえてくる。
「よくぞ言った! それでこそ我らがクラス委員長だ!」
その声と同時に扉が開き、大柄な男がズカズカと遠慮もせずに入室してきた。
「ラーズ! 貴方、無事だったのね!」
「当たり前だ。俺があの程度のことでくたばるものかよ」
「良かった……。他のみんなは?」
「クラスの半数はなんとか助かった。だが残りの半分は――」
「そう……。そうだ、メアリーは? メアリーは助かっているのっ!?」
「残念だが、ビスセスのあの女はMIAリスト入りだ」
「そんな――!」
「作戦行動中行方不明者リストに掲載されたものが、後日、無事に戻ってきた例は殆どない。つまりそういうことだ」
追い打ちでも掛けるように言ったラーズが、ベッドに上半身を起こしていたアンジェリカの胸ぐらを掴む。
「これも! 全て! 貴様の指揮のせいだ! 分かっているのか、アンジェリカ・ライブラ!」
「……っ!」
「貴様のせいで! クラスの仲間の半分が宇宙に屍をさらしたんだ! それなのに貴様はなぜ貴族病棟のベッドの上でのうのうとしているのだ!」
吐き捨てるように言うと、ラーズは投げ捨てるようにアンジェリカを突き放した。
「……と、言いたいところではあるが、俺もそこまで暇ではない。アンジェリカ、おまえ、俺に手を貸せ」
「手、を……?」
「そうだ。俺はサジタリウス家の私兵を使って、賊の討伐のために艦隊を編成するつもりだ。そこでおまえを副長に任命してやる」
「それは――」
ラーズの提案を受け入れるのはサジタリウス家の家人になるも同義だ。
公爵令嬢という立場と士官候補生という二つの立場を投げ捨て、サジタリウス家に忠誠を誓わなければならない。
十二家門の連枝の義務として、銀河連邦軍に入隊することを目指していたアンジェリカにとって、その提案はあまりにも無法だった。
だが。
それを重々承知した上で、心の中に燃える復讐の心はアンジェリカに提案を受け入れよと囁く。
親友を。
メアリーを殺した相手に復讐をなす。
それこそが今の自分が成し遂げなければならないことではないのか。
「クラスの生き残りたちは殆ど、俺の誘いに乗ったぞ」
「え……」
「これは復讐だ。弔い合戦だ。クラスの仲間たちが非業の死を遂げることになったあの賊を血祭りにあげ、その血をもって死んでいった友を弔ってやらなければならない。それは十二家門に連なる貴族の責務。違うか?」
そう言ってラーズは不敵な笑みを浮かべる。
その不敵な表情は、今のアンジェリカにとって好ましく映った。
「……良いわ。貴方に協力しましょう」
「よし。艦長は俺。おまえは副長。決まりだな」
「ええ。でもそれだけじゃ足りないわ」
「あのイキリ眼鏡にも参謀をやらせる予定だ。後は我がサジタリウス家の家人たちを宛てる。おまえが心配することはない」
「出航はいつ?」
「おまえが退院したらすぐにでも」
「そう。なら今日ね」
そう言うとアンジェリカはベッドから降りてボロボロになった軍服を肩に掛けた。
「ふんっ、剛毅なものだ。だがそれでこそ俺が見込んだ女だ」
満足げに頷くと、ラーズは複雑な表情で事態を見守っていた公爵に向けて恭しく一礼してみせた。
「フッ……ではライブラ公爵閣下。ご令嬢は我がサジタリウス家が責任を持ってお預かりさせて頂きましょう」
「……ラーズ、貴様、何を考えている?」
「十二家門に連なる者として、戦場で
「口の減らぬ餓鬼めが!」
「フンッ、なんとでも。……行くぞアンジェリカ」
侮蔑するように鼻で笑ったラーズは、振り返りもせずにかつかつと足音高く部屋を出て行った。
「アンジェリカ。おまえは本当にそれで良いのか? ライブラ公爵家の後継者であるおまえがサジタリウスの家人になどなって……いいや、それよりもだ。あのような世間知らずの子供の下について、それでお前は満足なのかっ!?」
父の問い掛けに答えず、アンジェリカは毅然と前だけを向いていた。
「お父様。お母様。今までありがとうございました。育ててくれたこと、感謝しております。ですがアンジェリカ・フィリス・ライブラは、前の戦いにおいて戦死したと、そうお考えください。……どうぞご壮健に」
淡々とした口調で両親に別れを告げると、アンジェリカは後ろを振り返らずに部屋を出て行った――。
//次回、03/04 19時更新予定
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