【第2話】ジャック・ドレイク

【第一章】ジャック・ドレイク


 ――そんな前世の記憶を、自分の十歳の誕生日パーティーに参加している最中に思い出した。


(そういや生まれたての赤ん坊では魂の強度が低いから、十歳になるまで前世の記憶を封印してたんだった……)


 無事に転生魔法が発動できて良かった。

 今の俺はジーク・モルガンの転生した姿。

 フランシス・ドレイクの三男、ジャック・ドレイクだ。

 だけど――。


「まさか転生した時代が、前世で死んだときから五千年も経過した時代だったなんてなー……」


 世はまさに宇宙世紀1180年。

 剣と魔法の世界だったはずのルミドガルズは、いまや人類の殆どが宇宙で暮らす宇宙開拓時代となっていた。


(人類が宇宙に進出してすでに千年以上が経過しているとか。どうしてこうなった……)


 周囲を見渡すとメイドタイプの機械人形オートマタがパーティに参加している者たちの世話をし、メインステージではホログラムで俺の誕生から今日までの成長映像が垂れ流されている。


(なんかヤバイことになってそう……)


 なぜこんな時代に転生したのか?

 その原因はなんとなく想像できている。


「ステータス」


 魔力を籠めて小さく発した言葉に呼応するように、目の前に小さなウィンドウが表示された。


(これが俺の今のレベル、と……レベル5は十歳としてはまぁまぁ高いレベルだ。一番大事なのはスキルなんだが……うまく引き継ぎできてるかな)


 ステータスウィンドウのスキル一覧を確認すると、


 分析アナライズ

 無限収納インベントリ

 『全てを識る者アルヴィース

 魔法の神髄

 錬金術の神髄

 精霊の愛し子

 神の使徒

 魔道具マギクラフト職人マイスター


 などなど。

 他にも剣聖やら大賢者やら大錬金術師やらに付随するチートスキルがズラズラと並んでいた。


(よし、スキルの引き継ぎも成功してる。うーん我ながらチートだ。強くてニューゲーム十周目ぐらいのステータスだな)


 チートスキルが並んでいるなか、ひっそりと表示された一つのスキルがあった。

 女神ユーミルの加護『幸運』。

 効果は『ちょっぴり幸運になる』だ。


(こんな……こんなしょっぱい加護を与えるために転生魔法に干渉してきたのかよ、ユーミルのやつ……っ!)

 

 お陰で俺は宇宙世紀を生きるハメになってしまったよ!


(はぁ……どこまでいってもどこかヌケてる、ユーミルらしいよホント)


 呆れはするものの、創世の女神ユーミルらしい優しい気遣いに心の中がホワッと温かくもなったのも事実だ。


(まぁイレギュラーはあったもののこれで無事、転生は完了と。だけど……今の時代のことはあまり把握できてないんだよな)


 明日からは情報収集をしないと。

 ――と、頭の中で明日からの予定を考えていると、


「おお、ジャック! 我が愛しの三男坊よ! 十歳の誕生日おめでとうだ!元気に育ってくれて父は心の底から嬉しいぞぉぉぉぉぉ!」


 そんな声と共に力強い腕に抱き締められた。


「あ、あははっ、ち、父上! 痛い、痛いですよ!」

「ガハハッ、すまんすまん! 久しぶりに会えたからついつい嬉しさが爆発してしまったわ!」

「もう。俺はまだ子供なんですから、少しは加減してください」

「ガハハッ! 悪かった悪かった! あまり傍に居てやれないから、こんなときぐらい父の愛を伝えてやりたくてな!」

「大丈夫です。ちゃんと伝わっていますよ」

「うむ。そうかそうか。ならば重畳だ! ガハハッ!」


 隻眼で髭面の強面。

 顔にも身体にもいくつもの戦傷が残り、圧のある佇まいを纏う初老の男。

 この男こそ、宇宙船一隻で無法者たちと渡り合って武功を積み重ね、やがて大海賊団を立ち上げた男、今世の父であるフランシス・ドレイク子爵だ。

 ドレイク子爵家はソル系第七辺境宙域に存在する惑星『ダラム』の衛星の一つを根拠地とする宇宙海賊。

 『ダラム』を支配する貴族『リンドン伯爵家』と縁を持ち、私掠船免状を発行されている公的な宇宙海賊だ。

 父上であるフランシス・ドレイクはそのドレイク一家を率いる頭領として『ダラム』周辺宙域の治安維持の仕事に就いていた。


「そう言えば父上。先日の出撃で違法武器商人の商船団を摘発したとか」

「うむ。複数の傭兵団を護衛につけていてダラム本星所属の警備隊では手が出せなくてな。我らにお鉢が回ってきた仕事だが……それはまたおいおい話してやろう」

「はい! 父上の武功ばなし、楽しみにしています!」

「うむうむ! 楽しみにしておけ! ガハハッ!」


 久しぶりに息子と話せて嬉しいのだろうか、なかなか解放してくれない姿に業を煮やしたのか、


「お父様。そろそろわたくしたち兄姉きょうだいにもジャックをお祝いさせてくださいませ」


 燃えるような赤い髪を靡かせながら呆れ口調で抗議したグレース姉上が、父の背後から顔を見せた。


「おおっ、グレースか。すまんすまん。なにせ一ヶ月ぶりにジャックの顔を見たからな。愛情が爆発してしまったわ」

「全く。お父様の過保護にも拍車が掛かっていますわね」

「なんだグレース? ヤキモチか? ガハハッ! 心配するな。我が子たちへの愛情は平等公平に注ぐつもりだぞ! なんだったら今日は久しぶりに一緒に風呂にでも――」

「お・父・様?」


 デリカシーのない物言いに、姉上は眉をピクピクさせながら険のある声で父上を威圧した。


「娘とはいえ、わたくしはもう立派な淑女レディですのよ? そのような海賊流の話題はご遠慮願いたいものですわ」

「そんなぁ、グレース、パパは寂しいぞぉ……っ!」

「ああ、もう面倒臭い……!」

「ははっ、父上は叩き上げの海賊だから。貴族位をもらっているからといって本質が変わるものじゃないよ」

「アーサー兄上!」

「やあジャック。十歳のお誕生日おめでとう」

「ありがとうございますアーサー兄上!」


 長兄であるアーサー兄上のお祝いの言葉を皮切りに、兄姉たちが一斉に駆け寄ってきてくれた。


「おめでとう、ジャック」

「ハリー兄さん、ありがとう!」

「ジャックおめー」

「エラ姉さんもありがとう!」

「ちょっと! わたくしが一番はじめにジャックのお祝いをしようと思っていましたのに――!」


 そう言って父上から離れて駆け寄ってきたグレース姉上が、俺のことを優しく抱き締めてくれた。


「ジャック。お誕生日おめでとうございます、ですわ」

「グレース姉上、ありがとうございます!」


 髪をくしゃくしゃと撫で付けられながら、姉上に感謝の言葉を返す俺の姿に、父上は遠くで満足そうにうんうんと頷いていた。

 そんな中、一人の女性が幼い少女を抱きながら近付いてきた。

 女性は今世の俺の母親、エミリー・ドレイク。

 そして母さんに抱きかかえられているのは、血の繋がった妹のシャーロット・ドレイク。

 まだ四歳の女の子だ。


「ジャック。十歳のお誕生日おめでとう」

「にーちゃ、おめと!」

「母上、それにシャーロット。お祝いありがとう……!」


 血の繋がった肉親のお祝いに感極まっている俺を、腹違いの兄姉たちが優しく見守ってくれていた。


「うむうむ。兄弟姉妹仲良しで良い良い。俺は本当に幸せ者だ……!」


 そういうと父上は目を潤ませながら俺たち兄姉を抱き締めてくれた。


 ――その光景をつまらなそうに眺めている者も居る。

 父上の第一夫人オリヴィアと第二夫人エヴァの二人だ。

 二人は平民出身の俺の母上のことが気に入らず、その息子と娘である俺とシャーロットのことも敵視していた。


(腹違いの兄上、姉上たちとは仲が良いっていうのが唯一の救いだ)


 兄姉たちの温かなお祝いの言葉があれば、例え夫人たちに嫌われていようが別にいい。

 愛する両親と愛する兄姉たちを大切にしていこう――新しい人生を楽しく過ごすために。




 誕生日パーティもたけなわとなっと頃、


「十歳になったジャックに頼みたいことがある」


 そう言いながら父上はメイド服姿の少女を連れてきた。

 その少女はピンッと尖った耳を持ち、怯えた瞳で周囲を窺っていた。

 少女の首には特徴的な器具が装着されている。

 それは奴隷の証である首輪だ。


「『アールヴ』の奴隷ですか」


 アールヴとは亜人種に属し、人と共存している種族――とこの時代では言われている。


(だけど実際に見てみると……完全にエルフだよなぁ。数千年の間に名称が変化したのかな? ちょっと見てみるか。分析アナライズ


【個体名】リリア

【種 族】ハイエルフ

【年 齢】190歳

【生命力】120

【魔 力】1300

【筋 力】12

【敏 捷】37

【耐久力】9

【知 力】48

【判断力】21

【幸運値】39

【スキル】拘束具によって封印中


(この子、ハイエルフなのか。それでこんなにも魔力が……)


 前世ではハイエルフはエルフの上位種として存在し、亜人というよりも妖精種に近い種族だ。

 滅多に人前には現れない種族で、前世ではハイエルフの長老と平和交渉をするために世界のあちこちを探し回ったものだ。

 そんな希少種族がどうして奴隷なんかに?


「さきほど話したが、この子は先日から展開していた違法武器商人の摘発作戦で保護した子だ。身元が不明なこともあるが、どうやら過去の記憶を失っているようでな。我が家で保護することになった」

「なるほど。それはまた――」


 チラッと第一夫人、第二夫人の様子を確認すると、あからさまに嫌そうな表情で父上を睨み付けていた。


(相変わらず気位の高い人たちだなあ)


 惑星『ダラム』の支配者である『リンドン伯爵家』の娘として嫁入りした第一夫人オリヴィエと、ダラムの隣の惑星『ランクス』の権力者『ダドリー男爵』の娘である第二夫人エヴァ。

 両者とも身分にやたらうるさい人で、視界に亜人奴隷の姿を入れるなど我慢ならないとでも言うようにそっぽ向いている。

 そんな夫人たちの態度を無視して父上は話を続けた。


「他の子供たちの側仕えにするには色々と反対があってな。どうしたものかと悩んでいるのだ。もしジャックが良ければ頼まれて欲しい」

「なるほど」


 二人の夫人の子供である兄姉たちと比べて、俺の母であるエミリーは平民出身だ。

 それを考えれば父上の判断も妥当といえる。


「もちろん、ボクで良ければ喜んで」

「そうか……助かるジャック! 頼んだ!」

「はい!」


 大きく頷いたあと、俺は少女に歩み寄った。


「初めまして。俺の名前はジャック。ジャック・ドレイクだよ。まずは君の名前を教えてくれるかい?」

「……」


 差し出された手を握ろうともせず、女性は警戒するような眼差しで俺を観察していた。

 頬は痩せこけ、手足は痛々しいほど痩せ細った少女は、きっと奴隷として酷い扱いを受けていたのだろう。

 警戒するのも当然だ。


「大丈夫。安心して。君にひどいことはしない。約束するよ」

「う……あ……ほ、んとに……?」

「ああ、本当だ。君はこれから俺のメイドとしてこの家で生活するんだ。ご飯もちゃんと食べられるし勉強だって俺が教えてあげる。だからもう安心して良いよ」

「う、あ……あ……」


 俺の言葉を聞いた女性は、安心したのか目に涙を浮かべる。


「まずは名前を教えてくれる?」

「あ……リ、リア……」

「そっか。リリアって言うのか。綺麗な名前だね!」

「う……あ……」

「改めて。俺はジャック。ジャック・ドレイクだ」

「……」


 手を差し出すも、警戒して握手してくれないリリアの手を強引に握り、


「これからよろしく!」


 リリアの手を両手で包み込むと、そこでようやくリリアはほんの少しだけ力を籠めて手を握り返してくれた。



---

それから三年後。




 コンコンッ――。


「ご主人様、失礼します」


 礼儀正しく入室の挨拶をしながらリリアがやってきた。


「お茶をお持ちしました」

「ありがとう。ふぅ……」


 開いていた本を閉じてソファーに移動すると、リリアが丁寧な手付きでカップに紅茶を注いでくれた。


(リリアがメイド修行を始めてから、もう三年かー)


 十歳の誕生日を迎えたパーティの席上、父上に頼まれて側仕えとして採用したアールヴの奴隷少女。

 そんな出会いだったけれど、リリアはとても一所懸命にメイド修行に励んで今では立派な側仕えとなってくれていた。


「メイド姿、板に付くようになったね」

「あ……その、ご主人様にそう言って貰えるの、嬉しい、です」


 頬を染め、特徴的な長い耳をピコピコと動かして照れるリリアの可愛い仕草が、勉強のしすぎで沸騰した脳に染み渡る。

 あーかわいい。


「もう完全に熟練メイドって感じだなー」

「それは、あの、先輩たちがちゃんと教えてくれましたから……」

「そっか。他の侍女たちとは仲良くやれてるみたいだね。良かった」

「はい。奴隷の私にも、皆さん優しくしてくれて……なんていうか、私、本当に幸せ者です」


 そう言ったリリアの表情は明るい。


(ドレイク家に来る前はかなり酷い扱いを受けていたみたいだからな)


 十歳の誕生日に初めて出会った頃を思い出すと、今、笑顔を浮かべているリリアの姿に感慨もひとしおだった。




 ――そもそも奴隷とは何か?

 前世の俺――ジーク・モルガンの時代にも奴隷制度は存在した。

 犯罪者を奴隷として扱う『犯罪奴隷』。

 食べるのに困って身を売る『借金奴隷』。

 戦争捕虜や貴族などが奴隷となった『特殊奴隷』。

 その使い道は様々だが犯罪奴隷は苦役に投入され、借金奴隷は一般的な仕事を任され――と安価な労働力として社会に活用されていた。


 だが宇宙世紀となった今の時代に浸透している『奴隷制度』は、前世の奴隷制度とは根本的に大きく違っている。


(社会秩序を維持するため、その脅威となる者を生まれながらに奴隷に貶める制度。それが今の時代の『奴隷制度』だ)


 秩序の脅威とは何か?

 それは『異能者』と呼ばれる存在だ。

 『異能者』とは簡単に言えば超能力者のことで、生まれながらに不可思議な力を発揮する者たちの総称だ。


 無機物・有機物問わず、手を触れずにモノを動かす念動力サイコキネシス

 心と心で意思疎通する念話能力テレパス

 何もない空間に火の玉を発現させる発火能力パイロキネシス


 他にも様々な現象を起こす不可思議な超能力者たちを『異能者』として一括りにして差別するのが、この現代の一般常識なのだ。

 『異能者』が持つ力は科学の力をもってしても原理が解明できず、『秩序を乱す者』や『一般人に害を為す者』として忌み嫌われている。


(社会の秩序を守るために意味不明な力を持つ者を阻害し、差別して尊厳を奪うか。エゲツないことをするよ)


 だがジーク・モルガンとしての記憶と知識がある俺には分かる。

 『異能者』とは前世風に言えば『魔法使い』なのだ。

 魔力の扱いに慣れておらず、体内に蓄積した魔力が暴走することで現象を発現させてしまう者たちのことをこの時代では『異能者』と呼称しているだけだ。


(歴史書を紐解いてみてすぐに分かったことだけど、そもそも魔法文明についての言及はなく、『魔法』は御伽噺の中だけで語られる空想の力になっているんだよな)


 なぜ魔法という存在が消失しているのかは分からないが、魔力の素である魔素は大気中に存在している。

 それは俺自身が『分析』の魔法を使えたことからも分かるし、使った魔力もきっちり回復しているのだ。


(魔法を使う方法が完全に失われている、ということなんだけど)


 俺の横で給仕をしてくれているリリアを見つめる。


「あ、あの……ご主人様。私の顔に何かついていますか?」

「ああ、いや。リリアは今日も綺麗だなって見惚れてただけだよ」

「……っ!?」


 俺の言葉に驚きの表情を浮かべ、顔を真っ赤にして耳をピコピコと動かす。

 リリアの可愛い仕草を眺めながら俺は考えを巡らせた。


(そもそも異能者たちはなぜ魔法をうまく使えないのか? 習っていないからという大前提もあるんだろうけど)


 習わずとも魔力を感じるセンスがあれば魔法を使えた者は前世でも数多く居た。

 だから魔法を上手く使えないのには他の理由があるはずだ。


(一番怪しいのはやっぱり首輪だな)


 リリアのステータスを分析アナライズしたときも『拘束具によりスキル封印中』と表示されていた。

 首輪が何かの効果を発動させて異能者の力を制限しているのだろう。


(だったらその首輪を無効化すれば異能者たちは魔法を使えるようになるはず……なんだけど。こればかりは実験してみるしかない、か)


 俺はリリアに声を掛けた。


「リリア。一つお願いがあるんだけど」

「はい、何でしょう? ご主人様のお願いなら、私は何だって全力で叶えて差し上げます!」

「ははっ、大袈裟だなぁ。でもありがとう。そう言って貰えて凄く嬉しいよ」

「はい! なんたって私はジャック様のメイドですからっ! ……それでジャック様のお願いって?」

「あのさ。その首輪、俺に調べさせて貰えないかな」

「え……っ!?」


 俺の言葉が予想外だったのかリリアは首を隠しながらズッと後退あとじさった。


「ダメかな?」

「あ、あの、どうして……?」

「あー、うん。その首輪、どうにかして外せないか調べたくてさ」

「……(フルフルッ)」

「やっぱりイヤ?」

「……イヤ、ではありません。でもジャック様でもこの首輪は外せないと思います」


 そう言ったリリアの表情に浮かんだのは絶望と諦観だった。


「この首輪は私が生まれたときからずっと着けられているものなんです。だからきっと外せません……」

「そうかもしれない。でも俺は諦めたくないんだ」

「それでもやっぱりダメです……。万が一、首輪が外れてしまったらご主人様が罰せられてしまいます!」


 リリアの言葉は事実だ。

 奴隷に装着されている首輪は異能者が生まれると同時に装着される。

 それはこの銀河で生きている者たちは必ず従わなければならない絶対の法律である『銀河連邦法』に定められており、どんな理由があっても所定の手続きを踏まなければ首輪を外すことは認められていない。

 異能者の首輪を外した者は銀河系に存在する国家の八割が所属している『銀河連邦』と呼ばれる最上位組織の命により、問答無用で処刑される。

 それがこの時代の常識なのだ。

 だけど。


「見た目をそのままにしておけばバレないよ」

「それは……」

「本音を言うとさ。外したいって気持ちも大きいんだけど、それ以上にその首輪を無力化したいんだ」


 首輪を外すのが法律違反なら、外さずに首輪の機能を無力化すれば良いだけだ。

 それが詭弁なのは重々承知してるけど。


「でも……」

「リリア……ダメ?」


 リリアの情に訴えるように精いっぱいに可愛く振る舞ってみせると、


「ううっ、そんな顔するの、ジャック様ズルいです……」


 リリアは観念したのか肩をがっくりと落として呟いた。


「あ、じゃあ?」

「はい……あの、お見苦しいかもしれませんが、どうぞ、です……」


 リリアは跪くと俺に首元を差し出してくれた。


「ありがとうリリア。触るよ?」


 差し出された首輪に触れると、


「んっ……」


 恐怖からかそれとも羞恥なのか。

 頬を赤く染めながらリリアは小さく吐息を漏らした。


分析アナライズ


 分析アナライズを使って首輪の構造解析を進める。


(これはまた……)


 分析スキルによって脳内に首輪の構造が浮かんでくる。

 構造は想像していたよりもずっとシンプルな作りだ。


(装着者の魔力の動きを感知し、発動阻害と同時に高圧電流によって懲罰を与えるって仕組みか)


 奴隷に懲罰を施し、その尊厳を踏みにじるような機能を確認して、俺は自分の表情が厳しくなるのを止めることができなかった。


(主人の音声に反応しても同様のことができるようになってる。高圧電流は魔素を魔力に変換して発生させているみたいだな)


 だが――。


(『この時代』にそぐわない機能が三つ。一つは魔力を感知するセンサー。もう一つは魔素を魔力に変換する機能。最後の一つはスキルを封印する魔法の付与。この科学の時代になぜそんな機能が残ってるんだ?)


 宇宙開拓時代となった今では、魔法は御伽噺の中にだけ存在する荒唐無稽な『想像上の力』でしかないはずだ。

 魔素に到ってはその存在を認識すらされていないのは書物を見れば明白だ。

 それなのに奴隷の首輪には魔力を感知するセンサーが存在し、魔素を魔力に変換して蓄積しておく機能が存在するのだ。

 そしてこの時代に存在するはずがないのに付与されている封印魔法。


(奴隷制度と首輪の機能――きな臭いな)


「あ、あの……どうかなさいましたか? ご主人様……」


 難しい表情を浮かべていたからなのか、リリアが不安そうに声を震わせ、俺の顔を覗き込んでくる。


「ああ。ごめん。大丈夫。なんでもないよ」

「そう、ですか。あの……やっぱりご主人様でも無理ですよね。この首輪を外すことなんて……」

「え? それは簡単だよ。ほら」


 カチッと音を立てリリアの首輪は簡単に外れた。

 タネは簡単。

 錬金魔法で機能を無力化して構造を変化させた。それだけだ。


「え……えええっ!? ウソ……っ!? 首輪が……!」

「うん、外れたね。どう? 首輪のない感覚は。リリアは初めてでしょ? 少しはスッキリした?」

「う、ううっ……」


 首の周りを撫でていたリリアが俯きながら嗚咽を漏らすと、感極まった声をあげながら抱きついてきた。


「ご主人様……っ!」

「おぼっ!?」


 ハイエルフにしては多少豊かな乳房――恐らくCカップぐらいだろう――に顔を埋めながら、俺はリリアの背中をあやすようにポンポンと叩いた。


「これでリリアは自由だよ。俺としてはこれからもずっとリリアが傍に居てくれると嬉しいんだけどね」

「……(コクコクッ!)」


 涙を堪えながら激しく頷くと、


「私、これからずっとずっと、死ぬまでご主人様に誠心誠意お仕えします! 私の全てをご主人様に捧げます……っ!」


 湧き上がる激しい感情を吐露しながらリリアは俺を抱き締めた。

 その激情を受け止めながら、俺はリリアが落ち着くまでその背中をずっとさすってあげた――。



---

「少しは落ち着いた?」

「はい……」


 止まらなかった涙がようやく止まり、リリアはくしゃくしゃになった顔を恥ずかしそうに両手で隠していた。


「そこまで喜んで貰えると頑張った甲斐があるね」

「あぅ……取り乱してしまってごめんなさい」

「気にしないで。ずっと外れないと思っていた枷が外れたんだから。感情が爆発しちゃうのも仕方ないよ」

「ううっ、恥ずかしいです……」


 耳をショボンと垂れさせてリリアが羞恥に身を捩る。


「ともかく。リリアのお陰で目処がたったよ」

「メド、ですか?」

「そっ。独立した後の目処」

「あ……ご主人様もあと二年で独立されるのでしたね」

「うん。ドレイク家の家訓だからね」


 ドレイク家家訓。

 『十五歳で家を出て独立すること』。

 これは他の兄姉たちも同様で、すでにアーサー兄上とグレース姉上、ハリー兄さんが実家を出て独立している。


「今年はエラ姉さんが旅立つ年で、その次は俺……って訳だ」

「あ、あの、ご主人様。そのときは私も連れて行って下さい!」

「もちろん。だってリリアは俺の側仕えだからね」

「はい! 私、ご主人様の為ならなんだってします。なんだってできますから!」

「ん? 今、何でもって言ったね?」

「言いました。なんでもします! あの、私、アールヴとしてはオッパイはそれなりにありますので、ご主人様のお役に立てると思います!」


 そう言ってメイド服を脱ごうとするリリアを慌てて制止した。


「ち、違う違う! そういう意味で言ったんじゃないよ!」

「え……違うんですか……?」

「なんでそんなに残念そうなの?」

「だって、私……」


 頬を染めて長い耳をピコピコと動かしながら俯くリリアの姿に、心の奥底から滾るような熱いナニカが溢れてくるのを感じながら、俺は誤解を解くために必死になって言葉をハッした。


「と、とにかく! そういうのじゃなくてさ。リリアにはやってもらいたいことがあるんだよ」

「ヤルんですか? 分かりました。やっぱり服を――」

「だーかーらー! そういうエッチなことは今は良いんだってば!」

「今はっ!? ということはいつかは可愛がって頂けるんですね……!?」

「あー、もう! とにかく一旦、そこから離れようよ、ねっ? リリア」

「あぅ……すみません」

「リリアにやってもらいたいことの説明をする前にさ。リリアに一つ、俺の秘密を教えるよ」

「ご主人様の秘密、ですか?」

「うん。でも誰にも言わないで欲しい。二人だけの秘密だよ」

「二人だけ……。はい! 私、絶対誰にも言わないってご主人様に誓います!」

「ありがとう。秘密っていうのはね――」


 リリアの前に指先を突き出し、


灯火トーチ


 簡単な魔法を使ってみせる。


「えっ!? 火が……何もない指先に火が灯ってる……っ!?」

「うん。これが俺の秘密。他にも色々あるよ」


 そう言って前世では生活魔法と呼ばれていた簡単な魔法をリリアに見せてあげたのだが――。


「だ、ダメですよご主人様!」


 慌てた様子で俺を抱き締めるとリリアはキョロキョロと周囲を見渡し、誰にも見られていないことを確認するとホゥと安堵の息を零した。


「ご主人様が異能者だったなんて……で、でも大丈夫ですよ。リリアが命に代えてもご主人様を守って差し上げますから!」


 そう言ってリリアはギュッと抱き締めてくれた。

 先ほどよりも一段と強く激しく、頬に感じるおっぱいの柔らかさに、


「それは嬉しいんだけど、あの、リリア。さすがにちょっと恥ずかしいから離してくれると嬉しいな……」


 前世では――というか前々世から――童貞だった俺には刺激が強すぎて、顔が赤くなるのを止めることができなかった。


「あぅ、ご、ごめんなさいです……」

「あ、あはは、こっちこそなんかごめん」


 魅惑のおっぱいプレスから解放されて思わず謝罪を口にしてしまうが、言いたいのはそういうことじゃない。


「とにかく、落ち着いて聞いて欲しいんだけどさ。実はこれ。異能じゃないんだ。これはね。魔法って言うんだ」

「ま、ほう……? 魔法って御伽噺とかに出てくるアレですか?」

「そう。信じられない?」

「いえ! ご主人様が仰ることですから! 私はただ信じるだけです!」

「ははっ、ありがとう。つまり俺は魔法が使えるんだよ」

「ご主人様は魔法使いだったのですね……」

「んー、そうなんだけど正確には少し違うかな」

「違う?」

「そう。魔法使いは俺だけじゃない。リリアもだよ」

「ええっ!?」

「首輪の封印を解かれた今、君も俺と同じ魔法使いになれるはずだ。その証拠に首輪を外してから体調に変化があるんじゃないか?」

「あ……はい。あの、実はさっきから身体の奥が熱くなってきていて……」

「力が溢れてくる感じでしょ?」

「……(コクッ)」

「それが魔力だ」

「魔力……」


 不思議そうな表情を浮かべてリリアは自分の身体を確認する。


「首輪が反応するのを恐れて無意識に抑圧していた魔力が、首輪が外れたことで溢れ出しているんだ。特にリリアは魔力量が多いから自分でも力を感じ取れると思う。ほら、自分の身体の内部に意識を集中してみて」

「集中、ですか。えっと……」


 キュッと目を閉じたリリアは、両手を胸の上に置いた。


「あ……身体の中で何かが動いているような感じがします……」

「うん、それがリリアの持つ魔力だよ。でもさすがだなぁ。もう体内の魔力を感じ取ることができるんだ」


 人は本来、誰もが多かれ少なかれ魔力を備えている。

 だが体内魔力を感知することができるのは、魔力に対してある程度以上の感受性を持つ者だけだ。

 魔力を感知でき、操作することができるようになって初めて魔法使いになれる資質を持つことが証明される。


(短時間で魔力を感知できるとは。さすがはハイエルフ。魔力感知のセンスが高い)


 前々世では魔力なんてない世界――日本人だった俺は、ユーミルに異世界転移させられた後、一年ほど魔力感知を特訓して、ようやく魔力を感知できるようになった。

 リリアとのセンスの差にちょっぴりへこむ。


「あの、ご主人様、どうかされました?」

「いや、ははっ、ちょっと昔を思いでしてね」


 遠い目をする俺を見て不思議そうに首を傾げていたリリアが、


「あの、ご主人様。この身体の中にある魔力? というのは一体何なのですか?」


 説明を求めて尋ねてきた。


「魔力は万物が持つ力の一つ。生命力と対になっている力――と言ってもピンとこないと思うから簡単に言うと、魔法を使うためのエネルギーさ」

「エネルギーですか……」

「そう。魔法を行使するためのエネルギー。魔力が無ければ魔法は使えない」

「それじゃ、もしかして私も?」

「うん。俺と同じように魔法が使えるよ。でもそのためには魔法を覚えないといけない。俺がリリアにして欲しいのはその勉強のことだ」

「勉強、ですか。私にできるのかな……」

「不安?」

「私は生まれたときから奴隷として扱われていました。勉強なんてメイドになってから始めたばかりですから……」

「でも字はだいぶ読めるようになったんでしょ?」

「……(コクッ)」

「それなら大丈夫。俺がしっかり教えてあげる」

「ご主人様が教えてくださるんですか!?」

「もちろん」


 魔法が存在しないこの時代で誰かに魔法を教えられる者は俺しかいない。


「じゃあ、あの、わ、私、一所懸命、頑張ります!」


 リリアは決意の光を瞳に浮かべて頷いてくれた。


「ありがとう。じゃあこれから毎日俺と一緒に魔法の勉強しよう!」

「はい!」


 こうして――。

 リリアに魔法の基礎から徹底的に教え込む日々が始まった。

 リリアの仕事の合間を縫って、

 『魔法とは何か?』

 『詠唱とは何か?』

 『魔力とは?』

 そういった魔法の基礎的な知識を教え込んでいく。

 最初は戸惑いの強かったリリアも一緒に勉強するウチにコツを掴んでいき、一年後には魔法をそれなりに使いこなせるようになっていた。

 そんなある日――。



---

 家からの独立に向けて中古で購入した小型宇宙艦ボートを船渠の片隅で整備していると、


「ご主人様ぁー! 昼食をお持ちしましたぁー!」


 ランチボックスを持ったリリアがいそいそと駆け寄ってきた。


「もうそんな時間か」


 船を弄る手を止めて振り返ると、駆け寄ってきたリリアがランチボックスを机に置いていそいそと昼食の準備を始めていた。


「あの、今日はですね。料理長のデンゼルさんにお願いして、私がサンドイッチを作ってみました!」

「へぇ、リリアの手作りか!」

「えへへ、あの、味はまだまだかもしれませんが、ご主人様への愛情だけはたくさん籠めましたから!」

「それは楽しみだ」

「はい!」


 満面の笑みを浮かべて返事をしたリリアが、ランチボックスの中から昼食のサンドイッチを取り出す。


「おおっ、すごい。料理長デンゼルにも引けをとらない、美味しそうなサンドイッチ!」

「えへへ、料理長に一から教えて貰いましたから!」


 照れつつも、褒められたことが嬉しいのかリリアが胸を張る。

 そんな侍女の様子を微笑ましく思いながらサンドイッチを頬張った。


「うん、美味しい!」

「あ……お口に合って良かったです♪」

「合う合う、この味、俺の好きな味だよ。ありがとうリリア」

「えへへ……」


 感謝の言葉に頬を染めて照れるリリアを微笑ましく思いながら、机の上の設計図に視線を落とす。


「それってアルヴィースちゃんの設計図ですか?」

「うん。中古のフネをそのまま使うのも不安だから、独立するまでに色々と手を加えようと思ってね」

「独立、いよいよ今年ですもんね」

「ああ。時間的な余裕はあまり無いんだけど、それでもできるだけのことはしておきたいんだ」


 今、俺が行っているのは独立の際に搭乗する小型宇宙艦の改造だ。

 それもただの改造ではなく、魔法と錬金術と科学を融合させた独自の技術――俺はそれを『魔導科学』と名付けた――によって、だ。


「どこまで進んだんですか?」

「外装甲の強化とジェネレータの改造はそろそろメドが立つから、次は乗組員代わりの機械人形オートマタ改造がメインになるかな」

「そうなんですね。アルヴィースちゃんがどんな宇宙船になるのかな……。すごく楽しみです♪」

「リリアのほうはどう? 勉強は捗ってる?」

「はい! ご主人様が作ってくれたこの新しい首輪のお陰で、魔法を使っても全然疲れなくなりました♪」


 そう答えたリリアが自らの首に填められた首輪を愛おしげに触った。

 その首輪はリリアにせがまれて俺が作ったものだ。


(新しい首輪を作って欲しいと言われたときは驚いたけど……でもタイミング的には丁度良かったかな)


 錬金術を駆使して奴隷の首輪を外したが、奴隷の首輪の解除は重大な違反行為だ。

 事実が露見すればドレイク家は断絶。俺は死刑になるだろう。

 その事実の隠蔽のためにリリアには今も首輪を付けてもらっているが、どうせなら有用なモノに改造してやろうと考えて首輪に魔改造を施した。


「魔力による通信システムに生命維持機能。そんでもって周囲の魔素を魔力へと急速変換して装着者の魔力を回復する吸収機能アブソーバー。他にも色々仕込んだし、なかなか良い魔道具に仕上がった」

「はい! この首輪のお陰で魔法の練習が捗ってます♪」

「役に立ってて何よりだ」

「えへへ……私、ご主人様をお支えするためにもっともっと頑張りますから。だから独立のときは絶対絶対! 一緒に連れて行ってくださいね」

「もちろん。そのときはよろしく」

「はい♪ それじゃ私はお昼のお仕事があるのでこれで失礼しますね。ご主人様も頑張ってください!」

「ああ。昼食、持ってきてくれてありがとう。頑張ってねリリア」

「全力で頑張ります♪」


 にこやかに頷いたリリアは、空になったランチボックスを掴んで屋敷のほうへと駆け出していった。

 

「明るくなったなぁ、リリア」


 昔は周囲の反応を気にしてオドオドとしてばかりだったけれど。

 首輪が外れた頃から明るい笑顔を見せるようになった。


「奴隷の首輪か。誕生と同時に異能者に装着され、一生外すことが許されない。まさに呪いの首輪だ」


 労働力を確保するための奴隷制度というのならばまだ理解できる。

 だが異能者を狙い撃ちにする今の奴隷制度は明らかにおかしい。


「苦労して世界平和を実現させたのになぁ」


 平和が永遠に続くとは考えてはいなかったけれど。

 こんな未来に納得できるはずがない。

 自分たちと違うから抑圧し、強圧し、弾圧するのは間違っている。

 それが気に入らないのであれば、俺はどうするば良いのか?

 そんなことは決まっている。


「最終目標は奴隷制度撤廃と世界平和。その目標を達成するためにも、まずは誰にも屈しない大きな力が必要だ」


 秘密裏に奴隷を集めて一大勢力を創り上げる。

 それと同時に仲間集めや資金集め、そしてその力を背景に敵対勢力に対して圧力と対話を行う、っていうのが基本路線だ。

 力を持たなければ平和なんて実現できるはずがないのだから。


「金、人、物、あとは戦う力が必要か。先は長いけど……まぁ何とか頑張るさ」


 今のままではきっとユーミルも悲しんでいるはずだ。

 気の良いあの女神の悲しんでいる顔は見たくない。


「……よし。今、自分にできることをする。それが今の俺の仕事だ」


 サンドイッチの欠片を口に放り込むと同時に、気持ちを切り替えて改造作業に取りかかった。



---

「さて」


 安く手に入れた二体の機械人形をどう改造していこうか。


機械人形オートマタは疑似人格AIを搭載した有能な労働力ではあるんだけど。思考の柔軟性に欠けるのが難点なんだよな」


 命令されたこと。

 インプットされていること。

 そういった明確に正解のある行動の処理については問題はないが、曖昧な命令に対しての反応は鈍くなる。

 その点を魔導科学で改善するつもりなのだが――。


「……ここは精霊召喚に頼ろうか」


 精霊を宿した『自我を持つ魔道具』を錬金術で作る要領で、機械人形のAIに精霊を宿せばいけるのではないか?

 それが俺の考えた機械人形の改善法だ。


「召喚した下級精霊のレベルを霊素エーテルで底上げすれば対応できるかな。うん、まずは一度やってみよう」


 床に魔方陣を描き、その上に二体の機械人形を乗せて詠唱する。


「『全てを識る者アルヴィース』のわざを継ぎしジャック・ドレイクが命じる! 我が求めに従い、彼の物へ宿れ!」


 詠唱を終えると同時に魔方陣が光を放ち――やがて一つの光球が出現して機械人形の周囲をふよふよと浮遊し始めた。


「よし。召喚成功!」


 あとは召喚した精霊を機械人形のAIに宿せば――。


「あっれー? もしかしてジーク様ぁ?」

「へっ?」

「なになに、私のこと忘れちゃったのー? 私だよー、わーたーしー!」


 光球は馴れ馴れしい言葉を発しながらスススッと近付いてきた。


「わたし……誰だ? 七大精霊王以外に精霊の友人は居ないぞ?」

「えー! もしかして分かってくれないのーっ!? むーっ。昔はあれだけ仲良くしてたのにぃ!」


 盛大に不満を零した精霊が光球の状態からゆっくりと人型へと変化していく。

 やがて俺と同い年ぐらいの少女へと変化した光球は、燦々と輝く金の髪を靡かせながら俺の顔を覗き込んできた。


「へへー、これで分かるでしょ?」

「いや……全然分からないけど?」

「ええーっ! なんでよどうしてよ人でなしろくでなしー! あんなに私と愛し合っていたのにーっ!」

「俺、前世では死ぬまで童貞だったから人と愛し合った経験なんて無いんだけど?」


 あ、言ってて自分で落ち込んできた。

 百年も生きてて誰とも特別な仲になれなかったって、コミュ障どころか人格に問題があるとしか思えない。

 何が悪かったんだろうなぁ、俺――。


「え、童貞? プークスクスッ! もー、そんなのソールに言ってくれたらいくらでも相手をしてあげたのにー!」

「んっ? ソール? ソールって……もしかして創世の女神ユーミルの妹の、太陽の女神ソールっ!?」


 太陽の女神『ソール』。

 創世の女神ユーミルの妹で、ジーク・モルガン時代の俺の旅になにくれとなく協力してくれた女神の一人だ。


「へへー、そうだよー♪ 驚いた?」

「驚いたっていうか……そもそも俺が行使したのは下級精霊を召喚する初歩的な召喚魔法だぞ? どうして女神が召喚されてくるんだ!?」

「暇を持て余してあちこち散歩しているときに、懐かしい霊素エーテルの波動を感じたから、その流れを追いかけてきただけだよー?」

「霊素……ああー、なるほど。召喚した精霊のレベルの底上げをするために魔力の代わりに霊素を使ったからか」


 霊素は魔素と同じく万物より発生して世界に充満している力の源のことだ。

 但し、霊素は魔素と違って自由に扱える者が少ない。

 女神の他は英雄や勇者、賢者などの特殊称号を持った者でなければ使うことのできない特別な力、それが霊素だ。

 霊素は神の力の根源なのだ。


「霊素を扱える子がいなくなってもう何千年も経ってるからねー。気になるのは仕方ないことでしょ?」

「そういうことか。それはともかく。久しぶりだな、ソール」

「ん♪ お久しぶりぶりー♪ ジーク様、元気してたー?」

「お陰様でね。あと今の俺はジークじゃない。ジャック・ドレイクだ。ジャックって呼んでくれ」

「ほーい。ところでジャック様。どうして霊素を使った精霊召喚なんかしようとしてたの? 何かするつもりだった?」

「ああ、それは――」


 ドレイク家の家訓である独立の事。

 そのための準備の事を掻い摘まんで説明した。


「なるほどねー。あ、じゃあさ、じゃあさ! ソールがこの機械人形に宿るっていうのはどうかな?」

「へっ? ソールが? 俺としては願ってもないことだけど……おまえは本当にそれで良いのか?」

「もちろんだよー!」

「簡単に言うけど女神としての仕事があるはずだろ?」

「うーん、そうなんだけどさー。……この時代、信仰心が薄くなってて女神の仕事、今は殆どないんだよねー」

「女神の仕事が無い? んっ? どういうことだ?」


 『世界』とは創世の女神が定めた『ことわり』を土台にして成立しているだけの不安定な事象の集合体。

 その無形の事象の集合体が『理』という共通ルールの下で現実化している――それがこの世界の本質だ。

 人が生きるためには酸素が必要。

 食事を摂ることでエネルギーが発生して身体が動く。

 魔素を変換して魔力とすることで魔法を行使できる。

 ――そういった大小様々な現象全てが『理』というルールがあるからこそ成立し、事象として顕在できる。

 『理』とは世界が顕在するための『規定プロトコル』なのだ。

 その世界の『理』を設定するのが『創世の女神』の役目であり、『理』を維持するのが女神たちの仕事のはず――。


「ソール。今の状況を一から説明してくれるか?」

「うーん……やだ」

「はっ? どうしてっ!?」

「だって女神のソールが説明しちゃうと神託ってことになっちゃうでしょ? お姉様からジーク様……じゃなくて今はジャック様だけど、ジャック様を神の都合に巻き込むの、禁止されちゃってるんだよー」

「禁止? どうして?」

「ジャック様が第二の人生を穏やかに、幸せに暮らせるようにするためだって。そう決めていないとつい頼っちゃうから……って」

「ユーミルがそんなことを――。分かったよ。じゃあもう聞かない」

「ん。そうしてくれるとソールも助かるー」

「そうするよ。それじゃソール。早速で悪いんだけど、そこの機械人形に憑依してくれるか?」

「りょーかいでぇ~す!」


 陽気に答えたソールは光球の状態に戻ると、そのまま機械人形の胸の中へと消えていった。


「んんー……。ねぇねぇジャック様ー。この身体、ソールの好きな感じに弄ってもいーい?」

「それは構わないけど、あんまり派手なことはするなよ?」

「りょーかいでぇ~す!」


 陽気に。

 だけどどこか軽い返事をすると、ソールは霊素を高めて機械人形を改造し始める。

 ソールの周囲で高まり始めた霊素の量は、例えるなら生命創造のときのような膨大な量だった。


「お、おい。そんなに大量の霊素を使って一体ナニをどう弄るつもりだ!? 俺、派手にするなって言ったよな!」

「あははー、大丈夫大丈夫ー♪」

「ホントだな? 信じるぞっ!? 女神様の言うことなんだから俺、無条件に信じちゃうからな!? 絶対に絶対に無茶なことするなよ!?」

「あははっ、りょーかいでぇ~す!」


 どこまで本気か分からない軽いノリで返事をしたソールは、やがて集めた霊素を使って憑依している機械人形に改造を施した。

 そして――。


「完成でーす♪」


 言いながら、ソールはペロッと舌を出してポーズを取った。

 目の前には長い金髪をポニーテールに束ねた美少女が、元気いっぱいな様子で動き回っていた。


「完成でーす、じゃないよ! なんだよそれ! 口動いてんぞ! 肌プルプルになってんぞ! そんな機械人形が居てたまるか! ってかもう完全に受肉してるじゃないかーっ!」

「えへへ、やっぱり肉体がないとしっくりこないなーって♪」

「そんな軽いノリで生命創造すんなーっ! っていうか君は女神であって人じゃないでしょうが!」

「それはそうだけどー、折角、現世うつしよで生きるのなら肉体は欲しいしー。それにソール、太陽の女神だしー? これでも生命創造は得意中の得意だし?」

「そういうこと言ってるんじゃないよ! というか、ドレイク家の侍女は厳しい身辺調査をしてから雇ってるメイドばかりなんだから、突然、新しい子が入ったって、どう説明すりゃ良いのさ!」

「んー、そこらへんはほら、ジャック様が何とかしてくれるよねー♪」

「俺に丸投げかよー!」


 公的な海賊稼業を営んでいる関係上、ドレイク家の家人はしっかりとした身辺調査を行い、思想的にも背後関係的にも問題の無い者しか雇っていない。

 機械人形ならいざ知らず、受肉してしまったソールの存在が露呈すれば一悶着起こるのは確実だ。


「はぁ……どうしようかな」

『緊急事態発生! 緊急事態発生! 屋敷内にID不明者を発見! 外部からの侵入者と見られる! 各員速やかに捜索、これを捕縛せよ!』


 けたたましく鳴り響く警報音と共に、執事長のドーベルの緊迫した声が船渠内に鳴り響いた。


「マズイ、もうバレたっ!」


 ドレイク家の家人は常日頃からIDを身に着けており、そのIDを持っていない者は問答無用で捕縛もしくは射殺される。


「ほえー……あははっ! なんだか面白くなってきたねー!」

「なに笑ってんだよ! ぜんっぜん笑えないからな!」

「でもでもこういうのって昔を思い出すよねー?」

「昔ってなに!? いつのこと!?」

「ジャック様と一緒に邪神トワルとの交渉に向かった時、黄泉を進んでいるうちに邪神の軍勢に追い詰められてたとき、みたいなー?」

「あー、あのときは大変だったなー……ってそういうこと言ってる場合じゃないでしょーが!」


 船渠にいる整備スタッフたちの騒ぎが聞こえてきて、俺はソールの思い出話を強引に打ち切った。


「と、とにかくここから離れるぞ! 来て!」

「ほーい♪」


 ノー天気な声を聞き捨て、ソールの手を引いて船渠から脱出する。


(どこへ逃げれば安全なんだよ!?)


 ドレイク家の家人は皆、定期的に防犯訓練を受けているし、家人の半数は何らかのスペシャリストだ。

 『ダラム』本星の正規軍よりも練度が高く、兵としての質も段違いなのだ。

 そんなプロ兵士たちの目を盗みながらソールを連れて逃げきることが、果たして俺に可能なのか――。


(絶対無理ぃぃぃぃ……!)


 絶望過ぎる現状に涙目になるが、それでもこのままソールを放置してしまえば大惨事になることは分かりきっている。

 何とか無事に逃げ切らないと。


「あ、ジャック様ジャック様ー。ソール良いこと思いついたよ!」

「却下!」

「えーっ! 話も聞かずに却下はひどーい!」

「分かった、じゃあ聞くから試しに言ってみて」

「あのね、追っ手をソールの力で焼き殺せば逃げ切ることができるんじゃないかな? あとでソールの力で復活させてあげるからきっと大丈夫だよ」

「何が大丈夫なのかこれっぽっちも伝わってこねーよ! 却下に決まってることを楽しげに言うなーっ!」

「ぶーぶー! 良いアイデアだと思ったなのにー!」

「っていうか女神が簡単に人を殺すなよ!」

「ソールは生きとし生けるものに対して平等に慈悲深いよ?」

「死は救い、を地で行くな! もっとあがけよ!」

「だってー……」


 唇を尖らせるソールの様子に、思わず溜息が出る。


(そういやこの子は昔っからぶっ飛んだ性格をしてたなぁ……)


 前世でのことが思い出される。

 思い出されるが、そんなことを考えている場合じゃないんだって!


「とにかく今は追っ手の目を眩ませて俺の部屋に行くぞ。部屋ならなんとか言い訳ができる……かもしれない!」


 IDの無い者を引き入れたことをめちゃくたy怒られるのは確定だろうけど!


「ほら、行くぞソール!」

「んー……? あれー?」

「なんだよ、今度はどうしたのっ!?」

「今、懐かしい感じがしたんだけどー……すぐに消えちゃったー」

「はぁ? 何それ。懐かしい感じってどんなの?」

「それが、一瞬だったからあまり分からなくてー。あははっ、まぁ気にすることないかー♪」

「ったくこの子はいつもいつでもノー天気で、ほんとにもう……っ!」


 ノー天気でマイペースな太陽の女神に手を焼きながら、俺は周囲の状況を冷静に観察して抜け道を探す。

 物陰に隠れて庭を走り、廊下を駆け抜け、室内に滑り込み――細心の注意を払った逃避行は自室に到着したことで何とか無事、終わりを迎えた。




「はぁ~……なんとか無事、部屋に戻ってこれた。あとは――」


 あとはソールがIDを持っていない理由をなんて説明するかだ。


(父上が今、屋敷に居ないからID発行の権限を持つのは執事長のドーベルだけ。つまり、今の状況を簡潔に説明すると――うん、詰んでる)


 説明できるのであれば説明したいが、魔法を使って女神を呼び出してしまいましたー、なんて言えば病院送りは確実だろう。

 どう誤魔化そうかと頭をフル回転させていた、そのとき――。


『アーアー、おほんっ。執事長ドーベルからジャック坊ちゃんへ。坊ちゃんの関係者と名乗る不審人物を発見。ただちに中庭にお越しください』

「……………………はっ?」


 俺の関係者を名乗る不審人物?

 横に居るソールをチラッと見ると、


「……えへへー?」


 不思議そうに笑顔を浮かべて首を傾げている不審人物の姿があった。


「不審人物って誰?」

「ソールのことかなー?」

「それは否定しないけど、今は中庭じゃなくて俺の横に居るだろ?」

「あ、そっか。んー、じゃあさっきの子かなー?」

「はっ? さっきって、懐かしいとか言ってたときの?」

「うん。あの感じ、多分、マーニだと思う」

「そうか。…………はあっ!?」


 ソールが言う『マーニ』とは、月の女神『マーニ』のことだ。

 ソールと同じく創世の女神ユーミルの妹で、ソールの双子の妹だ。

 前世ではソールと共に俺を旅を助けてくれた仲間の一人なんだが。


「なんで月の女神がここに居るんだよっ!?」

「あははっ、ソールのことを追いかけてきたのかもー」

「追いかけてって……マジか。そう言えば魔方陣の上に機械人形、置きっぱなしにしてたな……」


 ソールを追いかけてやってきたマーニが、ソールと同じように機械人形に憑依して受肉していたら。


「……とほほ、これはもう言い訳できない」

「あははっ、しょーがないねー。一緒にマーニを迎えに行ってあげようよ、ジャック様♪」

「そうするしかない、か……」




 ドーベルの呼び出しに応え、ソールを伴って中庭に向かうと、


「坊ちゃん、ようやくいらっしゃいましたか」


 歴戦の勇士であり、父の右腕を務める執事長のドーベルが困惑した表情を浮かべて出迎えてくれた。

 その後ろには地面にチョコンと腰を下ろし、包囲する兵士たちに無抵抗を示すように両腕を上げた銀髪ロングヘアの少女、月の女神マーニの姿があった。


「全く。坊ちゃんの関係者と知って驚きましたよ」

「うん。ごめんね手間を取らせて」

「いえ、それは良いのですが……この少女は一体?」

「それは、そのぉ~……」


 なんと説明したものか――。


「坊ちゃんも知っての通り、ドレイク家は宇宙海賊として名を馳せておりますが、職業柄、敵対勢力の諜報員や工作員が潜入することも多いのです。ご家族と屋敷で働く者たちの安全を守るためにはID登録が必須ですし、さらに厳重な身辺調査も行っているのです。それをいくら一族の方とはいえ簡単に反故にされては困りますな」

「はい……」

「ドレイク家に仕える執事長として、私は旦那様よりこの屋敷の全てをお預かりしております。だからこそ――」


 延々と続くドーベルの説教はグゥの音も出ないほどの正論で、言い返す言葉を考えることさえできなかった。

 そんな説教が一時間も続き――。


「ご理解頂けましたかな?」

「はい。もう二度としません。ごめんなさい」

「分かって下さればそれで良いのです。ですが坊ちゃん。こちらの少女とそちらの少女。二人には後できっちり尋問に付き合ってもらいますからね」

「うん、了解。それはドーベルに任せるよ」


 二人とも女神としてちゃんと空気を読んでくれるだろう。

 読んでくれるよな?

 読んでくれると良いなぁ!


「それよりジャック様ー! 早くマーニを解放してあげてよー」

「うん。ドーベル、良いかな?」

「仕方ありませんな。尋問は後ほど行います。今はひとまず、坊ちゃんの部屋にお連れ下さって結構です」

「そうするよ。ありがとうドーベル」


 融通を利かせてくれた執事に頭を下げ、俺はソールを連れてマーニへと近付いた。


「マーニ……で合ってる?」

「ん。久しぶり、ジャック様」


 言いながら、マーニはピースサインを俺に向けた。


「相変わらず君たち姉妹はマイペースだな……」

「あははっ、マーニだしねー♪ ソールを追いかけてきたのー?」

「ん。だいだいお姉ちゃんと一緒。懐かしい霊素エーテルの波動が感じられたからちょっと来てみた」

「来てみた、ってノリで受肉されても困るんだけど」

「ノリが良いのは良いこと」

「良いことなのかなぁ……」


 マイペースに話すマーニの態度に思わず苦笑が漏れる。


「大丈夫。ジャック様のやりたいことは把握している。マーニはお姉ちゃんと一緒に宇宙船のクルーになる」

「それは話が早くて助けるんだけどね」


 元々、機械人形を改造して乗員にしようと考えていたのだから、受肉した女神が居てくれた方が色々と楽ではあるんだけど。


「それよりジャック様は背後を確認したほうがいい」

「背後?」


 マーニに言われて後ろを振り返ると、


「ううっ……ジャック様ぁぁ! 私、捨てられちゃうんですかぁぁ!」


 ハンカチを握り絞めたリリアが滂沱の涙を流していた。


「リ、リリアっ!? どうしたんだよ、そんなに泣いて!」

「だって……だってジャック様が、私の知らないメイドの女の子たちと仲良く話しててー! 私、捨てられるんだってぇ~~……うぇぇぇんっ!」

「ま、待って待って! リリアを捨てるとか、俺がそんなことするわけないだろ!」

「ううっ、本当ですか……?」

「本当だよ。だから安心して」

「ううっ、はいぃぃ……」


 涙を拭ったリリアに二人の女神を紹介する。


「金髪のほうがソール。それでこっちの銀髪がマーニ。二人とも俺の友人だ」

「ご友人、ですか? でもご主人様、ずっとお屋敷に閉じこもっていたのにご友人なんていつ作ったんです?」

「あー……それはまぁ色々とあってね。とにかく二人はリリアと同じように俺にとって大切な友人だ。だから仲良くしてあげてほしいな」

「はい! それはもう! あ、でも、私は奴隷ですから……」

「それは大丈夫。マーニたちもジャック様の奴隷になる」


 そう言うとマーニはどこからともなく首輪を取り出し、躊躇することもなく首に装着した。


「お姉ちゃんの分」

「ほーい」

「お、おい、大丈夫なのか?」

「大丈夫。今、リリアの首輪を複製デュプリケートした」

「おまっ……」


 またそんなに気軽に神の奇跡を使いやがって!


「でゅぷりけいと……って、なんですか?」

「ふふふっ、それは内緒。マーニは優秀とだけ覚えておく」

「いやまぁそれは知ってるんだけど……リリア、その辺りは今度説明するから今はスルーしてあげて」

「はぁ……」


 納得のいかないようにリリアは小首を傾げるが、こんな場所で二人のことを説明する訳にはいかない。


「と、とにかく。リリア、悪いけど二人を俺の部屋に案内しておいて。俺は船渠ドックに戻って後片付けしてくるから」

「かしこまりました! じゃあ、えっと……ソールさん、マーニさん、私についてきてくださいね」

「ん、よろしく」

「ほーい!」


 先導するリリアに大人しく着いていく二人を見送りながら、


「はぁ……なんだかすごいことになってきたなぁ」


 予想外の状況に頭が痛くなるのを止めることはできなかった。




「それにしても――」


 ソールの言っていたことを思い出す。


(信仰心が薄くなっている、というのは科学文明となった今の時代であれば納得できるんだけど)


 日本に居たときも信仰心の厚い人は少なかったが、それでも世界的に見れば信仰心を持つ人も多く居た。

 だが前々世の世界とは違い、ルミドガルズは実在する『創世の女神』が深く関与して成り立っている世界だ。

 女神への信仰が薄くなれば、それだけ世界を成立させる『理』が揺らぎ、不安定になっていく可能性が高い。


「何かが起こる前兆ってことか?」


 もし、この世界に危機が迫っているのだとしたら、そのとき自分はどう考え、どう行動すれば良いのか?


「……悪い癖だ」


 女神に召喚され、大賢者として世界平和を実現させた時とは違い、大賢者としての力を持っているとは言え、今の俺はただのジャック・ドレイクでしかない。

 政治的にも勢力的にも取るに足らない、ただの小僧なのだ。


「とりあえず大方針は決まっているんだから、今はその方針に従って考えよう」


 ユーミルが悲しんでいるかもしれないから、ひとまず世界を平和にするというのが大方針だ。

 その方針だけでも今の俺には大それたものなのだから、そのほかのことはおいおい考えていけばいい。

 状況が分からない現状、下手な考えに意味はないのだから。


「まずは船渠の後片付けだな」



---

 それから色々と面倒なこともあったが、ソールとマーニは正式に俺の奴隷兼専属メイドという立場を手に入れた。

 先輩であるリリアが二人にメイド仕事の指導をする一方で、リリアの魔法の指導と宇宙艦改造の助手を二人に頼む。

 だが――。


「そもそも魔導科学というのが今いちピンとこない。魔法技術が根底にある錬金術と、魔法技術が皆無な上で成立している科学は相反するもの。今のままではジャック様のサポートは不可能。知識の並列化をしてほしい」


 マーニのその発言が全ての引き金だった。


「並列化?」


 聞き慣れない単語にリリアが反応を示す。


「そう。並列化。ジャック様の頭の中にある知識をマーニたちが共有すること」

「そんなことができるんですか!?」

「ん。可能。ブイ」


 興味津々なリリアに向けてドヤ顔でピースしたマーニが、


「但し、並列化のためにはDNA交換による経路接続コネクトが必須。という訳でマーニはジャック様とのディープキスを所望する」


 唐突に爆弾を放り投げた。


「はうあっ!? ディ、ディープキスっ!? ジャック様とっ!?」

「ん。DNA情報から解析した霊的経路パスを接続して精神体アストラルボディ霊素体エーテルボディに同時に記憶を転写して――」

「待て待て。そんな専門用語を使いまくった説明がリリアに通じる訳ないだろう。もっと簡単に説明してあげてよ」

「ん。つまりディープキスで唾液を交換して、そこから記憶を読み取って魂に刻みこむ。それが並列化。つまりディープキスは必須」

「人間になった今、霊的経路の接続は粘液を介することでしかできなくなっちゃったから仕方ないよねー」

「でもそれって必要か? 刷り込みインストールで良いじゃん」

「インストールだと情報を『知る』だけで『理解』はできない。理解するために時間を費やすのは今の段階では非効率」

「それはそうだけどさぁ……」

「ううっ、キス……マーニさんがジャック様とキス……」

「マーニだけじゃなくてソールにもしてよね、ジャック様」

「ううっ、ソールさんまで……っ!」


 ブツブツと状況を反芻していたリリアが、バッと勢いよく顔を上げると抱きついてきた。


「だ、ダメダメダメダメですー! ジャック様とエ、エ、エッチなキスなんて、そんなこと私が許しませーんっ!」


 マーニの魔の手から守るように俺の頭を掻き抱き、リリアは必死に首を横に振る。

 その動きに合わせてポヨポヨとした感触がほっぺたを包み込む。

 控えめに言っても天国だ。


「むぅ。でもジャック様の目的を達成するためには必要なこと。それにこれはマーニたちの使命でもある」

「ん? 使命? なんだよマーニたちの使命って。そんな話、聞いてないんだけど」


 その言葉に引っかかりを覚え、リリアの柔らかな双房から何とか顔を突き出してマーニに尋ねた。


「そう。使命。マーニたち姉妹には課せられた使命がある」

「ソールたちに? そんなのあったっけー?」

「ある。お姉ちゃんはバカだから忘れてるだけ」

「きゃゃはははははっ、マーニひどーい♪」


 妹にバカ扱いされてバカ笑いするソール。

 そんなのだからバカ扱いされるんだぞ。


「ユーミルお姉様からお願いされた」

「ユーミルが?」

「ん。今世でジャック様がちゃんと童貞を捨てられるように、何とかしてあげて欲しいとマーニたちはお願いされている」

「な……っ!?」


 なんて嬉しい――じゃなくて、なんて有り難い――じゃなくて!


「よ、余計なお世話すぎだろっ!?」

「――その割にはジャック様、ほっぺたユルユルになってるよー?」

「うっ……」


 だって俺は今、十四歳なんだぞ?

 前々世、前世の年齢を合わせて考えれば百三十二年間童貞なんだよ。

 ワンハンドレットドーテイだよ?

 ミレニアムドーテイなんだよ?

 最初は好きな人と、という気持ちもあるけれど、それと同じぐらいにエッチしたいって性欲も強いんだよ?

 もう頭と股間がくっつくぞってなもんなんだぞ?

 お膳立てしてもらえるのなら、それに縋りたいと思うのは男の性だ!


「ううー、ジャック様も乗り気になってるぅ……」

「い、いや、まぁその……あははっ……」


 涙目で非難するように唸るリリアに、俺は笑って誤魔化すしかなかった。


「とにかく、この件はリリアに拒否されても絶対に遂行しなければならないマーニたちの使命。だけどリリアの気持ちも分かる」

「ほわっ!? わ、私の気持ちが分かっちゃうんですかっ!?」

「あははー、まぁリリアを見てれば誰だって分かることだよー」

「ううっ、そんなに私、分かりやすいですか……」


 顔を真っ赤にしてしょぼくれるリリアにマーニが寄り添う。


「分かりやすい。でも分かってない人もいる」

「分かってないっていうより、分かってないふりをしてるんでしょー?」

「ひどい男」


 そう言うと二人は俺に非難の視線を向けた。


「……なんのことだか」

「しらばっくれても無駄」

「そんなことで誤魔化せると思ってるからいつまでも童貞なんだよー」

「ぐぬっ……」


 言ってる意味は良く分からんが、なんとなく正鵠を射ている気がする。


「とにかくマーニたちは使命を遂行したい。でもリリアにだって色々とあるというのは分かる。だから結論」


 そう言うとマーニが指を突きつけてきた。


「さっさとリリアに童貞を捧げて。そうすればリリアも折れるとみた」

「そ、それは、その……あうぅ……」

「ほらほらー。据え膳だよー? ジャック様ー♪」


 ニヤニヤと笑いながら煽ってくるソールの言葉を受けて、俺は胸の奥に溜まったものを吐き出した。


「はぁ……それはできないんだよ」

「……っ!!」


 俺の言葉に、リリアの瞳にいっぱいの涙が溜まる。

 だが、それでも俺は言わなければならない。


「ドレイク家にいる間、俺は大人しくしておかなくちゃならない。そうしなければ母上の立場が危うくなる」


 平民出身の俺の母上。

 父上の第一夫人、第二夫人で、貴族出身である義母のオリヴィアとエヴァ。

 この三人の間には目に見えない確執が存在している。


「もし俺がリリアに手を出したら、俺の母上は他の夫人たちから一斉に攻撃されるだろう」


 平民の息子だから奴隷に手を出すような卑しい振る舞いをするのだ。

 平民の息子だから奴隷を手籠めにして喜ぶ下賎な精神なのだ、と。


「そんな非難を母上が受けることになる。それだけは避けなくちゃならないんだ」


 いくら父上が母上を一番愛しているのだとしても。

 いくら兄姉たちがそんな些事を気にしない人たちだとしても。

 いくら家人の皆がそう見なかったとしても。

 俺に味方してくれる人たちと同じ数、夫人たちにも味方がいるのだ。


「家庭の不和は外部勢力に付け入れられる隙になる。今でさえ、海賊業を営むドレイク子爵家に対して隠然とした不平不満が燻ってるんだ。その引き金を引くことは俺にはできない」

「じゃあ、あの……ジャック様は私のことが嫌いって訳じゃ――」

「そんなことある訳ない! リリアのことは好きだよ。大好きだ。だけど俺は三男坊とはいえドレイク家の男なんだ。だからごめん……」

「……はい。えへへ、うん、大丈夫です。ちゃんと分かりましたから」


 俺の状況を理解してくれたのか、リリアは涙を拭って笑顔を見せた。

 その横で何かを考えていたマーニが口を開いた。


「ということは、独立した後であれば問題なしということ」

「なるほどねー! やっぱりマーニはアタマイイー!」

「フッ」


 何が”フッ”だ。


「あのなぁ。二人とも俺の話、聞いてた?」

「聞いてた。でもマーニの案で問題ないはず」

「いや、でも――」


 確かに独立した後であれば、リリアとの関係を誤魔化すことは容易だ。

 だがそれで良いのだろうか?


「もー! いい加減ウジウジしすぎー! そんなこと言ってるからいつまでたっても童貞なんだよー!」

「ぐぬっ……正論パンチやめてくださいませんか!」

「あ、あの、えっと――私は、それでも……あの、その……」

「ジャック様とリリアが一発ヤった後ならマーニたちの使命について、リリアは反対しないと推測」

「そ、それは、その……」

「まぁジャック様にはこれから頑張って貰わないといけないからねー。そうすればきっと色んな女の子が寄ってくることになるし。さっさと環境を整えておかないとー」

「ん? なんだそれ? 前はそんな話、してなかったじゃないか? どうして俺が頑張らないとならないんだよ?」

「あ」

「……はぁ。相変わらずソールお姉ちゃんはバカ」

「あ、あははー、ごめーん」


 てへっ、と笑ったソールが、視線を逸らして俺の質問をはぐらかす。


「……言えないことがあるってことか」

「んー……あははっ♪」

「はぁ、分かったよ。今は聞かない」

「そうしてくれると助かるかもー」


 ホッとしたようなソールの態度に言いたいこともあるが、聞いて欲しくないと言っているのだから強いて聞くのも野暮だ。

 言える時が来れば二人は俺にキチンと話してくれるだろう。


「とにかくだ。そういうことだから。並列化については別の方法を――」

「しなくていい。マーニの提案通りにする」

「いや、だーかーらー!」

「問題ないはず。単純に順番の問題。――リリア、耳を貸す」

「え? あ、はい――」

「ゴニョゴニョゴニョゴニョ……」

「えっ!? そんなの……はい、はい……ううっ、でもぉ……」

「大丈夫。リリアならジャック様は絶対に怒らない」

「……ううーっ。分かりました……頑張ってみます……!」


 何かしら重大決心をしたように気合いを入れたリリアが、クルッと俺に向き直った。


「えーっと……リリア? どうかした?」

「あ、あの、えっと、えっと、ご、ご主人様……失礼、します!」

「へっ? んっ、むぐっ!?」

「んっ、チュッ、チュッ、んぷっ……んっ、ジュルッ……」


 リリアに不意に塞がれた唇。

 その唇を割るようにリリアの舌が口内に侵入してきた。

 柔らかな舌が口腔をまさぐって、舌と舌が絡み合う。

 溢れ出す唾液が互いの口腔を行き来し、リリアの甘い唾液が自然と喉を滑って胃の中に落ちていく。

 それはリリアも同様で――やがてたっぷりと唾液を啜ったあと、頬を赤らめてうっとりとした様子で唇を離した。


「はぁ、はぁ、はぁ……ご主人様……奴隷の私が、こんなことしちゃってごめんなさい、です……」

「い、いや……マーニにそそのかされたのは分かってるから大丈夫」


 羞恥と後悔に今にも泣きそうになっているリリアを慰めながら、隣でシレッとした顔をしているマーニに抗議した。


「やりすぎだぞマーニ! リリアを唆すなんて!」

「人聞きの悪い。マーニは理路整然と説得しただけ」

「なにが理路整然だ。純粋なリリアを舌先三寸で騙しておいて」


 マーニの強引なやり方にさすがに頭にきていたのだが、そんな俺を見てリリアがマーニの前に立ちはだかった。


「ご主人様、マーニさんを責めないであげてください。全部……全部、私が悪いんです……っ!」

「リリア……」

「私が……奴隷の私が、身分も弁えずにご主人様のことをお慕いするようになってしまったから。だから私が全部悪いんです……!」


 必死の形相でマーニを庇うリリアの姿を見て、それ以上マーニを責めることはできなくなってしまった。


「もういいよ。その……俺も嬉しかったし」


 リリアがこれ以上自身のことを責めないように、俺は自分の素直な気持ちを告げた。


「だけどいきなりなのは、次からは勘弁して欲しいかな」

「あぅ、ごめんなさい、です……」


 がっくりと項垂れるリリアを安心させようと、小さく縮こまっているリリアの肩を優しく抱き締めた。


「んー、これにて一件落着ー?」

「ん。さすがマーニ。全て計算通り」

「お前は全く……」


 反省する態度を見せないマーニに、怒りを通り越して呆れてくる。


「とにかくこれで障害はなくなった。ジャック様。マーニとお姉ちゃんとも並列化を希望」

「いいよね、リリアー?」

「あっ、えっと……」


 どう答えたら良いのか分からないのだろう。

 リリアは困惑した様子で俺に助けを求めた。


「リリアはそれで良いの?」

「私は……私は、ご主人様がすごい人なの、良く知っていますから。だからご主人様のことを好きな人が居れば、その人とも仲良くなりたいです。だから私は大丈夫、です……!」


 どこまでが本心なのか分からない。

 だがリリアなりの決心なのだろう――リリアの瞳には強い意志の光が煌めいているように感じられた。


「……分かった」

「わーい! それじゃ、まずはソールからね!」

「むぅ。こういうときだけ年功序列は卑怯」

「だってソールはお姉ちゃんだしねー」


 マーニの静かな抗議を一言で封殺し、ソールが抱きついてくる。


「えへへ、ジャック様、はやくぅ~♪」

「はぁ……。んっ……」


 ウェルカム状態で半開きになっているソールの唇に舌を侵入させた。

 するとソールは、


「んふふ……♪」


 嬉しそうに鼻を鳴らすと、侵入した舌に自らのそれを絡ませ始めた。


「んっ、チュッ、チュルッ、んろんろんろっ……んー……チュルッ」


 口端から漏れる、互いに唾液を交換する微かな水音。

 その音に煽られるようにソールの舌の動きが加速する。

 勝手気ままに動き回って俺の口内を蹂躙するソールの舌に辟易し、唇を離そうとしたのだが――、


「むーっ! んっ、んっ、んちゅっ、チュルッ、んむっ……ジュルッ」


 不満げに声を漏らしたソールが今まで以上に吸い付いてきて、口腔の唾液をすすり上げた。やがて――。


「んっ、チュッ……チュポッ! んふふー♪ ごちそうさまでしたー♪」


 満足げに笑いながら、やっとソールが解放してくれた。


「はぁ、はぁ、はぁ……おまっ、ちょっ、がっつきすぎ……」

「だってずーっと前からジャック様とこうなりたかったんだもーん」

「はっ? そんな素振り見せたことあったか?」

「ないよ。あの頃は色々と大変だったし」

「あー……まぁそれもそうか」


 前世ではとにかく荒れた世界を何とかしようと必死だったからな。


「お姉ちゃんどいて。そいつ殺せない!」

「殺すのかよ!」

「ん、性的に。というワケだからお姉ちゃんどいて。マーニができない」

「あはっ、ごめんごめん!」


 言葉とは裏腹に悪びれた素振りを見せず、ソールは妹に場所を譲る。


「次はマーニの番。……んっ」


 淡々とした表情で言いながら、両手を広げて差し出してくる。


「どうした? 腕なんて広げて」

「はぁ……これだから童貞は」

「いやちょっと待て、その罵倒、今のタイミングで言うことか?」

「女の子が両手を広げてウェルカムしてるときに、どうしたとか聞く甲斐性なしには当然の罵倒」

「ぐぬっ……」


 そういう状況に到ったこともない俺だが、マーニの言葉にはなぜか説得力があって言い訳ができない。

 落ち込んでいる俺に向かってマーニはもう一度、両腕を広げてみせた。


「……んっ!」

「えっと……これで、良いのか?」


 広がった両腕の間に身体を差し入れ、自分も同じようにマーニの身体を抱擁する。


「ん。まぁ合格にしとく。次は――」


 そう言ってジッと見つめてきたマーニは、俺と視線が合ったあと、ゆっくりと瞼を閉じた。

 その仕草の意味を見誤ることはさすがになかった。

 マーニの唇に自らのそれを重ねる。


「んっ……チュッ、チュッ、チュルッ……はむっ、んっ、んろっ……」


 半開きの唇から差し出された舌が俺の唇をこじ開ける。

 スルッと口腔に侵入したマーニの舌は、好奇心の塊のように口の中をあちこちと突いてきた。

 尖らせた舌先で突き、歯の表面を舐め――楽しむように舌を操り、溢れ出した唾液を吸い上げていく。

 やがて――。


「ふぅ……満足」


 互いの唇を繋ぐ銀色の糸を手の甲で拭いながら、瞳を潤ませて一つ吐息を漏らした。


「はぁ、はぁ、はぁ、人の口の中を好き勝手弄びやがって――」

「くふふっ、熟成された童貞の味がした」

「どんな味だよ、それっ!」


 艶っぽい微笑みを浮かべたマーニにドキッとするのを止めることができず、唾液で濡れた唇を拭いながら悪態を返した。


「はぁ、全く。とにかくこれで準備は整ったろ?」

「ん。リリア、お姉ちゃん、こっちに来る」

「えっ、あ、はい」

「ほーい!」


 近寄ってきた二人の手を握ると、


「並列化開始」


 淡々とした口調で魔法を行使した。

 ちなみに並列化の魔法は通常、人は扱えない。

 神が霊素を用いて行使する神の奇跡の一つで、効力は『記憶の共有化』と『記憶の定着』。

 定着とは即ち理解であり、理解とは即ち、使いこなせるということだ。

 つまり俺の記憶を並列化することで、マーニたちは一瞬で魔導科学を理解して使うことができるようになる。


(だけど……受肉したときにも使っているから今更だけど、こうもポンポンと神の奇跡を行使して大丈夫なのか……?)


 そんな疑問も思い浮かぶが、それこそ今更なのかもしれない。




 やがて並列化が終了した。


「全てのシーケンス、無事終了を確認。記憶の全てを魂の記憶領域へ並列化することに成功」

「これでジャック様のお手伝いができるねー♪」

「ん。魔導科学の骨子もしっかり理解できた。これでいつでもジャック様の役に立てると判断。マーニは嬉しい」

「そーかそーか。俺も楽ができそうで助かるよ」

「ん。マーニにお任せ」

「ソールにもお任せだよー!」


 と、乗り気になっている二人の横では、リリアが顔を真っ青にして立ち尽くしていた。


「ちょ、リリア、大丈夫っ!? 顔色が悪いぞ……っ!」

「あ、いえ、その……大丈夫、なんですけど、少し混乱してて」


 震える声で答えたリリアが、まるで確認するように俺の顔を覗き込む。


「ご主人様には……前世の記憶があるんですね……」

「ん? ……はあっ!?」


 リリアの発言に心臓が飛び跳ね、並列化魔法を使ったマーニのほうを勢いよく振り向くと、


「ピーッ、ひょろろろろ~」


 わざとらしい口笛を吹きながら、マーニがあらぬ方角を眺めていた。


「おい、マーニっ!」

「いや、これは、その、怒るのは少し待って欲しい。これにはマーニなりの深い理由がある」

「ほお。その理由は俺が隠していたことを自分勝手に暴いて人に言いふらしたことの正当性を保証するものなんだな?」

「当然。リリアの存在はこれからジャック様がしようと考えていることにとって、とても大きな武器になる」

「ん? どういうことだ?」

「ジャック様がドレイク家から独立した後にやろうとしていることの一つ。それは奴隷たちの解放。……違う?」

「そのことは誰にも言っていないぞ?」

「うん。慎重なジャック様ならそうだろうと思う。でもマーニには分かる。あとお姉ちゃんも気付いている」

「まあねー」

「なぜ気付いているかというと……ジャック・ドレイクという存在が、お人好しが過ぎる性格なのを知っているから」

「ジーク・モルガンの時代を知ってるんだもん。頼まれたからって百年も世界平和のために尽くしたお人好しのこと」

「そう。ジャック様なら頼まれてもいないのに、奴隷たちの状況を改善したいと考えるだろうということをマーニたちは知っている。だからこそ、リリアに全ての記憶を並列化した」

「……その意味が俺には理解できないんだけど?」

「意味はとてつもなく大きいよー? 今後、ジャック様が奴隷を解放していく中で一番大切なのは奴隷たちから信頼されることでしょ?」

「現代で悲惨な境遇を過ごす奴隷たちに手を差し伸べるものは少ない。奴隷たちから信頼されるためには奴隷のリリアという存在が大きな意味を持つ」

「ご主人様のことが大好きで、心から信頼していて、命を投げ出しても惜しくないと思っていてー、そんでもってご主人様にも可愛がられ、頼られているっていう、奴隷たちの象徴となるお姫様が必要なんだよー」

「お姉ちゃんの言う通り。そういう意味でリリアはジャック様がやろうとしている奴隷解放の旗印になり得る存在。だから――」

「だから記憶を並列化したと?」

「そう」

「だけど俺の記憶を知ったということは、それだけ世界の真理に近付いたってことだ。もしそのことが心無い者たちに知られれば、リリアは狙われることになるんだぞ?」


 この時代にない知識を持ち、この時代にない技術を扱うことのできる奴隷の少女。

 そんなレアな存在を放置するような権力者はいない。

 何が何でも手に入れようとしてあらゆる手を尽くすだろう。


「それこそ本末転倒。そもそもジャック様の寵愛を受ける奴隷であれば、いつか必ず狙われることになる」

「そんなとき、今のままじゃリリアは自分の身を守ることもできないよ? 違う?」

「それは――」


 俺と並列化をしたことでリリアには俺と同じスキルが転写されているはずだ。

 つまり今のリリアは『大賢者ジーク・モルガン』とほぼ同じスキルを持っているということだ。

 魔力量は今までのリリアと同じだからその力を全て使いこなせる訳ではないが、それでもその力は身を守るために大いに役立つだろう。


「なるほどね……」


 二人の女神の説明を受ければ、納得できるところもある。

 だけど――。


「……ごめんよ、リリア。俺の事情に君を巻き込んでしまった」


 本人の意志を確認することもなくリリアを巻き込んでしまったのだ。

 俺は頭を下げて謝罪するしかなかった。


「そんな! 顔をあげてくださいご主人様っ!」

「でも……」

「大丈夫。良いんです。私はいつもお伝えしているじゃないですか。ご主人様のためにこの身を捧げますって。だから謝らないでください」


 そう言ってリリアは穏やかな微笑みを浮かべてくれた。


「ありがとう……じゃあ、あの……改めてよろしく」

「はい!」

「話がついたところで、ジャック様に今後のスケジュールを確認したい」

「うんうん。独立まであとちょっとしかないんだし。宇宙艦ボートの改造、リリアの特訓……やることは山ほどあるしね!」

「そうだな。頼りにしているぞ、みんな!」



---

「それはそうと――」


 リリアが侍女仕事に戻ったあと、頭に浮かんだ疑問をマーニにぶつける。


「リリアに俺の過去が伝わってしまったのは仕方がないとして……ソールたちの正体を教えても良かったのか?」

「それは大丈夫。そもそもマーニたちの正体についてはリリアに並列化していない」

「そうなの?」

「女神の魂が持つ膨大な記憶を並列化なんてしたら、いくらハイエルフとは言え、リリアの魂が破裂しちゃうからねー」

「ん。だからマーニたちの記憶については、改竄を施した上で最小パケットのみリリアに転送しておいた」

「改竄ってどんな改竄をしたんだ?」

「ソールたちとジャック様は前世からの付き合いで、ジャック様と同じように色んな魔法を使えるって設定にしたんだよ」

「なるほど。それならまぁ……辻褄は合うか」

「ん。ただ一つ問題が発生している」

「問題っ!?」

「そうなんだよねー。女神であるソールたちと並列化をしたことで、リリアがソールたちの巫女になっちゃった」

「巫女って……もしかして女神の巫女ってことか?」

「それも太陽と月、二人の女神の巫女になってしまった」

「おいおい……」

「今のマーニたちは現世で過ごすために女神の力を封印している。でもいくら情報を改竄したとはいえマーニたちの本質は女神。だから並列化のときにマーニたちの本質がリリアの魂に影響を与えてしまった」

「なるほど……」


 巫女という特殊クラスについた場合、ステータスが大幅強化される。

 そこまでは良いのだが――。


「リリアは今後、神にまつわる運命に巻き込まれることが確定したってことか」


 神の巫女になるということは、神と運命共同体になったということ。

 本来は何が起こるか分からないはずの『運命』に、神との関係があるということでバイアスが掛かってしまうのだ。

 それがこの世界の『ルール』。

 大賢者という特殊クラスだった俺と同じように、リリアにもこの先、神にまつわる様々な出来事が発生することになるだろう。

 だが――こうなってしまった以上、もう何もできない。


「ソールもマーニも全力でリリアを守るつもりだから。安心してね、ジャック様ー」

「ん。さすがに予想外だったけど。マーニも頑張ってリリアを守る」

「ああ。俺も力を尽くすけど、二人ともリリアのことをよろしく頼む」




 それから――。

 独立までの限られた時間の中で、俺はソールとマーニを助手として魔導科学による小型宇宙艦の改造に力を注いだ。

 時は過ぎ――一週間後が門出の日となる今日、魔導科学を惜しみなく投入した世界最強の小型宇宙艦が無事完成した。


「完っ成っ、だぁーーーーーーっ!」


 全ての艤装を終えて真の姿を現した小型宇宙艦を見ていると、自然と感極まった声が漏れてしまう。


「あははっ、やっと完成したねー!」

「ん。マーニも満足」


 作業着を機械油にまみれさせたソールたちも、同じように心底満足そうな笑顔を浮かべていた。


「六人乗りの小型宇宙艦もこう見ると案外大きいな」

「全長七メール、全高全幅四メール。ずんぐりむっくりしててなかなか可愛い姿」

「それでも魔導科学で色々と魔改造しちゃったからねー。この子だけで正規軍の小艦隊ぐらいなら余裕で相手ができそうー。ジャック様やりすぎー」

「ま、まぁそこはほら、初めての作業だったから加減が分からなかったし」

「だけどやり過ぎ感は否めない」

「ぐっ……」

「通常動力に加えて魔素を取り込んで半永久的にエネルギーを生み出すマナジェネレータ搭載とか、ちょっと頭おかしいよこれ」

「装甲も物質硬化の魔法だけでは飽き足らず、マナジェネレータと連動させた大規模結界魔法を展開するバリアまで搭載。それに隠蔽魔法を利用したステルスモードとか。かなり頭がおかしい仕上がり」

「武装もやりすぎだとソールは思うんだよねー」

「ん。光学兵器の大出力化は言うに及ばず、艦の周囲に魔方陣を展開して四属性魔法を全方向に放つことができるし、転移魔法を使ったワープ機能も搭載してる。この技術が世に溢れたら世界が危険で危ない」

「そ、そんなにかなぁ?」

「なにを誤魔化しているのだかとマーニはジャック様にジト目を向ける」

「おなじくー!」

「は、ははっ、でもさ、こういうのってさー、浪漫だろ?」

「わかる」

「おなじくー!」

「だろーっ!」

「でもこの艦は技術的特異点シンギュラリティを担うと言っても過言ではない存在。扱いには細心の注意を」

「ま、それは当然だな。でもこれからのことを考えると、この艦だけで終わる問題ではないからなー」


 奴隷たちを解放し、真に平和な世界を目指す。

 そのために必要な力の一つ。

 それは間違いなく魔導科学だろう。


「影響を与えすぎないように注意しながらやるさ」

「ん。危なくなったらマーニたちがブレーキを掛ける。今はジャック様の好きなようにすればいい」

「ああ。そうさせてもらうよ」

「ところでさージャック様ー! この子、なんて名前にするのー?」

「ああ、それはもう決まっているんだ」


 言いながら、艦の中枢を担う統合管制AIに接続した外部端末のキーを軽やかに叩いた。


「『全てを識る者アルヴィース』号。そして船長の名はキャプテン・ジャックだ!」

「おおーっ、すごーいっ!」

「ん。すごい。マーニもこの名前、気に入った」

「うん。お姉様のことを思い出せる良い名だってソールも思うよ!」

「ああ、ありがとう」


 二人が気に入ってくれて良かった。


「さて。出航まであと一週間しかない。早速、食糧や燃料の積み込みを始めよう! 二人とも手伝ってくれ」

「おー!」

「おー」


 宇宙船が完成して意気軒高の俺たちは物資の積み込みに時間を費やす。

 積載しなければならない物資は殊の外多い。

 宇宙船の燃料である『エレメントリキッド』や薬や食糧、水や酸素。

 武器弾薬にそれぞれの私物などなどだ。

 途中、リリアや他の家人たちも手伝いに来てくれたため、思った以上に作業が捗り――出航の二日前には全ての準備を終えることができた。




 その夜――。


「おおジャック! 我が愛しの三男坊よ!」


 独立を二日後に控えた夜、俺とリリア、ソールとマーニ、両親と妹のシャーロットや少数の家人たちを交えてささやかな晩餐が開かれた。

 その晩餐会が開かれた途端、父上が俺の身体を強く抱き締めた。


「いよいよ二日後には出航か。ううっ、父はな。父は寂しいぞぉ!」

「あ、あははっ、父上、そう言って下さるのは嬉しいですけど、正直に言うと痛いです!」

「ガハハッ! すまんすまん!」


 解放してくれた父上が、改めて激励するように俺の肩に手を乗せた。


「いよいよだな、ジャック。独立した後のことは考えているか?」

「はい父上」


 頷きながら、俺は独立後の計画を父上たちに披露する。


「俺にはアーサー兄上のような統率力も、ハリー兄さんのような商才もありません。グレース姉上のような度胸もなければ、エラ姉さんのような叶えたい夢も持ち合わせていません」


 そこで一度言葉を切り、肩に乗った父上の手に自分のそれを乗せた。


「何もない俺ですが、でも憧れていることはあるんです。小型宇宙艦一隻で宇宙に繰り出して違法者アウトローたちと渡り合い、武功と実績を積んで一家を構えた大海賊フランシス・ドレイク。俺はそんな風にカッコイイ男になりたい!」


 父上の大きな手を包み込み、胸を張って宣言する。


「俺は父上と同じように宇宙に飛び出し、たくさんの仲間たちと共に宇宙を旅し、そして未開拓宙域フロンティアで一旗あげようと思います!」

「おおっ! つまり領主を目指すということか!」

「はいっ!」


 この時代、未開拓宙域で居住可能な惑星を発見した者は、様々な手続きを経たあと、その惑星の領主になることを認められている。


「領主となって力をつけ、誰もが幸せに暮らせる国を興す。それが独立した俺の描く夢です!」

「うむ! うむっ! 素晴らしいぞジャック! その意気! その大志! それでこそ我が愛する三男坊だ!」


 国興し宣言に感動したのか、瞳を潤ませた父上がバンバンと俺の肩を叩いてくる。

 少し痛い。

 だけどその痛みからは父上の愛情がしっかりと感じられた。


「独立したとは言え、おまえは俺とエミリーの息子であり、アーサーとハリーの弟であり、グレースとエラの弟であり、シャーロットの兄だ。苦しければ兄姉を頼れ。辛ければ父母を頼れ。しかし絶対に挫けるな! 己の夢を叶えるために全力を尽くせ! ドレイク家の家訓を忘れるなよ」

「ドレイク家家訓! 夢を叶えるは己自身であると知れ!」

「そうだ!」


 そう言うと父上は手を差し出してきた。

 その手をしっかりと握り絞める。


「征けジャック! 宇宙は広大だ!」

「はい!」


 父上の激励に力強く返事をすると、少女が横からぶつかってきた。


「お兄ちゃん元気でね! 絶対に絶対にシャルのこと、忘れちゃいやだからね!」


 たった一人の血の繋がった妹、シャーロット。

 金髪をクルクルと捲いておしゃれをしたシャーロットが、涙を堪えながら再会を願う。


「もちろんだよ」


 五年前、俺の十歳の誕生日の時は舌足らずだった話し方も、シャーロットが九歳となった今では、おしゃれに気を遣う立派な淑女レディになっていた。


「シャルの誕生日にはちゃんとメッセージを頂戴ね? 約束だよ?」

「約束する。だからシャーロット。母上のことを頼んだよ」

「うん!」


 力強く頷いたシャーロットの後ろでは、俺たち二人の様子を涙を湛えた瞳で見守ってくれている母上の姿があった。


「母上、行って参ります」

「ええ。フランシス・ドレイクの息子として胸を張ってお征きなさい。母はここからあなたの無事を祈っています」

「はいっ!」


 短い激励の言葉。

 だがその言葉に万感が籠もっていることは伝わってきていた。


「さぁ湿っぽいのは終わりにして今夜は盛大に騒ごう! 我が愛しの三男坊の門出、皆も共に祝ってやってくれ!」

 グラスを掲げた父上の言葉を皮切りに、晩餐に参加している者たちが食事を開始した。

 それぞれが会話を楽しみながら楽しげに食事をする光景。

 その光景が何だかとても懐かしく思えた。


(前世の仲間たちのことを思い出すなぁ……)


 五千年と少し前。

 戦乱に塗れたルミドガルズを救うために行動を共にしたかけがえのない仲間たち。

 その子孫もこの世界のどこかで生きているのだろうか?

 いつか会ってみたい気持ちもある。


(その前に……あいつにも会いたいな)


 ユーミル。

 このルミドガルズ世界を創世した『創世の女神』。

 お人好しでおっちょこちょいで、だけど憎めないあの女神は、今頃どんな気持ちでこの世界を眺めているのだろう。


(いつか会えると良いんだけどな……)



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