第十一章〜決意〜

あれから一ヶ月が経った。あの日から三度も開聞岳に足を運んだが、戻れる気配はない。雨の日にも行ったが、過去に戻ることはついになかった。ホテル代を払うのも限界が来た。


自分は決意した。鹿児島に引っ越そう。ホテル代を払い続けるよりかはこちらに引っ越したほうが良い。戻れる日まで上光さんと鹿児島に住もう。上光さんも納得してくれた。


引っ越しを決めてからは早かった。必要のない家具は手放した。色んな意味で身軽になった。色んなものが削ぎ落とされた。家は開聞岳に近い場所に借りた。自分の部屋と上光さんの部屋と大きなリビング。窓を開けると遠くに開聞岳が見える。これでいつでも開聞岳に行くことが可能だ。

残念なことに引っ越し費用で貯金は底を尽きた。働くしかない。

毎日求人と睨めっこし、面接もいくつか受けた。しかし、どれもダメだった。やはり自分は何をしてもダメなのだろう。

空白期間を聞かれては怪訝な顔をされる。

上光さんの役に立てない自分が情けなくなった。


「あおいさん、本当に申し訳ないことをした。僕の為にここまでしてくれて。戻れるまでに働いてお金を稼ぐからあおいさんは何の心配もしないで欲しい」

「お金のことは気にしないでください。家賃もそんなに高くないし大丈夫ですよ」

「実は仕事を見つけてきたんだ。引っ越しのお手伝いをする仕事でね。この時代のことはよく分からないが、力仕事なら自分にだって出来る。これでどうにかお金を稼いで色んな費用を工面するよ。あの時代に戻れる日まであおいさんに迷惑はかけられない」

「そんな。上光さんはそんなこと考えなくて大丈夫です。帰れる日までゆっくりしていてください」

「そういうわけにはいかない。早速、明日仕事に行ってくるよ。軍隊の生活に比べたらなんて事はない」


たしかに軍隊の生活と比較すると今の仕事は楽かもしれない。

「毎日激しく殴られることもなければ罵倒されることもないだろう。この時代に来てから殴られてる人を見たことがない。僕にとってはそれでさえ新鮮だ。あそこでは毎日誰かが殴られ、自分も殴られていたからね。日本は平和になったんだと感じるよ。毎日こんなに平凡に暮らして良いものなのかと感じるほどだ。後もう少しの余生だね。僕は戻ったらすぐに死ぬ身だから」

拳を作って上光さんは笑った。兄のことを話そうかと思った。兄はパワハラの苦痛から自殺を選んでしまった。上光さんもそうなってしまわないか。そんなことが心配になった。しかし、敢えてその話はしないことにした。意気揚々と張り切っている上光さんに話しても場の空気を悪くするだけだ。


次の日、上光さんは朝早く仕事へ向かった。起きた時にはもう居なかった。午前中が過ぎ、午後も過ぎた。一日中心配になりながら過ごした。夜になっても帰ってこない。何かあったのではないだろうか。時計を見ると十一時を過ぎている。


「遅くなった。ただいま」

「おかえりなさい。何かあったんですか。遅いので心配になりました」

「恥ずかしながら道に迷ってしまってね。仕事は楽しかったよ。久しぶりの運動になった」

上光さんはやり遂げたような顔をしていた。その顔を見てホッとした。


上光さんのために準備していた料理は冷めてしまった。もう一度温め直すことにした。

「これ食べてください。お仕事で疲れたかと思ってたくさん作りました」

オムライスに野菜スープに大盛りサラダ。張り切って作りすぎてしまった。


「これは豪勢だ。あおいさん、ありがとう。いただきます」

そう言ってガツガツと食べ、ものの数分で食べ終わってしまった。とても嬉しかった。誰かに料理を作ることがこれほど楽しいとは思いもしなかった。

「お腹空いてたんですね。もしかして朝から何も食べてないのではないですか」

「食べないことには慣れてるからね。一日に一度おにぎりを食べられるだけで十分だ。こんな豪勢な御飯を食べられるなんて夢みたいだよ。ありがとう」

上光さんはよく「ありがとう」と言ってくれる。この言葉ほど嬉しい言葉はない。


「ご馳走様でした。明日も朝から仕事だからもう寝ることにするよ」

上光さんはそそくさと寝床へ消えていった。そんな上光さんを見て申し訳ない気持ちになった。こうしている間も時間は流れている。上光さんは働くためにこの時代に来たのだろうか。申し訳ない気持ちになった。


そんなこんなで一週間が過ぎた。ようやく上光さんの休みの日だ。上光さんは一週間休むことなく働き続けた。今日は三角兵舎跡に行く約束をしている。あの日、上光さん達が最後の時を過ごした場所だ。供えるためのお花はもう準備している。


朝御飯は白米と味噌汁、ししゃもにだし巻きだ。普段、朝御飯は食べなかったが、今は上光さんの健康面を考えて毎日作ることにしている。いつも美味しそうに食べてくれるのが些細な幸せであった。朝御飯を食べ終わったあと上光さんはいつも通りお皿洗いをし、シャカシャカと歯磨きをし始めた。


太陽が眩しい。こんな日に運転するのは心地良い。三角兵舎跡に行こうと話をした時の上光さんは嬉しそうだった。あの時に近付けるような、そんな感覚があったのかもしれない。

「供えようと思って、花を買ってきたんだ。みんなが花を見て喜ぶとは思えないが。どうせなら美味しい御飯と酒を供えたほうが良いかもしれない」

上光さんはそう言って笑った。


ようやく三角兵舎跡に着いた。辺りには人は居らず、自分と上光さんだけだった。

「ここにはもう何もないんだね。全ては終わってしまったんだ」

そっと花を供えた上光さんはそう言った。時代の流れを感じた。あの日たしかに特攻隊員が居た。しかし、今はその面影はない。同じ場所に居たのにあの人達が遠くの世界の人のように感じた。時間は残酷だ。あの日の出来事が遠い過去のように思える。


「僕は本当に戻れるのかな。この景色を見てるともうあの瞬間は存在しないんじゃないのかと思わせられる。何故、自分は未来に来れたのか。戻る過去は一体どこに存在するのか。色んなことが謎に満ちている。本当なら僕は戦死してこの景色を見ることはなかったはずだ。それなのに今こうして未来の三角兵舎があった場所に居る。自分でもよく分からない」


たしかに自分たちが経験したことは謎に満ちている。本来、過去は流れ過ぎていくものだ。過去を止めて存在させておくことなど不可能だろう。どうして過去に戻ることが出来るのか。一瞬一瞬を閉じ込めておくことなど出来るわけがないはずだ。今この瞬間と過去は同時に存在するものなのか。考えれば考えるほど謎は深まる。考えても答えは出ない。ここに来たことで上光さんにとって過去は遠いものになってしまったのかもしれない。それが良いことなのか悪いことなのか自分には分からない。その日以降、上光さんの過去に戻ろうとする意欲が削がれたのはたしかであった。


それから一週間、上光さんは過去に戻りたいと口にしなくなった。ひたすらに仕事をし、合間に家事の手伝いをしてくれた。上光さんのおかげで生活はやっていけるが、このままで良いのかと疑問も感じた。上光さんはずっと仕事をしている。休みはほとんどないと言っても過言ではない。まるで仕事をするために今の時代に来たようなものである。上光さんの口から一切、過去の話が出てこなくなったのも心配だ。三角兵舎跡に行ったことで帰れないと確信してしまったのではないだろうか。もしそうならそれは自分の責任である。仮に、戻ることが出来たとして上光さんは戦死してしまうかもしれない。そう考えるとどちらの時代に身を置くのが正解なのか分からない。


しかし、本来存在するべき場所は一九四五年のあの日である。それが上光さんの運命だった。いっそのことあの日を忘れて、一緒に生きていくべきなのだろうか。そんなことを考えてただただ時間は過ぎていった。

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