第十章〜あの日〜
上光さんの呼吸は荒くなり、顔は青ざめた。
「申し訳ないが、先に失礼する」
写真の遺影に向かって深く敬礼をし、早足で施設を後にした。
近くにあった三角兵舎に腰を下ろした。まるであの日の三角兵舎のようだ。今までの出来事は全てが夢のようだ。上光さんにとってこの時代に来たことは不幸な出来事なのか、幸福な出来事なのか。以前の自分なら幸福な出来事だと考えただろう。
しかし、上光さんにとってはどうだろうか。仲間を残して自分だけが未来に来て生き残る。それが自分ならば。自分ならば心苦しいはずである。自分だけ生き残った申し訳なさを感じるはずだ。自分でさえそう感じるなら軍人である上光さんはもっと責任感を感じているだろう。
「消耗品」
そんな言葉が頭に思い浮かんだ。指令する者にとって特攻隊員は消耗品だったはずだ。人間ではなくただ戦闘機を操縦する機械の一部だっただろう。個人の感情や彼らの帰りを待つ大切な人たちの存在は無視された。あくまで消耗品だった。特攻という作戦はそうとしか思えない残酷なものだった。
今、上光さんが苦しむ姿を見て特攻を指令した者達に強い憤りを感じた。さっき見た写真の人達も自分が出会った人達も戻ってくる事はない。もう二度と会えないのだ。自分でさえこんなに苦しいのに上光さんが耐えられるわけがない。未来に来られたことは上光さんにとって幸福なことだと微塵でも考えた自分が恥ずかしく思えた。自分は何も分かっていなかった。
「上光さん、過去に考える方法を一緒に考えましょう」
上光は頷いた。
「この時代にいることは出来ない。元の時代に戻って任務を果たさなければならない。自分だけ生き残ることは出来ない。そうでなければあの世で仲間に顔向けが出来ない。みんな死んだのに自分だけ生きることは出来ない。とにかく今は戻る方法を考える。この世界は見なかった事にする」
「あの日と同じ事をもう一度してみませんか。そうしたら元に戻れるかもしれない。自分もそうして元の時代に戻って来られた。上光さんが助けてくれました。今度は自分が上光さんを助けたいです」
「ありがとう。やはり今から開聞岳に行ってみるよ。早く戻ってみんなに会いたい。ここに居るのは僕にとっては苦痛だ。何か行動をしておきたい。何でも試すよ。申し訳なさで心が苦しいんだ」
上光さんは元の時代に戻れるのだろうか。考えると重苦しい気持ちになった。
「今すぐ行きましょう」
急いでタクシーを呼び、開聞岳まで向かった。
開聞岳に着いた。残念なことに今日は晴れている。あの日は天候が悪かった。あの日と同じ状況ではない。戻ることはできないと確信した。上光さんも同じように考えていたようだ。
「今日は戻れそうにない。あの日と同じ状況じゃない。しかし、天気が急変するかもしれないからもう少し居よう」
海のすぐ側まで行き、腰を下ろした。
ここは最南端だ。海が美しい。知覧から出撃した特攻隊員はこの景色を最後に沖縄へ向かった。そして二度と帰っては来なかった。最後に見た本土の景色だ。上光さんも出撃してから見るはずだった景色。
「僕はどうしてこの時代に来てしまったんだろう。あおいさんも孤独だったね。あの時代に来た時、一人だったろう。たった一人違う時代に来てしまうことがこれほど孤独だとは思わなかった。海を見るとみんなを思い出す。ここの上を通って行ったんだ。それが何十年も前の話だなんて信じられない。あの日に戻って僕も出撃しないと死んでいった者たちを裏切った気分だ」
数時間が経過したが、天気が変わる気配はない。
「今日は帰りましょう。必ずまた天候が悪くなる日はあります。その時まで待ちましょう。その間に出来ることはあるはずです」
上光さんは海に向かって敬礼をした。
ホテルに戻った。もう一日の半分が過ぎた。
「あおいさん、また明日。僕はもう疲れたので寝ます」
「あの、御飯食べに行きませんか。鹿児島には美味しい食べ物がたくさんあります。美味しいものを食べると気分も変わるかもしれません」
「申し訳ないが、自分だけ美味しいものを食べることはできない」
「何か食べないと生きていけませんよ。死んでいった人達の為にも今を生きる事が今の上光さんに出来る事ではないのですか」
上光さんは納得したのか同意してくれた。鹿児島名物の薩摩揚げと白熊を食べに行くことにした。
「久しぶりに美味しいものを食べた」
薩摩揚げを食べた上光さんは満悦そうな顔をしていた。満悦そうな顔をした後、複雑な表情を浮かべた。
「僕だけがこんな美味しいものを食べて良いのか。美味しいが、気持ちは複雑だ。ただ申し訳ない」
「今はそんなこと言わずに食べてください」
そう言ったものの、上光さんの心情を察すると自分も食欲が失せた。
次に白熊のお店に来た。白熊がやってきて上光さんの目はまん丸になった。
「こんなものは久しぶりに見た。甘いものと言えば、さつまいもくらいしか食べていなかったからね」
白熊を口に入れた上光さんに笑顔が溢れた。笑顔のあと口元を隠し、また真剣な顔に戻った。その後も何を話すわけでもなく、深刻な顔で白熊を食べ続けた。それでも何かを食べてくれたことは嬉しいことだった。人間食べなければ元気は出ないし、何も始まらない。
上光さんにとってこの時代に来たことは悲劇だろう。だからと言って、何も食べず落ち込んでるだけで良いはずはない。今自分に出来ることは上光さんを支える事だ。そのために上光さんと出会ったのではないかとさえ思えてきた。兄を守ることは出来なかった。だからこそ、今目の前にいる上光さんのことは守り抜きたい。
お腹が満たされた上光さんは少し元気になったのか口数が増えた。
「あおいさん、ありがとう。この時代に来たことには何か意味があるはずだ。そうだろう」
上光さんが少しでも前向きな気持ちになれたならそれほど嬉しいことはない。上光さんはいつかまたあの時代に戻ってしまうだろう。自分だって元の時代に戻れた。それなら上光さんだって戻れるはずだ。今はそう信じることが上光さんのためになる。
店を出る頃には辺りは暗くなっていた。
「それじゃまた明日。今日はありがとう」
上光さんとの一日が終わった。上光さんの目に今の時代はどう映っただろうか。自分にとって今の時代は白黒であり、魅力のないものだった。しかし、今は少し良いものに見える。それは上光さんがこの時代に居るからかもしれない。上光さんがこの時代にずっと居てくれたら、そんなことが頭をよぎった。しかし、それは上光さんにとっては残酷なことかもしれない。
今日は満月だ。星も輝いている。日本は平和になった。死ぬ必要もなく、戦う必要もない。それがどれだけ有難いことなのか身に沁みて感じた。
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