第六章〜希望〜
結局、眠ることはできなかった。身体も頭も重い。
外を見るとまだ真っ暗だ。星は見えない。曇って今にも雨が降り出しそうだ。
雨が降り出しそうな空を見てホッとした自分がいた。
「千恵子さん、起きて。今にも雨が降り出しそうなの」
「ん、おはよう。また雨かもしれないわね。最近多いから」
重そうな瞼をこすりながら千恵子さんは早々と布団を畳み、押し入れに片づけた。
「この感じだと今日も出撃は延期されると思うわ。もう雨が降りそうだもの」
そう言った少し後、窓を叩きつけるような雨が降り出した。
上光さんの命が一日延びる。また会える。とても嬉しかった。ただ千恵子さんにはそんなことは言えなかった。
千恵子さんと準備をして雨の中を駆け足で三角兵舎に向かった。
「おう、千恵子ちゃんにあおいさん」
声をかけてくれたのは小川隊員だ。傘も差さず、軍刀を振りかざしている。
「残念だが、今日も延期だ。俺たちはどうなってしまうかな。一日一日命が伸びるたび、焦りは募る。こうしてる間も敵は近付いてきてるというのに。雨が降った日には何も出来ない。明日こそは」
「上光なら中にいるぞ。呼んできてやろうか」
「お願いします」
三角兵舎から上光さんが出てきた。目の下は黒くなっていた。あまり眠れなかったのかもしれない。
「ちょうど良かった。話したいことがある」
「話したいことってなんですか」
「少し二人になりたい」
「もう一つの兵舎誰も居ないからそこ使えばいいよ。ほら」
小川さんが人のいない兵舎に案内してくれた。
小川さんは武骨に見えて案外優しい人だ。
小川さんは「ゆっくりしな」と言い残し、三角兵舎の扉を閉めた。
天井が低いせいか、圧迫感がある。
三角兵舎に入ったことはあるが、いつも扉が開いていた。こんなに息苦しいとは思わなかった。
多くの特攻隊員が最後の時を過ごした場所。
ここで遺書を書き、死ぬ日を待っていた。そう考えると心臓の鼓動が高まった。
みんなどんな気持ちでここで過ごしたのだろう。
壁や地面から「生きたい」という声が聞こえてくるような気がした。
「これを渡したかった。昨晩書いたんだ」
「これは」
「もう一つの手紙は自分が出撃してから開けてほしい。こちらのほうは今見てほしい。未来へ帰る方法をまとめた」
「あ、ありがとうございます」
そこにはいくつものパターンの未来へ帰る方法が書かれていた。
「色々考えたが、一番の方法としては来た時と同じ場所に行くことが大事だと思う。君は二千二十二年の開聞岳付近にいた。その日は一日変な天気だった。同じような状況の時にもう一度行ってみればいいんじゃないか。そこに秘密が隠されているとしか思えない。あらゆる偶然が重なりあって君は過去に来たはずだ。ここ最近は変な天気が続いている。これはある意味、君にとって絶好の機会かもしれない。雷の鳴る日にでも開聞岳に行ってみるといいんじゃないかな」
「帰る方法を真剣に考えてくださって、本当にありがとうございます。今上光さんは大変な時なのに。雷が鳴るような荒れた天気の日に開聞岳に行ってみます」
「一緒に行ってあげたいが、それは叶わないだろう。申し訳ない。憲兵隊には気を付けるんだよ。最初に会ったときの服装と荷物で開聞岳に行っちゃいけないよ。千恵子ちゃんに借りたその服の姿のままで行くんだよ。それから変な荷物は処分することだ。そうしないと途中で憲兵隊に遭遇でもしたら怪しまれて何をされるか分からない。ここに来るまでに憲兵隊と出会わなかったのは幸運だったよ」
「憲兵隊には気をつけます。あの、つい最近雷が鳴るような日はありましたか」
「あおいさんと出会う前の日だったかな。変な天気で雷も鳴ってたよ。雷が鳴るのは珍しいから覚えてる。あの時すでに何かが起きていたのかもしれないね。僕も未来に行ってみたかったよ。未来はどんな姿をしているだろう。きっと僕の知らない世界がたくさん広がっているんだろうね」
「上光さんにも未来を見て欲しかったです。色んなものが発展しているから驚くかもしれないです。面白いものも美しいものもたくさんあるんですよ」
そう言いながら自然と笑みが溢れた。懐かしい。
「考えるだけで楽しいよ。ありがとう。でも不思議なものだね。僕は今未来の人間と話をしてる。過去の人間と未来の人間も根本は変わっていないと感じるよ。同じ言語を話して日本人として生きている。住む時代が違うだけで、話し合えば仲良くだってなれる。不思議なもんだ。こうやって敵国の兵士とも仲良くなれたら良かった。たくさん話し合ってお互いを知れば殺し合いをする必要なんてないはずだ。そもそも僕たちは誰と戦っているんだろう。時々分からなくなるよ。僕は何のために軍隊に入って、何と戦ってるんだろうと。目に見えない不特定多数の相手を憎み続けるのは辛い。憎しみは憎しみしか生み出さない。ここらへんでもう憎しみの連鎖は断ち切りたい。もう僕たちで終わりにしたい。あおいさんの生きてる未来が平和であり続けることを願うよ」
その時だった。外から雷の音が聞こえた。まるで奇跡のようだ。未来に帰れるかもしれない。
「あおいさん良かったね。雷だ。今日なら時間もあるし着いて行くことが出来る。ここから開聞岳までは時間も掛かるからもう出たほうが良い」
「一緒に来てくれるなら心強いです。ありがとうございます」
外に出ると雨が凄まじく、空も光っている。まさにあの時と同じだった。
「僕は走るからあおいさんは自転車で行くと良い」
そう言って上光さんは何処からか自転車を借りてきてくれた。
もしかしたらこれで此処に来るのは最後かもしれない。
まだ三角兵舎にいた千恵子さんに声を掛け、別れの挨拶をする。
「千恵子さん、今までありがとう。少し開聞岳だけまで行ってくるね」
千恵子さんは不思議そうな顔をしている。
「その言い方だと最後の別れみたいだわ。こんな天気の中、大丈夫かしら。こんな天気の時に行くべき場所じゃないわ」
そう言いながら千恵子さんは不安な表情を浮かべた。
最後まで引き留めてくれたが、行かないわけにはいかなかった。
そのまま千恵子さんとは握手をして別れた。
雨はどんどん激しくなってきた。
「今しかない」
いざ出発の時が来た。
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