第四章~出会い~
あれから三角兵舎でお手伝いをさせてもらっている。
特攻隊員の身の回りの世話をしたり、掃除や洗濯をする日々だ。
時には周りの目を盗み、手紙を出してほしいと頼まれることもある。
寝泊まりは千恵子さんの家でお世話になっている。
上光さんが紹介してくれた女学生だ。
年の瀬は十五歳。千恵子さんも同じく三角兵舎でお手伝いをしている。
朝から夕方近くまで三角兵舎で雑用をしその後、千恵子さんの家でお世話になる日々だ。
食料がないため、常にお腹が空いている。
ご飯を食べていないからか少し動くだけで頭がふらつく。
以前からは考えられないが、食べられる雑草を探すこともある。焼いてしまえば、どうと言うことはない。
千恵子さんから話を聞く限り、雑草を食べることもあれば虫を食べることもあると言う。
最初は衝撃を受けたが、今は納得できる。空腹には負けられない。
上光さんとは数日で随分と仲良くなった。
共通点が多く、同じ年齢であった。見た目とは裏腹にまだ二十二歳であった。
表情は凛々しく言葉遣いもしっかりしていて、同じ年齢には見えない。本を読むのが好きなのも詩を書くのが好きなのも、空を見るのが好きなのも同じだった。
上光さんは学徒兵で、大学生を経て軍人になった。
だからだろうか。軍人らしくなく、現代の人間に近いと感じる。とても繊細な人に思える。
上光さんは特攻隊員として死を待っていた。
この話をする時の上光さんの目が今も忘れられない。
軍人になる前は意気揚々と未来を楽しみにし、パイロットになって自由に空を飛び回るんだという希望を抱いていた。
しかし、軍人になってから失望する日々が続いた。
もしも戦争がなければこれから先も生きていく人だろう。世の中は不公平だ。
なぜ自分が平和な時代に産まれて、上光さんはこの時代に産まれたのだろうか。
上光さんは死ななければならない。それは許されない現実だった。
どうにかして上光さんを救うことはできないのか。
上光さんと一緒に未来に戻ることはできないのか。毎日そんなことばかり考えた。
すでに自分は上光さんに感情移入し、離れたくない気持ちになっていた。
どこか顔や雰囲気が死んだ兄に似ているのだ。それも上光さんに心惹かれた点であった。
何か兄と話しているような、そんな安らぎを覚えた。
兄が亡くなったのも二十二歳だった。上司に酷いパワハラを受けたことによってうつ病になり、自殺をしてしまった。
今でも兄は上司に殺されたと思っている。兄を自殺にまで追い詰めたのは上司なのだから。
兄の自殺を知った時は夢だと思った。あれから二年もの時間が経過したが、未だに信じられない。
上光さんと出会ったことで心から消し去ろうとしていた兄との想い出を思い出した。
なぜ上光さんは戦時中に産まれてしまったのだろう。反面、自分はなぜ平和な時代に産まれたのか。変わってあげたいと思った。
一方で、平和な時代に産まれても兄のように自ら死を選ぶ人間もいる。兄を死に追い込んだ人々が憎かった。
だらだらと日々を生きる自分より、毎日一生懸命に生きる上光さんこそ平和な時代で夢を叶え、生きるべきなのではないだろうか。
上光さんはいつか海外に行って働くことが夢だったと話してくれた。その夢が叶うことはもうない。
上光さんは時々、詩を書いては見せてくれる。一言が一言が繊細だった。それはまるで上光さんの綺麗な心を表しているようだ。
上光さんが話してくれたことがあった。
「僕はあと数日の命なんだ。三角兵舎で過ごす日々が愛おしくてね。こうして軍人ではない人と話すのも新鮮で楽しいんだ。皮肉なものだよ。もっと早くに気付いていれば。気付いた時にはいつも遅いね。僕たちは消耗品だ。君はちゃんとこの戦争を生き伸びて、銃後を守るんだよ。それが僕の願いだ」
今日も雨が降っている。
昨日もおとといも雨だった。これでは洗濯が乾かない。
「これでは出撃が延期されるな」
後ろを振り向くと上光さんと他の隊員数人が話していた。
「本当だな。俺たちの命は数日延びるんだ。さあ今のうちに特訓だ。死ぬ時に恥ずかしくないようにな」
「家族に会いたいな」
「ここにいることなんぞ知るわけもない。特攻隊員だと知ったらどう思うかな。産まれたばかりの赤子にも結局会えなかった。名前は俺が名付けた。八寿子だ。良い名前だろう。あの子は俺のことを知らずに育っていくんだな。俺が死んだあとも家族が幸せだと良いんだが」
みんな顔では笑っているが、どこか沈んでいる。
特攻隊員のなかには結婚をして、子どもが居る人もいた。特攻隊員であることは機密なため、家族でさえ知らせることは許されなかった。
小川隊員は二十八歳であり、特攻隊員としてはある程度年齢の高い人であった。
他の隊員は十九歳から二十二歳が多かった。
上光さんにも帰りを待っている母親と兄弟が居た。みんな待っている人が居る。
家族や大事な人と永遠の別れをするのは誰だって嬉しいことではない。
今も特攻隊員の家族達は何も知らず、帰りを待っている。いつか帰ってくるかもしれないというかすかな願いを抱いて待っているのだろう。そんな期待は無惨にも裏切られてしまう。
小川さんに家族に送る郵便を頼まれたことがある。
他の隊員にもよく頼まれる。手紙や葉書はこの時代の人たちにとって唯一、離れていても交流できる手段だった。
手紙や葉書が彼らと大事な人を繋ぐ手段になっているのだ。
令和の時代からは考えられないことだ。
正午が過ぎても雨は止まない。
「三角兵舎の掃除でもするかな」
兵舎の中は想像以上にじめじめしている。額から汗が流れる。
多くの人は何処かに出掛けている。
上光さんと小川さんは兵舎の中で何かを書いている。
「何を書いているんですか」
「ああ、これは家族に送る遺書を書いてるよ。出撃してから家族に届けてもらうんだ」
返す言葉がなかった。遺書を生きている今書くのはどんな気持ちだろう。平和な時代を生きた自分には分からない。
小川さんは書き終えた遺書と妻と子供の写真を交互に見ては思いつめた表情をしている。
「よし、これで良い。俺が出撃してからこれは家族に届く。元気でな」
そう言って小川さんは手紙を強く握った。
小川さんの娘である八寿子さんにとってこの手紙は父親そのものであろう。
戦後、幾度となくこの手紙を読み返し、小川さんを思い出すのだろう。
そう考えると心が痛くなった。
上光さんは書く手を止めて、空中を見つめている。
「僕たちが死んだ後も世界は続くんだね。何も変わらない。なんだか変な気持ちになる」
そうしてまた書く手を進めた。
三角兵舎の掃除は順調に進んだ。少しでも綺麗な場所で最後の時を過ごしてほしい。その一心だった。
小川さんは睡眠を取っている。上光さんは書き続けている。
今みんなは生きている。自分も上光さんも小川さんも生きている。
それは紛れもない事実だった。
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