第三章~戦時中〜
何時間歩いただろうか。明け方になった。まだ辺りは暗い。
休むことなく、ずっと歩いてきた。
むろん、ここにたどり着くまで車や人とは出会っていない。
何かがおかしい。自分の知らない間に自然災害が起きて、みんなどこかに避難してしまったのだろうか。
靴擦れをしてしまったのか足を動かすたび擦れて痛い。もう限界だった。
一つだけ不思議なことがあった。ここに来るまでに頭上をいくつかの飛行機が通った。
それは見たこともない飛行機だったが、暗くてあまり見えなかった。
「もう嫌だ。どこまで歩けば良いんだろう」
弱気な自分がすぐに顔を出す。
嫌悪感に浸っているその時だった。山の中からかすかに声が聞こえた気がした。
藁にも縋る想いで声を頼りに山の中を駆け抜けた。
「お願い。誰かいて」
いつもは人が怖かったが、今は誰かに会って助けを求めたい。
何かが見える。木の屋根だろうか。屋根の上には草が覆い被されている。
その近くには深緑の服を着た男の人が居る。
ここはキャンプ場なのかもしれない。
こんな極限状態でも人に声をかけるのは怖い。どんな反応をされるのだろうか。
「あの、すいません」
勇気を振り絞って声をかけた。返事はない。不思議な顔でこちらを見ている。
「なんですか」
返事が返ってきた。怪訝な顔をしている。何を話せば良いのか分からない。
とっさに昨日の出来事を話し、近くにバス停がないか、ここは何処なのかを聞いた。
「あなたの話はよく分かりませんが、よくここを見つけられましたね。誰に聞いたかは知らないが、誰かの家族ですか。名前を言ってくれたら呼んできますよ」
そう言って男の人は悲しい目をして笑った。誰かを探しているわけではない。
そもそも何の話をしているのだろう。何を話しているのかさっぱり分からない。こんなところに家族が居るわけがない。この人以外にもここに人が居るのだろうか。
「あの、タクシーを呼びたいのでスマホを貸してもらえませんか。ずっと使えなくて困ってます。地図も見れないんです」
「スマホとは何のことだか。君の話はよく分からない。こんなところに来たくらいだ。君は頭を打ったんじゃないか。いや、身なりが変だ。さては間諜しに来たのでは。誰もこんなところに迷い込んだりはしないはずだ。その荷物はなんだ。何か持ってるんじゃないのか。申し訳ないが、荷物の中を確認させてもらう」
肩にかけていたリュックは取られ、逆さまにして荷物を全て出された。
この男の人はよほど追い詰められているのだろうか。目の下には大きなくまが出来ている。先ほどまでの人とは別人のようだった。
財布や本、ポーチ、お菓子、レシートが草と土にまみれた地面に落ちた。
スマートフォンはポケットの中に入れていたため、落下は免れた。
一つ一つ怪しいものを見るような目で見ている。
恐る恐る手を伸ばし検査でもするように手に取り凝視している。
「特に何もないようだ。申し訳ないことをした。精神的に追い詰められていてね。もしも君が敵国の間諜だとすれば自分たちはどうなるか分からない。情報を漏らされたらたまったものでない。それにしてもこんなお菓子は初めて見た。こんな綺麗なお菓子がまだこの世界に存在していたんだね」
それははちみつの飴だった。お腹が空いたときに食べられるようにいつも持っている。
そう言われるとたしかに綺麗な飴色をしている。
次に男の人は本を手に取った。
「自分も学生時代に読んだことがある本だ。軍人になってからはもう本など読まなくなった。そんな繊細な時間はもう随分と味わっていない。この本少し借りても良いかい。短い命だ。それまでにもう一度読み直したい。これも何かの縁だろう」
男の人はたしかに軍人と言った。何を言っているのかさっぱり分からない。
まじまじと見つめるとそれはたしかに教科書か何かで見たことのある軍服だった。
軍人ごっこでもしているのだろうか。それともここでサバイバルゲームが行われているのだろうか。とても奇妙に思えた。
「良かったらそれ差し上げます。それもう読み終わっていて、二回目を読んでいる最中だったので」
そう言うと優しい笑顔でお礼を言ってくれた。
「自分の名前は上光だ。よろしく頼んだ」
「よろしくお願いします。わたしはあおいと言います。何度もすいません。誰かにスマホを貸してもらえないでしょうか。バス停も見かけなくて、このままでは駅まで戻ることができません」
「何を貸せば良いんだ。貸せるものなら貸してあげたいものだが。こんなところにバス停などあるわけがないよ。君は一体何処から来たんだ。ここらへんの人ではないのか」
「大阪から来ました」
「大阪から鹿児島まで来れたのは幸運だったね。最近では切符も取りづらくなっているからね。乗れたとしても空襲に遭遇して亡くなる人も居るとよく聞く。君は幸運だ」
この時点で異変に気付いた。確実に何かがおかしい。これはドッキリか何かなのか。
軍人や空襲という言葉からは戦争の文字が浮かぶ。
「あなたは軍人さんですか。今ここでは戦争が起きているのですか」
咄嗟に出た言葉だった。自分でも訳が分からなかった。
「君はおかしなことばかり言う。自分は軍人だ。当然ながら、今は戦争真っただ中だ。大東亜戦争の真っただ中じゃないか。何を今さら」
頭の中が混乱した。自分は今何処に居るのだろうか。
「今は令和の何年ですか。」
「今は昭和二十年五月五日だ」
嘘を言っている表情ではない。自分は何かの拍子に時空を超えて過去に来てしまったんだ。そう思った。
主人公がタイムスリップをする小説ならいくつか読んだことがある。
あんなのもは全て空想であり、現実に起こることではないと思っていた。
もしかしたら自分は夢を見ているのかもしれない。強い力で頬をつねった。痛い。
夢ではないのかもしれない。から恐ろしい気持ちになってきた。
暗かった空は明るくなり、続々と三角兵舎から人が出てきた。
みんながみんな軍服を着ていた。
木めがけて大きな刀をふりかざしている人がいる。木は鈍い音を立てた。
この人たちは一体。
呆然とする自分がいた。その日も青い空だった。
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