第32話:二宮愛理の真実
大晦日から年明けにかけては綾香と近くの小さな神社に初詣に行った。
普段は着ないような着物を纏った綾香に思わず目を奪われてしまったものだ。
そんな冬休みも終わりを迎え、学校が再開する。
今日はそんな始業式の日だ。
「俺ものすごく不安なんだけど……」
「大丈夫だいじょーぶ! わたしが保証する!」
冬休みに出かけたとき、何気に買わされていたワックスで髪を固められていた。
制服もしっかりとクリーニングに出しておいたので、新品のような質感に戻っている。
まるで新入生に戻ったようだ。
それもあの時とは違う。
綾香がいることで、心持ちが全くと言っていいほど前向きなのだ。
ここでスニーカーの靴紐を結び終える。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
俺は時雨との告白を断り、綾香に告白した。
綾香はいくつもの感情を同居させてから、ごめんね、と謝った。
――振られたのだ。
それできっぱりと諦められないのは嫌な男かもしれないが、俺もこの結果には納得していた。
そんなことがあっても俺と綾香の関係性は変わらず、幼馴染だ。
それも昔のように仲のいい。
「ん……?」
学校が近づくにつれ、生徒の数は徐々に増えていく。
俺と同じように徒歩の生徒、バスに乗車している生徒、自転車で通り過ぎる生徒。
そんな彼ら彼女らから、結構な頻度で視線を向けられるのだ。
「おいおい……綾香、俺はまた失敗したんじゃないだろうか……」
そんな俺を嘲笑うかのように、雲一つない蒼天が抜けていた。
♢♢♢
「おい来たぞ」
「あれが転校生? やっば~!」
正門をくぐるとより一層反応が顕著だった。
しかも時々転校生という言葉がチラつき、見当違いの言葉にうんざりする。
俺は夜宮悠斗。
誰からも蔑まれている陰キャで、今は少しイキって髪型を整えた陰キャだ。
やはり早々雰囲気まで変わるわけないか。
俺は下駄箱で上履きに履き替え、自分の教室に一歩を踏み入れる。
先に登校していたクラスメイト達の一部がこちらに視線を向けて固まった。
そして芋づる方式に次々に視線がこちらに向けられる。
時雨は周囲など気にせずに朝読書に勤しんでいた。
「おはよう、時雨」
「ああ、おは――!?」
大袈裟にも時雨の手から小説が落ち、トン、と音を立ててページが閉じた。
まるで珍獣を見たようなその表情に、俺はがっかりする。
そんな俺に追い打ちをかけるのは時雨だ。
「あの、誰?」
「俺だよ、俺。夜宮悠斗」
なぜこんなオレオレ詐欺のようなことをせねばならんのだ。
それを聞いてクラス内は阿鼻叫喚に包まれた。
あの根暗が~とか、ひどい奴はそんな奴いたっけ~とか、散々な言いようだ。
というか時雨は告白の返事の日、ワックスは付けてなかったとはいえ、俺の姿を見ているはずだ。
よもや、過度の緊張状態で目に入っていなかったのだろうか……。
……ありうる。
俺だってあの日は緊張してあまり時雨の顔は見れなかった。
恐らく時雨も俺の顔が視界に入っていてもまともに認識する勇気がなかったのだろう。
綾香による俺の変革に気づいた彼女やクラスメイトは騒ぎ立て始める。
「お前、本当に夜宮……?」
「だからそう言ってるだろ……? しつこいぞ」
「あのな、おれがおかしいんじゃなくて、これが普通の反応だぞ?」
「そんなに似合わないか? 幼馴染の綾香にやってもらったんだが」
「なるほど……な。全部理解した」
クラスメイトなどお構いなしに会話は進んでいく。
「それよりも、だ。時雨も約束守れよな。俺が前髪を切ったら、お前も真の姿になるはずだろ?」
「そんなゲームみたいな言い方するなよな。”真の姿”じゃなくて”イメチェン”だ。少し待ってろ」
そう言うと時雨は手提げをもって教室を後にした。
時雨との不思議な約束がまさかこんな形で果たされることになるとは思ってもみなかった。
そして、待ち受けているのは質問攻めだ。
元々噂に踊らされていただけのクラスメイトは次々に寄ってきた。
「ねえねえ! 本当に夜宮くんなの!?」
「冬休みに何があったんだよ!」
「お、おれは知ってたぜ? こいつは冬凪祭の絵を毎日一生懸命描いていたからな!」
古参ぶる奴や事情を知りたがるじゃじゃ馬に適当な一言二言を見繕ってぶつけておく。
急に蜜に吸い寄せられる昆虫のように群がってくる彼らに恐怖を覚えるほどだ。
そんなに俺の容姿は変なのか?
「待たせたわね、夜宮」
ガラリと扉を開けて入ってきたのは数分前に出て行った彼女――十文字時雨だった。
濡れ羽色の髪を背中に流し、女子用のブレザーとリボン、そしてミニスカートを着用していた。
「流石、似合ってるな」
「そ、そう? 男装に慣れていたから違和感があってスースーするわ……」
恥ずかしそうにスカートの裾を抑える彼女はどこか煽情的だ。
「でも、夜宮の方もかっこいいわよ? みんながみんな、貴方に注目しているのは貴方の本当の見た目が明かされたから。よかったわね、色男さん?」
若干棘がありつつも、悪戯な流し目で見てくる。
この後、先ほど以上の地獄まがいの阿鼻叫喚が展開されたのは創造に造作ないだろう。
♢♢♢
その日の昼休みに、俺は佐久間に屋上へ呼び出されていた。
時雨は「私も行くわ」と息巻いていたが、今回ばかりは俺が向き合うべきことだ。
もう以前のように腐った心はない。
勢いよく屋上の扉を開く。
「来たな――夜宮」
腕を組み、フェンスに持たれていた佐久間は俺の前まで来ると足を止めた。
「今のお前は以前のお前から変わったのか?」
ただ一言、問いを投げられる。
トラのように鋭い眼光が一切の嘘を許さないと固く言い放っていた。
そして、それに対する俺の覚悟も心持ちも十分なほどに整っている。
「変わったよ、確実に」
数秒とも数十秒とも体感できる静寂な時間が過ぎる。
その間、相手の目から視線を逸らすことなどしない。
むしろ、相手の視線を逸らさせるくらいの気持ちで向かい合う。
「悪ぃが、男と見つめ合う趣味はねえんだ。――変われたな、夜宮」
満足そうに豪快な笑顔を向ける佐久間に俺も笑い返す。
「ああ、俺を支えてくれた奴らがいたからな。佐久間にも感謝している」
「俺に、感謝? 俺はお前を追い詰めただけだと思ってけど……?」
「そんなことはない。お前がきつい言葉をかけてくれたおかげですべてが動き出した。俺が朝露事件に向き合うことができるようになったんだ」
それを聞いた佐久間はへっと鼻で笑う。
こいつはこういう性格なのだと前回のことで知っていた。
「その感謝は受け取っとくぜ。いいんだな?」
「ああ」
これから先、佐久間の口から紡がれるのは今はもういない二宮愛理の言葉だ。
それがどんな恨み言であろうとも俺は向き合わなくてはならない。
♢♢♢
「佐久間、わたしね、好きな人がいたの」
「んだよ、そんなこと言って俺への当てつけか?」
佐久間は一度、愛理に振られている。
それゆえに今の発言は感情を荒立てるきっかけとなりえた。
しかし、そこで愛理の様子がいつもと違うことに気づいた。
「お前、何かあったのかよ」
そう言うと愛理は嗚咽を漏らしながらことの経緯を打ち明けた。
その絶望に満ちた事実を聞き、佐久間の内側から沸々と怒りが湧き上がってきていた。
「それで、わたしは悠斗を傷つけちゃった……! 馬鹿、だよねっ……! わたしは本当に馬鹿……っ! 彼は何も悪くないのに、彼を巻き込んで!!」
佐久間は立ち上がった。
振られたとはいえ、こんなにも好きな相手が苦しんでいるのだ。
赦せるはずがなかった。
「俺がお前とお前の好きな奴を傷つけたクソどもを殺してやる……!!」
その手は固く、血液が滴るほどに強く握りこまれていた。
そして、その手を愛理が握る。
「それはもう、いいんだ。わたしはもう、取り返しがつかないから。だから、佐久間に悠斗へのメッセージを届けてほしいの」
愛理は虚ろな瞳で佐久間を見つめる。
その姿に佐久間は必死で反駁する。
「そんなわけねえだろ! 取り返しのつかないことなんて……それこそ死ぬことぐれえしかねえだろ……っ! なあっ……だからそんな顔をすんなよ……。そんな遺言みたいなこと……言わないでくれよ……っ!!」
佐久間の言葉は愛理の耳には届いている。
だが、心には届いていなかった。
届かなければならない心は、すでに粉々に砕かれているのだから。
「なんとか言えよ!! そうだっ……警察に言おう! いや、児童相談所か!? どっちでもいい! どこでもいい! なあ、愛理!!」
佐久間は愛理の肩を揺する。
それに何の抵抗も見せず、為されるがままの愛理は言葉を紡ぐ。
半ば、自動的に。
「『悠斗に、関わらなければよかった』。この言葉はわたしが悠斗に関わったせいでって意味なんだ。ごめんね。本当にごめん。悠斗の最後の表情は、きっとわたしの言葉の真意を間違って捉えてるから」
佐久間はその言葉を一言一句違えずに覚える。
だが、それは意志とは反対に行われることで、こんな言葉の数々を聞きたくなかった。
「やめてくれ」
「わたしは悠斗と一緒にいれて嬉しかった。絵を描いてくれたとき、はっきりと自覚した」
「やめてくれ!」
「わたしは悠斗のことが好きだった」
「やめてくれよおおおっ!!」
「わたしはもう、耐えられないから――さようなら」
♢♢♢
「俺は結局あいつの自殺を止めることができなかった。あいつは俺の他には誰にも朝露事件のことを話さなかったらしい。父親も母親も、娘に変わったところはなかったと言っていた」
俺は聞かされた内容に唇を血がにじむほどに噛みしめる。
――俺はなんて愚かだったんだ。
あの言葉は愛理が愛理自身のために言ったものではなく、彼女が俺のために差し出した言葉だったのだ。
それをずっと勘違いしたまま、捻くれて卑屈になって。
「でもよ、俺だって悪いんだ。どんなに意地になってでも止めてやるべきだった。それなのに、あいつの言葉は鉛みてえに重く圧し掛かってきて、どうすることもできなかったんだ。そんな自責を夜宮にぶつけたって寸法さ。憎まれこそすれ、感謝なんて的外れだぜ」
佐久間は泣くでもなく、ただ努めて無感情に空に視線を送る。
「俺、何も理解していなかったんだな。愛理が伝えたかったことも、俺を守ろうとしてくれていたことも。全部捻じ曲げて捉えて。っ!」
過去を思い出すたびに苛まれる頭痛が久しぶりに頭を刺す。
思い出せ。思い出せよ、俺。
彼女が最後に笑った姿を。
苦痛に押しつぶされそうになっていた泣き顔ではない。
「っ……!! ああああぁぁぁあああ!!!」
「夜宮? おい、夜宮!!」
♢♢♢
――思い出した。二宮愛理という一人の活発な少女のことを全部。
モザイクがかかったようにあやふやだった思い出の中の彼女の表情が鮮明に色づいてゆく。
――初めて俺と出会った時の笑顔。
――冗談交じりに先輩をからかう笑顔。
――絵をあげた時の一際輝く笑顔。
すまない。
俺は愛理の真意に気づいてやることができなかった。
でも、今なら受け止めることができる。
大切だと思える人たちが、いるから。
――悠斗。受け止めてくれて、ありがと――
「おい、しっかりしろって!」
「……なんで俺、男に膝枕されてんの?」
「んなこと言ってる場合かっての! 急に気絶しやがって! 脅かすんじゃねえよ」
どうやら少しの間気絶してしまっていたらしい。
佐久間は俺が元気なことを確かめると、俺の頭を放り出し、さっさと立ち上がる。
「俺だって男に膝枕する趣味なんざねえからな。――それで? どうしたんだよ?」
「愛理との思い出を見ていた。最後に受け止めてくれてありがとうって聞こえた気がしたんだ」
「んだよ、そりゃあ……。死者がしゃべったっていうのかよ……」
佐久間はがりがりと頭を掻きむしる。
当然だ。
信用しろと言う方がどうかしている。
俺だって事実なのかは分からないが、信じていたいというのが本音だ。
「まあでもよ。夜宮がそう言うんならそうなんだろうな。あいつは会えばお前の話ばっかししてたしよ。それに――」
佐久間は腕を俺の肩に回す。
「信じてえじゃねえかよ!」
真冬だというのに、仄かに温かい風が吹いたような気がした。
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