第27話:私は絶対に裏切ったりしない
顔を上げた時雨はおもむろに話し始めた。
「夜宮には私があの時、お父様と対立していた理由を話していなかったでしょう?」
「ああ、そういえばそうだったな」
深入りは禁物だと考えていた俺は、数週間を一緒に過ごしていても掘り下げようとはしなかった。
それが時雨にとっての一番いい結果になると思っていたからだ。
「実はね、私の婚約者を勝手に決められたからなのよ。顔も見たことがなくて、その人の性格だって知らなかった。だから嫌になって家出したの」
時雨は名門十文字家の次期当主だ。
現代にあって古い慣習だとは思うが、いまだに格式高い家柄の間では許嫁や婚約、政略結婚まであるらしい。
自由を是とする風潮に抗うような波に時雨は巻き込まれたのだ。
「そうだったのか……。でもどうして今頃俺にそれを明かしたんだ?」
「お父様は夜宮の家にお世話になったことを私から聞いて、とても怒ったわ。『人様に迷惑をかけるんじゃない!』ってね。でもお父様は根は娘想いな人。あれから婚約の話を破棄してくれたわ。そこまで言うなら、娘の私の意志を尊重するって言って。だから、今の私はフリーなのよ」
一体どういうことだ?
何が言いたいのか分からない。
……と脳裏に過ったことを全力で無視する。
「……もしかして、俺に男を紹介してほしいのか? 悪いけど、時雨も知っているだろ。俺の学校での扱いは――」
マイナスからやっとほぼ初期状態に戻ったところなんだ。
そう言おうとしたのだが、ふと見ると頬を染め、不満げにした時雨がいた。
その目線は俺をまっすぐに射貫いている。
もしかして。
いや。まさか、本当に。
「この鈍感」
ぽそっとこぼれた言葉は確かに在る感情がこもっていた。
「俺のことが、好きなのか?」
「随分と直球なのね……でも、ええ。私はあの時から夜宮を目で追いかけていたの。お父様が差し向けた不良に絡まれたときに自分の身を鑑みず、私の身を案じてくれた貴方を。あの時はまだ小学生で幼かった。でも、今は違うわ。高校生になって、心も身体も成長して、それでも恋心だけは変わらなかった。私は、夜宮のことが好きよ」
時雨はキュッと目をつむり、赤面はピークを迎えていた。
彼女の肩は小さく震えていた。
相当な覚悟をもって告白してくれたことが分かる。
「俺も時雨のことが好きだ。今まで男として見てきたけど、いつもお前は俺のことを気にかけて、助けてくれた。それに救われたこともある。まだ戸惑いはあるけれど、俺は確かに好きだ」
時雨の表情が真夏の太陽よりも明るいものに変わった。
「な、なら……!」
「でも、すまない。俺はすぐには答えが出せそうにないんだ。どうして俺のことを選んでくれたのか、なぜ他の人じゃダメなのかがわからない。こんなに冴えなくて、平凡な俺をどうして好きになれるんだ?」
朝露事件の余波が時雨の提案によって、収束されつつある中で、それでもまだ完全に普通の高校生になれたわけではない。
いまだに俺を偏見の眼差しで見る生徒もいるし、見た目も根暗で陰湿なままだ。
それが俺に劣等感を抱かせて、影を落とす。
時雨は一瞬緩んでいた口元を、次の瞬間には硬く引き結び、ギリッと音がしそうなほどに歯を食いしばる。
「貴方はっ……まだ……っ! 夜宮はまったく自分のことを分かっていない! 夜宮は自分で思っているほどダメな人間じゃない! 私を何の対価もなしに助けてくれた! 優しさと元気を分けてくれた! どうして……!? どうして、夜宮は自分のことをそんなに蔑むの……!?」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺のために言葉を紡いでくれる。
「俺は時雨の言うような立派な人間じゃないと思うけどな……。ずっと殻に閉じこもって一人だったから」
いいところなど一つもありはしない、と思う。
だって、俺は簡単に堕ちてしまったから。
今でこそ持ち直しつつあるが、それは綾香と時雨のサポートがあったからであり、決して自分の力で立ち直ったのではない。
綾香が学校以外で、時雨は学校内での俺の精神面を支え続けてくれていた。
朝露事件の傷は見かけ上は治っても、内面でジクジクと傷み続ける。
絶対に忘れてはならない、思い出せ、思い出せと訴えかけてくる。
その恐怖の沼から手を握り、引っ張り出してくれたのは他ならぬ二人だ。
他力本願な俺は、どこまでも情けない。
「貴方はっ……!」
時雨は長い髪を振り乱して俺を抱きしめる。
「貴方は、決して独りじゃないのよ! 私は言ったわよね! 困ったことがあれば連絡してほしいって! なんで、お父さんがいなくなって、中学でいじめられて! なんで、その時に私を頼ってくれなかったの!!」
時雨は激情に駆られて、固く俺を抱きしめる。
「私は少しでもいい、貴方に助けられたから貴方に恩を返したかった! 貴方がしてくれたことの何割かだけでも私はしてあげたかったのにっ! それなのに……っ!」
普段は感情など滅多に出さないのというのに、今はもう感情を露わにして俺を気遣ってくれる。
その優しさを父さんがいなくなった時、いじめられていた時に信じられたならどれほどよかっただろうか。
信じるという言葉自体が俺にとっては薄っぺらい言葉に思えてしまう。
「ごめん。俺は周りを信じられなかった……」
だがそれは、一つ前までの俺だったらの話だ。
今は二人ともを心の底から信じている。
弱々しく、躊躇いながらも時雨の背中に手を回す。
一瞬ぴくッと驚いたように反応するが、すぐに時雨は受け入れる。
耳元で小さな言葉が聞こえる。
「私が夜宮を好きなのは本当よ……。優しさだって弱さだって、全部私が受け止めてあげたいの。――絶対に私は裏切ったりしない」
言葉を切ると、途切れそうなほど小さな言葉で続ける。
「――返事は今じゃなくてもいい。だから、今だけはこのままでいさせて」
時雨が俺の頭をなで、俺が時雨の背中に手を回すという傍から見れば奇妙な姿がそこにはあった。
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