第26話:私は女の子よ...?

「あのさ、夜宮。今、少しだけ時間いい?」


俺は熱狂的に盛り上がった冬凪祭の終了直後に、時雨に声をかけられる。


結局綾香は時雨の誘いを申し訳なさそうに断った。

それを伝えたオレに、時雨は嫌な顔一つせずに笑ったものだ。


そんな時雨だが、普段よりも雰囲気が柔らかくて、不意に女の子らしさを感じてしまって。

俺は勢いよく頭を振り、馬鹿な考えを振り払う。

男に女らしさを感じるとか、どんなちんちくりんな知覚をしているのか。

馬鹿な考えを一蹴する。


「え……? もしかしてダメ?」

「ああ、いや、そういう意味で頭を振ったわけじゃないんだ! あと少しで片付けも終わるし、大丈夫だよ」


俺は舞台で使う一枚絵を完成さえしてくれれば、他の事前準備や後片付けもしなくていいと言われていたのだが、やはり手伝いはすべきだと思ったのだ。

あの絵の出来がどうであれ、そんなことで他のメンバーと区別されるのは嫌だった。

そんな俺を見て、生徒会長や他の生徒たちは苦笑気味に眉を緩めたものだ。


「よし! これで片付けは大体終わったな。時雨、お待たせ」

「ああ、うん」


体育館の外で待っていた時雨は耳と頬、そして鼻先を赤くしていた。

急いだとはいえ、一時間ほどかかってしまったからだろう。

すでに夜闇が昼の明るさを侵食し、街灯や建物から漏れ出る光ばかりが彼を照らしている。


「ごめん……。だいぶ待たせたみたいだな――これ、よかったら使ってくれ」


俺は自分が首に巻いていた解き、そのマフラーを時雨の首に巻く。

そう言えばよく小さい頃には綾香にも同じことをしてあげた気がする。

あいつはいつもはにかんだ笑顔を振りまいてくれたっけ。


「……」


普段の時雨なら照れ隠しの攻撃の一言や二言が飛んでくるのだが、今日ばかりはだんまりを決め込んでいた。

余程、真冬の寒さが応えたらしい。


「んじゃ、行くか。俺をこんな時間まで待ってたってことは、結構大事な話なんだろ?」


ゆっくりと歩き始めた俺たちは、正門を抜け、夜の活気に満ちた商店街を抜け、春には満開の桜が見られる川沿いを進んでいく。

その間、時雨はただ俯きながら黙々と歩いていく。

しばらくの間は時雨にも言い出しにくいことがあるのだろう、と受けの姿勢を取っていたのだが、ここまで来ると目的地が見えてしまう。


「この道って……待ってくれ、時雨! この先にはお前の屋敷しかないだろ!? そこまでついていくわけにはいかないって!」


小学校の時の俺ならいざ知らず、今の俺はただの影が薄い人間だ。

学校という公の場なら対等に付き合えるが、時雨とはどうしても住む世界が違う。

彼の邸宅にお邪魔した瞬間から、彼は名門である十文字家の次期当主としての役割を果たさなくてはならないはずだ。

当然、その場に俺がいては無粋でしかない。

そこまで脳裏に描いたところで、時雨が口を開く。


「あのさ……夜宮はさ、よくおれに絵を描いてくれたよな?」

「え? ああ、確かに一緒に住んでた数週間で何枚かお前のための絵を描いたけどさ……。それって、だいぶ前の話だろ?」


時雨は橋の真ん中で足を止めた。

そのまま橋の欄干に腕を載せ、わずかな光源を歪めて照り返す川の流れに視線を向けているようだ。


「あの時、凄く嬉しかったんだよ。お父様が差し向けたとはいえ、ごろつきたちに追い詰められて傷ついたおれを慰めようとしてくれたんだろ? あの絵は、夜宮が真剣に考えて描いてくれたんだなって思って、本当に嬉しかったんだ……。それを見て嫌なことは全部忘れられたんだ」

「……時雨……?」


俺はいつもの時雨とはどこか雰囲気が違う様子を見て、戸惑ってしまう。

そんな俺を可笑しそうに、夜空から雪の妖精が舞い始めた。

穢れなき無垢なる純白だ。


「――、女の子よ」

「……え?」


――いま、なんて言った?


雪に気を取られたその一瞬に時雨は特大級の爆弾を投下した。

あまりにも強烈なインパクトを内包していたせいで、思考も心もついて行けていない。

そのせいで間抜けな声を漏らしたまま、十数秒は硬直していただろう。


「は、はは……。時雨、いくらなんでもその冗談はひどいな……。まさか時雨、今更俺のことをからかって面白がって――」

「違うわ。私は夜宮をそんな風にからかったりしない。絶対に、よ」


すかさず時雨の否定が入ったことで俺は動揺を隠しきれない。

いや、待ってほしい。

中学に入る前、短い間ではあったが、同棲していた。

その時には、まったく気づかなかったのだ。

だって、一人称、だったし。

高校で再開してからもずっと一人称はおれだった。

制服だって高校指定のブレザーにズボンという男子用のものだった。

いや、実際に眼前の時雨が纏っている。

いや待て待て待て。

よく思い返してみると時折、言葉遣いを言い直す時がままあった気がする。


……。

…………。


「男、だよな?」

「女の子よ」

「お――」

「んなのこ」


一切の反論を許さず、はらりはらりと舞い落ちる雪に囲われつつ、言い合いをする。


「待ってくれ……。俺、初めて会ったあの時からずっとお前のことを男だとばかり思ってたんだぞ?」

「だって、そういう風に振舞っていたもの。……もう。そんなに信じられないなら、これでどう……?」


そう言うと、トレードマークのようにいつも被っていた帽子を取ってみせる。

すると、まっすぐな黒髪がサラサラと零れ落ちて来る。

綾香のと髪質も似ていたが、やや時雨の方が髪が長そうだった。

綾香は肩の少し下――セミロングだが、時雨は腰辺り――ロングである。

そうか……普段ずっと帽子を被っていたのはこのためだったのか。


「な、なんだってそんな……」


意地悪そうに時雨は笑って見せた。

その笑顔の成分にはからかいやしてやったりといった自慢も入っていそうだ。


「私が嘘つきなのは知っているでしょう? 必要であれば私は嘘をつくわ。女ってわかったら夜宮はあの時泊めてくれなかったかもしれないし」

「それにしたって衝撃的すぎる……だって、あの時、俺は……!」


あの数週間、男だと思っていた俺は一緒に寝たものだった。

なにぶん、布団は父さんと俺の分しかなく、俺が譲るといっても時雨はかたくなに首を振り続けたのだ。

仕方なく、一緒に寝るか?って言ったら、許可が出て添い寝のようなこともした。

唯一の救いは入浴を共にしなかったことだろう。

もし……と想像すると、顔が青くなる思いだ。

そんな俺の荒れた海の心境を時雨はさらにかき混ぜる。


「あの時は、小学生ながらにドキドキしたわよ? 寝付くまで身体が火照って仕方なかったんだから。……ふふ、夜宮はその手の話に弱いようね」


まさか十文字家のお嬢様と一つ屋根の下、それも一つの布団の中で寝ていたなんて信じられない。


「ごめ――」


俺が謝ろうとすると彼女は玲瓏な声を大にして言う。

辺りによく通る声音の響きによって、まるでこの世界に俺たち以外誰もいないかのような錯覚に陥る。


「謝らないで! 夜宮はあの時から変わってしまったのね……。こんなに弱気になってしまったのも、全部夜宮を追い詰めた奴らのせい」


憎悪のほむらが灯るのを感じた俺は時雨を何とかして、落ち着かせた。

その過程で自分の気持ちにも折り合いをつける。


「それで、今の俺に何が言いたいんだ? お前は無意味なことはしないだろ?」

「ええ、その通りよ。だからこのまま、私の屋敷まで来てほしいの」

「でも、今日はこれから予定があるんだ……。少しだけって話だったから、ついてきたけどさ」


言っていることは誤魔化しでも何でもなく、事実だった。

今頃俺の部屋では、綾香がクリスマスパーティの準備をしているだろう。

今日の演劇で使われた大きな一枚絵を見るのと同じくらいに楽しみにしていたからな。


「そ、そう。そうだったのね……。それはごめんなさい……。でも、クリスマスに予定があるってことは、その、恋人、だったりするの……?」


時雨はバツが悪そうに俺の目を見てくる。

その頬は赤くて、もはや寒さのせいだけとは思えなかった。


「いや……俺みたいなやつに恋人なんてできるわけないだろ……。ただ、幼馴染とクリスマスパーティをするだけだって! というか、時雨が実は男じゃなくて女だったってことが驚きすぎて、頭が働かない……」

「そ、そうよね……。でも、折角ここまで来たんだからあと十分だけ、私に時間を下さい」


俺に向き直り、深く頭を下げる。

時雨は大切な親友で、その彼――ではなく彼女が正体を明かしてまで時間を取りたがる理由に見当はつかなかった。

でも、その真摯な態度が何か大切なことを伝えようとしているのだと直感させる。


「頭を上げてくれ。第一、俺はお前の親友だぞ? 頭を下げる理由なんてないさ」


ありがとう、と言いながら顔を上げる時雨の表情で、次の瞬間にはこの先に起こることを察してしまった。

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