第11話:お魚可愛い
綾香と午前九時に駅前に待ち合わせをした俺は、集合の三十分前に到着していた。
彼女の姿はまだ見えない。
「それにしたって、少し楽しみにしてる自分が情けない……」
そんなことを言ったら、綾香の思うつぼなのだろう。
幼馴染とはいえ、異性ということを意識してしまう。
「おい、あれ見ろよ。もしかして、夜宮じゃねえか?」
浮足立っていた俺の背筋が一瞬で凍り付くのを感じる。
視線を向けると、そこには見覚えのある二人組がいた。
朝露事件を面白おかしく広報したのは、当時の俺のクラスメイトだ。
首謀者は上級生だが、間接的に俺を悪役に仕立てた
「ほんまや。クッソみたいにシケた面してやがんの草。おーい、何しとんねん!」
ノシノシと歩を進めてきた二人に俺は肩を組まれる。
身体中が全力で拒絶反応を起こしていた。
「おい、聞いとんのか? ……なんや、こいつ震えてるんか?」
「童虎が怖いんだろ。名前の通り虎刈りだからよ」
「そうかいな。ま、ええわ。おい、夜宮。人様の彼女奪っておいてそれはないんやないの?」
「……俺は……そんなことしてない……」
早くこの場から去りたかった。
ただ俺が存在しているというだけで、悪役を押し付けられる。
そんなことはもう、うんざりだった。
「嘘はいけないぜ? あの時、上級生が何人も証言してるんだからな。お前みたいなゴミ屑はニートにでもなってろっつーの」
「そういや、風の噂で聞いたで? お前、もう普通に過ごしてるらしいやないか。なんでもボンボンに守ってもらって、せっこいやつやのぅ」
俺は組まれた腕を振り払う。
「俺は、そんなことしてないって言ってるだろ……!」
安藤と童虎は顔を見合わせると、額に青筋を立て睨みつけてくる。
駅前には人が多いが、俺が人嫌いなため、死角となる部分で待ち合わせしていたことが裏目に出てしまっていた。
「ははっ! ついに尻尾だしよったな!」
「ちょうどいいよなあ! 退屈な授業でなまった身体を動かすサンドバッグにはよお!」
殴りかかってくる二人に、俺は瞼を伏せた。
どうしようと俺に人を殴るだけの覚悟も武力もない。
嵐が過ぎるのをひっそりと待つしかないんだ。
「おら――なんやっ……!?」
「いっ!!」
「っ」
恐ろしく強い突風が俺の顔をかすめたのを肌で感じた。
直後に安藤と童虎が数メートル以上、中空に投げ出される光景を見た。
「ブシッ!!」
「トォノッ!!」
スローモーションのようにゆったりと動き、やがて二人は『ゴミ廃棄場所』と看板の置かれた場所に気絶してしまったようだ。
二人の変な声は俺の耳には入っていない。
「何が……?」
瞬間的な突風、なのか?
あまりに唐突な光景だったので、夢を見ているのかと思ったくらいだ。
「お待たせ!」
「うわっ……!」
肩をトントンと叩かれ、思わず身体を委縮させてしまう。
振り返ると、綾香が笑顔でたたずんでいた。
「ん……? 顔が青いけど、どうしたの? もしかして、具合悪い?」
「いや、そういうわけじゃないんだ……。綾香、さっきものすごい突風に煽られなかったか?」
「そういえば、そうだね……。
真剣に考えこむ綾香に、つい先ほど起こったことを話して聞かせる。
「ええええ!? 人がそんなに飛んだの……!?」
「この目で見たことが幻じゃなければ、な……。まだ伸びてるし……」
ゴミ袋がクッションになって大怪我はなかったが、落ちどころが悪ければそれも有り得た。
「――でも、なんで夜宮くんが絡まれてたの……?」
ここが俺の年貢の納め時に違いない。
いつまでも過去の嫌なことを隠そうとしても、きっといつかはバレてしまう。
他人に明かされるくらいなら自分から話して傷ついたほうがマシだ。
「その件だけど……今日の夜、俺の家に一緒に来てくれないか?」
「話してくれるの?」
「思い出したくもないけど、話さないわけにはいかないから」
「うん、分かったよ――でもまずは、楽しもう!」
重い空気は綾香が俺の手を引っ張ったことで、弾けて消えた。
♢♢♢
俺たちは小さな水族館の前で錆びたプレートを眺めていた。
「『
電車を乗り継いで数十分。
駅から人気がない方へ歩き続けて数十分。
たどり着いたのは、看板は錆びつき、壁は薄汚れたこじんまりな水族館だった。
駐車場もあるにはあるのだが、車の入りは数台程度の赤字待ったなしである。
唯一の救いは、テラスデッキから陽光を照り返す海という綺麗な景色が見れることくらいだろうか。
「合ってるよ? もっと駅の近くの方に大きい水族館ができちゃったみたいで今は下火みたいだけど、間違いなくここがわたしの行ってみたかったところだよ!」
「そうか……。それならいいんだが……。――おい、危ないぞ」
綾香は自身が履いていたストラップ付きのサンダルに足をもつれさせる。
危うく転ぶところだったが、俺が支えた構図になっていた。
「海に目を輝かせるのもいいけど、気をつけろよ」
「あ……うん、ごめん」
俺の前髪は相変わらずカーテン状態なので、綾香の表情を見ることはできなかった。
そう言えば、夏は人肌ですらひんやりと気持ちいいというが、綾香の二の腕も例に漏れなかった。
♢♢♢
自動券売機で入場券を二枚購入すると、綾香に手渡そうとする。
「ほら、お前の分の入場券だ」
「ん~? あ、それは夜宮くんが持っててよ」
「そうか? じゃあ、お前の分も係員に見せとくから先行ってろよ」
「うん」
綾香を先にゲートに通し、俺は二枚の入場券に切れ込みを入れてもらう。
その時、少しだけ年増しの係員の動作に迷いがあったのが気になったが、すぐに忘れてしまう。
自虐を承知で言うと、これほど綺麗に瞳が隠れた人間なんてそうそういないため、それが原因だろう。
それから、ちらりと手元の入場券に視線を落とすと、貝殻形の切れ込みが刻まれていて遊び心があるなと一人感心するのだった。
「わあ~! すっごく綺麗! あ、この小さなお魚可愛い~!」
水族館の中ではしゃぐ綾香はまるで幼い頃に戻ったようだ。
人のまったくいないこの場所でくるくると色々な水生生物を楽しんでいる。
そんなところに無粋ではあるが、もう一度先ほどの質問を繰り返す。
「確かに思ってたよりは綺麗だけどさ。……なあ、この水族館じゃなくてやっぱり最近できた水族館の方がよかったんじゃないのか?」
はっきり言ってここは落ち目の水族館で、『一か月後に取り壊しが決まりました』の貼り紙が館内の壁面を彩っている。
それでもやはり、綾香は「『ここで』ではなく、『ここが』いいのだ」と言い張る。
もうこれ以上は不毛だと判断し、最後には納得した。
「夜宮くん、こっちにおいでよ……!」
「ああ」
「ほら、このお魚。どことなく、わたしに似てない……?」
綾香が指さしたのは水槽の隅っこでぱくぱくと口を開け閉めしている小魚だった。
そこはかとなく元気がないようにも見える。
「お前はめっちゃぴんぴんしてるだろ。そうだなー……。俺はあれだと思うぞ、あれ」
水槽に俺の影が差すと、ほっそりとした魚が急激に丸く膨らんだ。
「ふぐじゃん!」
「ほら、今のお前の顔にそっくりだ」
「もー! からかわないでよね!」
俺と綾香はお互いにからかい合いながら一際大きな水槽の前に来た。
水面から幻想的な光が差し込み、その中を大型の魚がゆったりと泳いでいる。
「本当に綺麗だね、夜宮くん」
「ああ、ほんとだな」
自然と言葉はそこで途切れた。
俺に限って言えば、かなり気まずい。
幼馴染とはいえ、一人の可愛い女子と二人だけの空間に存在させられているのだから。
「――夜宮くんはさ、わたしに会ってドキドキした?」
水槽に手を当て、振り返らずに聞いてくる。
その声音はからかいの響きとは異なっていて、戸惑ってしまう。
「い、いやいきなりなんだよ……。まあ、正直に言えば緊張した、けどさ」
「じゃあ、今も?」
「それは……そうだろ……。俺が経験豊富なリア充に見えるか?」
「ぜーんぜん!」
「はっきり言われるとそれはそれで傷つくんだけどな。まさか綾香が俺の方に来るなんて予想もしてなかったからな。正直驚いたよ」
すると綾香は腰に右手を当て、左手で俺の額を軽く小突いた。
「いって……! いきなり何するんだ!」
「それならわたしのサプライズは大成功ってことだよね? よし! あ、でもお父さんとお母さんには内緒ね。二人には秘密で来てるから……」
「デコピンを何もなかったことにするお前は大物だ……。じゃなくて! 許可取ってきてないのかよ……。つっても俺も俺の両親とも綾香の両親とも連絡取れる状況じゃないけどな」
「え……? どうして?」
綾香の不思議そうな表情はもっともだ。
幼馴染の俺は綾香の両親とも都会に引っ越すまでは懇意にしていたからな。
連絡先くらい知っていても不思議ではないのだが。
「俺に母親がいないのは知ってるよな?」
「うん……。夜宮くんが生まれてすぐに亡くなったって聞いたことがあるよ」
「その通りだ。そして俺は父さんの男手一つで育てられてきた。で、引越ししたのも知ってるよな。最初は都会での共同生活もうまくいってたんだけどさ、急に俺をおいてどっかに行っちゃったんだよ」
待てども待てども唯一の肉親は帰ってこなかった。
悲しい気持ちとやるせない気持ちの両方がせめぎ合って塞ぎ込んだことは必然といえる。
「そうだったんだ……。夜宮くんは大変な思いをしてたんだね」
「んー、それはまあ苦労してないっていったらウソになるけどさ。多分、父さんは俺みたいなお荷物が嫌気がさしたんだよ……。それでも父さんにも最後の情があったのかもしれないな。高校一年までは無事に過ごせるだけの貯金を残していったんだ。……さすがに中学生でアルバイトとかって普通じゃ雇ってもらえないからな」
「悲しい?」
一言で感情を表すなら、その形容詞が一番しっくりとくる。
「そう、だな。父さんに捨てられたのは悲しい。でも今こうして綾香と再会できて少し元気が出た。ありがとう」
「わ、わたしは独断で来たかったってだけだから……。でもわたしの両親とも連絡が取れないってなんで? あんなに仲良かったから、もう第二の家族みたいな感じだったのに」
「俺の方から連絡を絶ったんだよ。父さんに捨てられて――そしてもう一つの出来事が間もなく起きて、一人で生きるためには支えになりそうなものは全部切り捨てたかったんだ」
「普通は逆だと思う。助けてほしかったなら助けてほしいって言ってほしかった……。その時のわたしには何もできなかったかもしれないけど、それでもわたしの両親を説得して呼び戻すくらいはできたよ……!」
綾香の言うことは世間一般でも正しいと言われることだと思う。
苦しい時、辛い時こそ周囲を頼ったほうがいい。頼ってほしい。
でも、尊敬していた父さんの失踪はそんな他者への信頼すらも揺るがしていった。
そんな時に、朝露事件だ。
もはや、誰かを頼ることはおろか、人間不信にまで陥ってしまった。
今でもたとえ時雨であっても、無防備に心を晒すことはない。
他者と話すときは、裏切られる覚悟を決めてからと固く心に誓っている。
「綾香の言うことは正しいよ。それに今のオレもそれが正しいと思う。それでも当時のオレにとっては目に映るものすべてが敵に見えたんだ。今まで見えていたものが急に色を失っていく感じだよ。すごく、怖かった。心細かった」
俺はあの時の心境を思い出して身体の芯から冷えていくのを感じた。
それと同時に今はとても温かい空間にいることも思い出す。
「と、こんな暗い話してもつまらないだろ? せっかく綾香が来たいって言ってくれたんだ。楽しまなきゃ損だ」
「……うん。そうだね、そうだよね!」
少しだけ寂しそうに、そしてほっとしたように胸をなでおろす綾香を見て、申し訳なく思った。
俺が逆の立場だったら綾香に頼ってほしいし、こうして今無事にいられることに安堵したと思う。
「ほら、まだまだ回る場所はある!」
小さな水族館を存分に満喫するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます