第70話 愛を教えてくれた貴方へ
───狂人が生み出したという『禁書』の確認作業に必要だったから───
魔界で伯爵位にあるという悪魔ヴィネアは確かにそう言った。
今回の旅行兼、視察の目的の一つである禁書の捜索。
これまでレシュッツ内の神隠し問題が根深く深刻だったことからそちらを優先してしまっていたが思わぬところで繋がった。
「禁書…そう呼ばれるものがつい最近隣の国から盗まれた。あれもお前の仕業ってことでいいのか?」
「ああ。ボクの配下が奪取してくれたんだけど追手に厄介なのがいてね。ここまで持ってくるのが大変だったよ」
「禁書が今ここにあるのかっ!?」
「え、あるけど…。なんでそんな前のめりなんだ…?」
禁書は本来シャラファス王国の所有であり、この悪魔を倒した後に手にすればすぐに監察局が回収に来るだろう。
そうなれば読む機会など今後一切ないだろう。
だが今手にすれば目を通す程度の猶予はある…!
「どんなことが書いてあったんだ!?」
「そ、そんなに知りたいなら教えてやろう!」
ヴィネアの懐から取り出されたのは一見特徴のない冊子。
だが魔力視が可能な者が見ればただの冊子でないことはすぐにわかる。
何故ならそれには昏い怨念のような濃い魔力が渦巻いている。
「これを手にしたきっかけはお前たち
「そんなことはどうでもいい。早く内容を言え」
「…書中にはお前たちが呪術と呼ぶもののあらゆる術式や効果、そして操生術に至った彼の心情が書かれていたよ」
あらゆる呪術の術式が書かれている…だと…?
見たい、見たすぎる。
呪術の記された本はトポロジの悲劇以降、焼かれるか各国の王が入念に封印を施して保管しているかの二択でありその知識を手に入れる方法はないに等しい。
だからこそこの機会に是非とも読みたいと考えていたのだ。
「それを譲ってくれるつもりはあるか?」
「逆に聞くが欲しいと言われてはいどうぞという悪魔がいると思うか?」
「死にたくなかったら渡せ」
解放していなかった魔力を全面に出して威圧するとヴィネアの顔が引き攣った。
「…本当にお前は何者だ。ただの人間が手にしていい力じゃないぞ」
「もう一度言う。禁書を渡せ」
「………」
沈黙。
互いに睨み合い時間が流れる。
数十秒の静寂の末、ヴィネアがはぁと息を吐いた。
「ボクはお前とこれ以上敵対したくない。あとで渡すさ。その前に質問は終わりか?」
「俺は今すぐ読みた…」
「ルクス?」
隣に佇むアウリーから尋常ならざる圧を感じるので一旦話を戻すことにしよう。そうしよう。
怒るとしばらく不機嫌になるし読書中に風を吹かしてページをめくるという嫌がらせまでしてくるのでそれは避けたい。
触らぬ精霊に祟りなしというやつだ。
もう夜も更けてきた。フィアやシアもいるしそろそろ終わらせるべきだろう。
「最後の質問だ。…魔王の目的はなんだ?」
今回の一連の出来事は一見、悪魔ヴィネアの企てであったように感じていたが、この質疑応答でそうではなかったことが明らかになった。
俺が目的を問いただした時、ヴィネアはこう言った。
『ボクは偉大なる魔王様より先遣隊の命じられた
「天樹以外に門を…?」
「天樹のことを知っているなんて博識だな。当然天樹の門を開ければそれが一番手っ取り早いが、その守護者を退けなければならないのが難点なのだ。まあ主導しているアイツらはボクと所属する派閥が違うからよくは知らない。」
これまで魔人の正体が悪魔が人の身体に受肉した存在であることも知らなかった人類に突きつけられた存在。
名称から察するに悪魔の世界、魔界の王なのだろうが聞かねばならないだろう。
その目的を。
「目的? そんなもの決まっているじゃないか。魔界から現世への侵攻だよ」
「………」
フィアとシアは息をのみ、リゼルやアンジーナ、レインを含めた周囲の騎士の空気がさらに張り詰めた。
「『お前たち
欲のために争う、か。正直返す言葉もない。
人間という種族の特性上避けれないこととはいえ悪魔にそれを指摘されるとは笑えない。
「魔界から人類への宣戦布告と解釈していいな?」
「近く魔王様自らお前たちに言い渡すだろう」
禁書を探しという目的を持って妹たちと旅行兼視察にやってきたら神隠しと伯爵家の不正を正すことになり、黒幕であった悪魔に誘拐された妹たちを助け、悪魔と戦い、終いには悪魔の世界である魔界からの宣戦布告を受ける。
…なぜ俺が図書館の外に出ると毎回歴史を揺るがす出来事が起きるのだろうか。
やはり俺は外に出ないほうがいいのでは…?
「質問が終わったなら契約通りこの場からボクを見逃せ。癪だがボクでは
「わかった。偽りなく正直に話してくれたんだ。契約通り俺は何もせず見送ろう」
「話がわかるじゃないか」
ヴィネアを覆っていた結界を解除する。
これで奴は魔力を使うこともこの場から離れることも可能になった。
「遠くない未来、ボクら悪魔が現世を支配する。その戦いの場でまた会おう第三皇子。それまでに君を殺せる魔獣を…」
地上から放たれた熱線が夜を照らし得意げに語るヴィネアの両腕を文字通り消し飛ばした。
「は?」
ヴィネアから困惑の声が漏れるが気にしないとばかりに地上から熱線が煌々と迫る。
反射的に回避を試みたヴィネアの行動を予知していたかのように風が吹いた。
風が過ぎ去った時には右脚も失い全身に傷を負った悪魔の姿があった。
「先に言っとくが俺は契約を違えてないぞ」
「質問に答えたらボクを逃すと言ったじゃないかッ!!!」
「いいや、俺が契約した文言はこうだ。俺が聞くことにお前が誠心誠意答えてくれたら俺はお前を害さず逃す、とな」
「ならなぜっ!」
「俺は手を出してないだろう? お前が惨めな姿になってしまったのは俺じゃなく彼女らの行動の結果だ。自ら考えて動く彼女らが自分の判断でお前を逃すべきではないと考えたみたいだな」
「貴様っ…! 最初からそのつもりで…!」
憤怒の表情を浮かべるヴィネアにニヤリと笑ってやる。
最初からコイツを逃す気はない。
フィアとシアを攫い彼女らの護衛騎士たちまで殺したのだからその報いは受けさせる。
奴は俺が精霊使いであることは分かっていたはずだ。
しかし、契約内容の俺が一切手を出さないという条件に気が緩んだのだろう。
俺の精霊が俺の命令を受けずに害してくるとは考えなかったようだ。
見下していたこともあるとは思うがそれ以上に奴は精霊の力を知らなすぎる。
「そういえば俺の契約精霊たちを紹介していなかったな。アウリー、プラール」
ニコリと笑い俺の隣に並び立つ二人は貴族の子女のように身にまとうスカートの端を摘んで優雅な一礼をしてみせた。
「アルニア皇国第三皇子ルクス・イブ・アイングワットの第一契約精霊にして、精霊神アヴァロンより風の精霊王を賜るアウリー。短い間だけどよろしく」
「同じくルクスくんの第二契約精霊にして、精霊神アヴァロンより初代光の精霊王を拝命していたプラールよ」
彼女たちが顔を上げた瞬間、強風が吹き闇夜を光が照らした。
ヴィネアは放心したように目を見開き唖然としながらも小さく口が動いた。
ありえない、と。
「人の身で…最上位に位置する精霊を二体も使役する…だと?」
「俺は何もしない。何故ならする必要がないからな」
俺の言葉を皮切りに始まったのは風と光線の二重乱舞。
広範囲を穿つ風を捌けば的確に光線がヴィネアの身体を刺し貫く。
光線を躱せば無数の風刃が確かな傷を刻みつける。
五分も立たぬうちにヴィネアの額の角は折れ、一対であった翼は左翼しか原型を留めていない状態へとなった。
再生したはずの手足も既に左腕が失われている。
「ボクは…死なない……悪魔は…受肉した肉体が…消えても……精神体である以上…魔界…で…蘇れるはず……ボクは…不滅…だ!」
息も絶え絶えに自身の不死身さを語るヴィネア。
悪魔が精神体という新たな情報をわざわざ渡してくれた。
肉体を持たない、ということは本で目にした知識を試すことで奴を滅ぼせるかもしれないが、俺は契約上、手が出せない
だが…『彼女』ならばもしかするかもしれない。
「あとは任せるぞレイン」
「…ありがとうございます」
バトンタッチしたのは氷風の才女レイン。
彼女が願ったのはヴィネアを滅ぼすことではなく、元婚約者であるアルフレドへ引導を渡してあげること。
だが、俺以外にヴィネアを滅することができるのは恐らく彼女だけなのだ。
「アル様…貴方は誰よりも賢くて、思いやりに溢れていて、弟想いで、とても領民想いで、そして強く優しい素晴らしい殿方でした。私に心を与えてくれた素敵な人。そんな貴方が邪悪なる悪魔に辱められることを私は許しません。だから、私に愛を教えてくださった貴方に、あの日の敗北から強くなった私を見せることで貴方を天へと召す手向けといたします」
「っ…!!!!!」
目を閉じて魔力制御と術式構築に全力を注ぐレイン。
彼女の周囲の空間が陽炎のように揺らめいている。
大気を漂う魔力が、レインの制御下に収められていく。
誰がどう見ても必殺の一撃が用意されているとわかる。故に満身創痍の身体に鞭を打って精霊たちの攻撃を防ごうと使ってしまったなけなしの魔力でヴィネアが今出せるであろう全力の熱線が無防備なレインへと迫る。
さすがに悪魔というべき一撃は並みの術師では防げないだろう。
だが、この場には並みの術師を凌駕する彼女たちがいる。
「…精霊ッ!!!」
「私たちが自由に動ける状況ならどんな攻撃でも相殺するわ」
「そうだね。あの子には小さな
必殺の一撃を阻止するべく放たれた確死の一撃は二人の精霊によって防がれた。
射殺せそうな睨みを涼しい顔で受け流すアウリーとプラール。
その時、レインが静かに瞼を持ち上げた。
「
あの日、レインはアルフレドに敗北した。
当時の自身が持てる魔術で最も強力な魔術である水属性第十二階位『
レインは初めての敗北を無駄にすることなく研究した。
水属性最強に位置付けられる魔術が剣の一振りで破られるなど到底あってはならないことと考えた。
第十二階位の複雑怪奇な術式を紐解き、組み直し、改良を加え彼女は至った。
人類の到達点である第十ニ階位魔術を超える第十三階位の高みへと。
ヴィネアは雲よりも高い遙か上空から飛来する三筋の光を見た。
音を置き去りにして突き進んでくるそれは止まることを知らない蒼い流星群のよう。
ヴィネアは抵抗を早々に諦めた。あの魔術は魔法の領域に足を踏み入れていることを理解したから。魔法とは魔術を超える超常的な力であり、実体があろうが、なかろうが関係なく万物を傷つけることが可能なのだ。
つまり、精神体である自分も滅びてもおかしくないダメージを負うのだ。
諦観し自身が消滅しないことを切に願うヴィネア。
しかし、何故か身体が勝手に動いた。
軽く膝を曲げて重心を下げ、靴裏を起点に風の魔術を行使した。
階位にも記されていないただ突風を引き起こすだけの魔術。けれど人程度であれば吹き飛ばせる風。
上方向への指向性を持った風がヴィネア…否、『彼』を空へと運び蒼き星へと向かわせる。
迫り来る流星群と激突する刹那、『彼』は頭上に構えた手刀を振り抜いた。
極光が迸った。
手で視界を覆う人々の中でレインは見過ごすまいと見届けた。
これは悪魔を滅ぼす戦いでも、愛した人を送るための儀式でもない。
類稀なる奇跡が起きて実現したあの日の
レインは見た。
二つの流星が打ち砕いたところで『彼』の右手が消失する瞬間を。
最後の流星が『彼』へと向かう刹那、自分を見て『彼』が優しく笑った瞬間を。
世界が色を取り戻す直前、確かに『彼』の声がレインの耳朶を打った。
「僕の、負けだね。幸せになるんだよ」
「……はい」
水蒸気による霧が晴れる。
ひんやりとした冷気が辺りを包み込む中、ルクスはそれを見てふっと笑った。
「ようこそレイン、魔法の領域へ」
直径十数メートルのクレーターの中心には氷漬けになったアルフレドの姿があった。満足げな表情をする彼からは生命反応も魔力すら感じない。つまりアルフレドは確かな死を迎え、ヴィネアは滅びたと判断してもいいだろう。
大難はこれで去ったといえる。
ふぅと息を吐きながら今後の後始末について考えかけて思考を止めた俺は駆け寄ってくるフィアとシアを迎えようと両手を広げた。
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