第5話 氷風の才女 vs 読書家皇子
図書館を去ったユリアス兄上は父上や宰相達と何やら話し合った後日、東部国境に戻っていった。
それとほぼ同時に父上がルクディア帝国と戦争状態に入ったことを皇国民に告げた。
国力も軍事力も劣ることを知っているはずの民衆だったが、不安を抱きながらも大きな混乱なく過ごしてる。
もちろんかく言う俺も何一つ変わらない生活を送っている。
あれから三日が経過したが、兄上が言っていた本命の使者とやらも現れることはない。
「ユリウス兄上が嘘を言った…それはないか。うーむ…」
「ルクス、三階四百十二番棚の本置いとくね」
「あぁ…ありがとう」
持ってきた本を机に置いたアウリーを見上げるとニヤッと笑みを浮かべていた。
「なに?」
「ううん、あなたがそんなに悩む姿を見るのは初めてだから」
「ま、毎日飽きずに本を読んでるだけだからな」
肩をすくめて置かれたばかりの本に手を伸ばした時、アウリーが入口の方を見た。
「どうかした?」
「誰かが近づいてきてる。それに…小さい子達がその子に付いてきてる」
「小さい子…微精霊か」
精霊とその契約者には等級が存在する。
微精霊と契約する者を四級、下位級精霊と契約する者を三級、中位級精霊と契約する者を二級、上位精霊と契約する者を一級、天帝級精霊と契約する者を特級というように。
精霊を使役できれば総じて精霊術師と呼ばれるが、その実力は差が大きい。
精霊と契約する条件は色々言われているが、一番は魔力の相性。
契約対象者の魔力の色が合えば、精霊は好んで周囲に留まるのだ。
「見えていないみたいで小さい子達は必死に飛び回ってアピールしてるね」
「微精霊は表現方法が可愛いな」
「なーに? 私が可愛くなかったって言いたいの?」
不満だと言わんばかりに頬を膨らませて鼻先が触れそうなほど寄せてきた。
今でこそ大人しくなったアウリーだが、契約するまではやりたい放題だった。
イタズラ大好きな彼女は城中で問題を起こして大変だった。
「はいはい可愛いよ。それじゃあいつも通り…」
「…今は隠れるけど、あとでいっぱい魔力吸うからね」
この後が憂鬱になる捨て台詞と共に姿が消えていった。
毎日結構な量の魔力を吸っている癖にまだ吸う気なのかあの精霊は。
本に向き直るとガチャリと扉が開かれると微精霊を引き連れた者が入ってきた。
「失礼いたします。ルクス殿下はいらっしゃいますか?」
「あぁ、いるよ」
入ってきたのは薄紅色の髪と穏やかな深緑の瞳が印象的な少女だった。
初めて出会うが、身につけているドレスや整った顔つきから見るに高位貴族の子女だろう。
読んでいた本を置き、立ち上がって机を挟んで向き合った。
微精霊にばかりに気を取られていて気づかなかったが、素の魔力量が多いな。
「アストレグ公爵家の次女、レイン・フォン・アストレグと申します。突然の訪問をお許しください、殿下」
「あのアストレグ公爵家の御息女か。第三皇子のルイン・イブ・アイングワットだ。俺に何か用か?」
アストレグ公爵家。
二十一年前の魔人戦争時に西部国境軍を率いて敗北必至と言われていた北部国境に駆けつけ、勝利へと導いたことで国内外から高い評価を受けている。
現在、現当主はアルニア皇国第三宮廷魔術師団の団長を任されている。
その公爵家の次女が俺に用があると……。
嫌な予感しかしない。
「先日我が国とルクディア帝国が戦争状態に突入したことはご存じですか?」
「それはもちろん。皇族の義務を果たしていないといえ、一応皇子だからな」
にこりと笑うと彼女は持参してきた地図を広げた。
「東部国境に侵攻する帝国軍の予想は帝国東部国境軍五万、貴族軍一万の計六万。対する我ら皇国側は西部国境軍一万五千と貴族軍五千の計二万。このままならば敗北は必至と言ってもいいでしょう」
「約三倍か……。だが、父上やユリアス兄上が何の対抗策も打たない訳が無い。今から打てる手とすれば……他国からの援軍か」
「……ご慧眼恐れ入ります。もしや陛下やユリアス殿下から事前に聞いておられましたか?」
「いやいや。状況から推察しただけさ。オルコリア共和国は内戦中、シャラファス王国は帝国との停戦協定が有効。この状況で援軍が送れる国は……」
「はい、仙国・スオウです」
まぁそれが妥当だろうな。
だが、仙国・スオウは専守防衛の国だ。
そのスオウが援軍を出すとなればそれなりの条件があるはず。
「で、条件は一体なんだ? 関税の緩和か何かか?」
「いえ、スオウからの条件は一つです。援軍はひとまず送るがその代わり、無事に国土を守りきった暁には両国の更なる関係強化のため貴国の皇子か皇女を一名、大使として迎えたい…と」
「はい?」
全く予想していなかった条件に思わず素の声が出てしまった。
資源を要求するわけでもなく、関税緩和を申し出るでもなく、友好のための大使の派遣?
しかも、皇族の誰かが担当せよと?
いや、というか……
「レイン嬢。君が来た理由って…」
「はい、殿下を仙国スオウへの大使として派遣するための説得です」
「…君が本命か」
「え?」
「いやこっちの話だ。気にしないでくれ」
名前に聞き覚えがあると思っていたが、今やっと思い出した。
レイン・フォン・アストレグ。
水と風の二属性の魔術を九歳で修めたという歴代最年少記録の持ち主で一時期話題になっていた子女か。
確か【氷風の才女】などと呼ばれていたはずだ。
「それで君は俺が素直に行くと言うと思うか? 皇族の責務を果たさずに、そもそもこの図書館から動くことのほとんどない俺が。君はそれでも説得する自信があると?」
「はい。きっと殿下はご自分からスオウへ行くことを決めると思います」
面白い。
一体どんな舌戦を繰り広げてくれるのか楽しみだ。
さぁ、この図書館で多くの本と書物に触れ合って知識を溜め込んだ俺を説得してみるがいい!
「スオウには仙人達が記した貴重な仙術や歴史の書があるとか」
ぴくっ。
い、いや、俺がそんな貴重な本や書といった単語だけで動くと思ったら大間違いだ。
こいつ…やり手だ……。
「ちなみにですが。もしもルクス殿下がスオウに行かれない場合、向かえる皇族の方は限られますので恐らく殿下が気にかけておられるフィア皇女殿下かシア皇女殿下が行かれることになるでしょう」
「なっ! フィアとシアはまだ九歳だぞ! 他国に行かせるなんて俺が許さない」
第四皇女のフィア・イブ・アイングワットと第五皇女のシア・イブ・アイングワットは皇族最年少の双子の姉妹だ。
可憐であどけない二人は皇族からは当然として城の者達にも愛されている。
皇族も最近では公務が忙しかったり、留学に行ったりで遊んであげれるのは俺だけになっていた。
それもあって二人は俺によく懐いている。
俺が唯一、本以外で大事にしていると言ってもいい。
「ですが、他の皇族の皆様は国境や国外に散っていてスオウへ行くことは難しいのが現状です。ですからルクス殿下が行かれないのであれば残念ながらそれしか手がありませんね」
「くっ……」
「ルクス殿下、もう一度お聞きします。スオウに大使として向かっていただけませんか?」
妹達を向かわせるなど許さないと言ってしまった手前、退路は既にない。
愛読皇子と皇国の才女が繰り広げるはずだった戦いは舌戦のぜの字もない
こんなはずではと思う俺を笑うようにそよ風が二人の髪を揺らした。
「…風?」
「…いや気のせいじゃないか? それより俺を説得できたと報告してきたらどうだ? どうせどこかで集まって報告を待っているんだろう?」
「…そうさせていただきます。ではルクス殿下、また後日お会いいたしましょう。失礼いたします」
優雅に一礼をして図書館を出ていく彼女を見送り、背後に現れたアウリーに目を向けた。
「…何イタズラしてるんだ?」
「あの子の勝利への賞賛だよ。これでルクスと外に行けることになったからそのお礼を兼ねて」
「完全に怪しんでたぞ」
「大丈夫、大丈夫。もしバレてもルクスがいっぱい外に出ることになるから私的にはプラスだもん」
「俺にとってはマイナスしかないが?」
自由気ままな風の精霊である彼女を見ていつか翻弄できる日は来るのかと考えずにはいられなかった。
◆
ルクスの説得後、報告を待つ陛下らの元を訪れていた。
「ルクス殿下の説得成功いたしました」
「うむ、ご苦労であったな」
「これでスオウの件はどうにかなりそうですな」
ほっと一息つく重臣会議の面々だが、攻められている状況に大きく変化はない。
東部国境守備軍は万全の体制で防戦の準備を進めている。
皇都を守る皇族直属の騎士団である黒鳳騎士団と白鳳騎士団。
アルニア皇国を象徴する鳳の名を冠する二つの騎士団は王立修学院の騎士課で優秀な成績で卒業した者のみが入団できるエリート集団だ。
二つの騎士団と第一から第四まである宮廷魔術師団のうち、第一から第三までの魔術師団はユリアスと共に東部国境へ急行している。
人数こそ少ないが、一人一人が強力な戦力だ。
「先ほど、スオウからの援軍がアストレグ公爵領西部のムズリアに到着したらしいのですが…」
「何か問題でも?」
宰相に大臣の一人が聞くと、
「やってきた援軍は三人とのことでして」
会議が紛糾したのは言うまでもない。
◆
一時休憩となった重臣会議の合間、ヴォルク皇王と話す宰相オーキスの元にレインがやってきた。
「レイン嬢、如何なされましたかな?」
「ご歓談中失礼致します。少しお聞きしたいことがありまして…」
レインはちらりとヴォルクを見る。
「わしのことは気にしなくて良い」
「かしこまりました。では、一つお聞きしたいのですが……」
「はい」
「ルクス殿下のおられる宮廷図書館には窓などはあるのでしょうか?」
「はい? いえ、失礼。宮廷図書館の間取りは廊下の扉以外に窓はありません。僅かな通気口がある程度です」
皇国の政務を統括する宰相閣下からの人間らしい反応を見てヴォルクは笑っていたが、それとは正反対にレインは怪訝な表情を浮かべていた。
オーキスは笑うヴォルクを無視してレインを見ていた。
「何かありましたかな?」
「……大したことでは。少し不思議…いえ、おかしなことがあったもので…」
「是非お聞かせ頂いてもよろしいですかな?」
「あくまで、気になっただけですが……」
レインはルクスの説得での会話や風が吹いたことを話した。
「はっはっは。相変わらず本が好きだなぁ! フィアやシアに目をかけてやってくれるのは助かっておるがな」
皇王は年に二度ほどしか第四、第五皇女には会えていない。
仲が悪いとか嫌っているとかではなく、ただ単に忙しいの一言に尽きるだろう。
「とても微笑ましくてよろしい話ですが、レイン嬢が気になっているのは風のことでしょう」
「はい。あの一瞬とても大きな魔力を感じました。ルクス殿下が魔術を使ったのかなと思いましたが……」
「ふむ、ルクスは幼い頃からあの図書館に篭もり蔵書を読破する勢いで読んでおった。剣や魔術に関してなど口にしたことすらない。故に魔術を教えた者はもちろんおらん。もしもルクスが魔術が使えるとするならそれは自己流ということになる」
「仮にルクス殿下が自己流で魔術をお使いになられるとして、その自己流でレイン嬢が驚くほどの風を起こせるとは思えません」
魔術とは研鑽に研鑽を重ねて上達するか、元から天才的に扱えるかの二択がほとんどだ。
レインは天才的な才能と魔力量を誇っており稀代の魔術師になり得る存在。
そのレインが驚く魔力出力を自己流で出せるのか。
答えはノーとなる。
「あの魔力量は私の父よりも強大で、私よりも完璧な魔力操作で、そして暖かいものでした。おおよそ人の技では……」
「あなたが駆け出しなら多くの魔術師はただの手品師ということになりますな」
「そこまで言うなら少し調べておこう。わしも少し気になる。オーキス、頼んだぞ」
「承りました。調べておきますのでしばしお待ちを。レイン嬢もそれでよろしいですかな?」
「はい。お手数をお掛け致します。私はこれにて」
深く一礼をして玉座の間を退出したレインの顔にはまだ困惑が浮かんでいた。
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