1 命日

命日

風にざわめく木々の音が、空気と同じく妙に爽やかだった。

冬のほうが夏より近い春。

早咲きの桜が咲いたとテレビが告げていたが、この街はまだ告げずにいる。

ただ麗らかな空気はもうすぐ咲く花の姿をちらつかせて僕らを焦らしていた。


あの日から3年の時が経ち僕の中で止まった時はようやく動き出したばかり。

それを手紙で止められた僕はまた君を訪ねていた。

と言っても会えるはずもない。

なぜなら君はもう亡くなったからだ。

静かに目の前で寝ている君を僕は眺めるしかないのだ。

こんな石がどうして僕らの心の支えになってしまうのか不思議で仕方なかった。


「君はそれでいいの?」


不意に零れた言葉は虚しく消えていった。

自分でこぼした言葉なのに君に言われた言葉のように感じて嫌になってしまう。


花を手向けながら

「僕はどう生きるべきなんだろう?」

と君に尋ねた。

もちろん何かが返ってくることはない。

君はいないんだから。

だから仕方ない。

逃げようと笑った君を永遠に失われてしまったのだから。

沈む気持ちも沈む限度まで沈んでしまえば変わることなく余生を生きるような気分のまま僕は歩いていた。


下を向いていたからだろうか。

その人の前に来るまで僕は人の存在に気付かなかった。


「こんにちは」


顔を上げると僕よりも低い位置に頭があった。

声に妙な聞き覚えがあったけれど、人は声から忘れるということもしかり、僕が覚えているはずがなかった。


「私のこと、、、覚えてないかな? 水上にこって言うんだけど」


名前を聞いてようやく思い出す。

高校時代、霞怜かれんをいじめていた張本人だった。

ただあまり鮮明には覚えていない。

霞怜かれん自身が気にしていなかったというところもあるが、意外と酷いことはしていないのだ。

水上さん

彼女はまだ友好的だったとも言える。

もっと質が悪いのは彼女の取り巻きだったからだ。

まあそんなのも僕と霞怜かれんにとってはどうでもいいことの一つで、

記憶から消し去るに足るものだった。


「一応は覚えてるよ」


「一応かー、、、。少し残念」


そう言って笑った彼女を僕は冷ややかな目で見ていた。

情など持つはずもなかった。

だが憎んではいなかった。


「今更何しに来たんだ?」


僕は3年前の出来事を順番に思い出しながら霞怜かれんのように、毅然とした態度でまっすぐ目を見て言った。


僕は知っている。


この態度が水上さんをひるませるものだということを。

霞怜かれんは決して強い人間ではなかった。

ただ周囲に対して強く振る舞っていただけで。

そんな霞怜かれんが言ったのだ。


「芯がない人は弱い。水上さんはその筆頭だね。だから態度ひとつで勝敗が決まる。毅然とした態度で、相手の目を射抜くように見て、感情を孕ませない声色で言う。たったそれだけで勝てるんだよ」


と。屋上で笑った霞怜かれんはあまりにも鮮烈だったから記憶に残っていた。

凛とした笑い顔だった、と言えば伝わるだろうか。


「あのさ、、、えっと、、私、母校の美術の先生になったんだけど。準備室を整理してたらこんなのが出てきたの」


案の定うろたえたようで、途絶え途絶えに言いながら彼女は一枚の絵を取り出した。


美しい風景画だった。


ただ一点を除いては。

それは、どこかで見たことがある画だった。

その絵に収められた情景を僕は知っている。


当たり前だ。


あの画角は僕が決めて撮った写真と全く同じなのだから!

ただおかしかったのは、僕の写真の中央に写った少女、霞怜かれんが振り向いていることだ。

写真では後ろ姿だった少女が少し振り向いて笑っていた。

二つを並べると動いているようで、それを意図したようにも見えた。


「ちょっといいかな」


僕は水上さんから絵を受け取ると絵の左下の文字を見た。

霞怜かれんは左下に、元にした作品を書いていることが多い。

そして右下に名前を書く。

これはおそらく霞怜かれんが好きな「楽曲の絵画化」なのだろう。

だからきっと書いてあるはずなのだ。


僕があまりに入念に見ていたからか水上さんも悟ったようで


「何が書いてあった?」


と尋ねてきた。

僕は消えかけた文字を追いながら言う。


「『振り返る君も笑っていたの』、、、?」


水上さんにもそのような題名の曲には覚えがないようで、僕らは顔を見合わせて考える。

しばらくの時間が経って水上さんはつぶやいた。


「もしかしたらこれ、、、歌詞なのかもしれない」


水上さんが告げた思わぬ事実に僕は目を見張る。

もしそうなら霞怜かれんは最後に自分の信念を曲げて描いたことになる。

そんなこと、あの霞怜かれんするだろうか。

歌詞のワンフレーズだけを取り上げて絵にするのは、音楽への冒涜だと忌み嫌っていた霞怜かれんが。


「そんなことあるもんか」


不意に口からついて出た言葉は吐き捨てるようで斜に構えた口調だったからか水上さんが心配そうな顔をした。


「わざわざ変えるって事は、何かメッセージなのかもしれないよ」


水上さんは考え込むような仕草で、なおかつ神妙な面持ちで言った。

僕は確かにと同意して考えていた。

あの歌詞をどこかで聞いたことがある気がしたのだ。

だから僕は記憶の川を辿ることにした。

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