第3話

 入ってきたのは、いつもの父さんだった。包丁もなければ、返り血もない。ほっとした俺の体は、自然に布団に沈み込んだ。

 しかし、それも一瞬だった。

「海斗、病院へ行こう。大輝くんが大変らしい」

 父さんはそう言うと、車のキーを見せて階段を降りていった。

 大輝が大変?俺は、頭を切り替えられず、言われるがまま部屋を出て、車に乗り込んだ。そして、大輝がいるという総合病院へ向かう途中で、父さんはぽつぽつと話し始めた。

「さっき、大輝くんのお母さんから、家のほうに電話があったんだ。学校の連絡網をたどって連絡くれたらしい。大輝くん、お風呂で大やけどしたみたいで、今病院で治療を受けている。大輝くんが、おまえを呼んでくれって、しきりに言っているらしいんだ。でも、亮くんがあんな事になったばかりだし、連れて行くべきか迷ったんだが……」

 大輝が風呂場でやけど?父さんの言葉が途中から耳に入らなくなった。

【出るはずのない100度の熱湯。大輝は大やけどを負い、病院に運ばれたが、治療のかいなく昇天。】

 予言の言葉が俺の頭をぐるぐるまわる。


 父さんと俺は治療室に向かった。廊下には長いすが置かれ、皆一様に暗い表情をし、祈るようなポーズで、治療が終わるのを待っている。それはまるで、ドラマで見る光景のように現実離れしている。だが、長いすに座っている一人の男性に気づき、これは現実だと思い知らされる。そこに座っているのは、中野先生だったからだ。俺は、走り寄って先生に話しかけた。

「先生、なんでここに」

 先生はうつむいたまま、頭を抱えて、うめくように言った。

「ああ、海斗か。実は先生もここに入院してんだ。明日退院なんだけど、まさか大輝が、あんな状態で運ばれてくるなんて……」

 父さんは、この男が学校の教師だと理解し、安心した表情を浮かべた。そして、大輝の母親を探しにナースステーションに行ってみると言い残し、その場を離れた。そして、中野先生と俺は、二人きりになった。


「中野先生、もう大丈夫なんですか?」

 俺は、小さな声でたずねた。

「ああ、もう大丈夫。でも一時はどうなるかと思ったよ。本当に生贄にされてしまうのかなって」

 中野先生は下を向き、顔を手で覆ったままで、ぼそぼそと答えた。顔が手の陰になっているせいか、目の回りが落ちくぼんでいるようにも見える。

「そんなに悪かったんだ……」

 お見舞いにも行かなくてすみません、と続けた言葉が、白々しく廊下に響いた。

「ところでさ、」

 中野先生は、俺の言葉をさえぎった。

「先生が入院したって聞いて、嬉しかったんじゃないか?本当は。生贄が成功した、俺たちは助かったって。なぁ、そうだろう?」

 返事の代わりに、俺の喉がごくりと鳴った。

 中野先生は続けた。

「だけど残念ながら、私は助かった」


 また、長い沈黙が流れ、俺はようやく声を絞り出した。

「先生、大輝、よくなりますよね」

「いや、大輝は、よくならないね」

 中野先生は俺の言葉を、食い気味に否定した。

「なあ、海斗。全身やけどの治療って知ってるか?少しずつ皮膚を移植していくんだけどさ、横になって寝ると皮膚が圧迫されて痛いから、立ったまま寝るんだぜ。干物みたいにつるされてさ。それでも、全身がひりひり、ひきつって痛くてたまらないらしい。かわいそうにな、大輝。」

 隣で先生の肩が上下に震えている。泣いているのかと思ったら、くっっくっくっと声を出して笑っていた。

「予言より、もっと残酷な方法で死んでもらうことに決めたんだ。そのほうが、おもしろいだろ?」

 俺の足はがたがたと震えた。中野先生は……中野先生じゃない。生きるために死神に魂を売ったんだ。

「くっくっくっ、はっはっは。さて、ハルはどう料理しようかな」

 中野先生は、ポケットからスマホを取出し、画面をタップした。



「どれどれ。

【ハルはサッカーの試合中に、雷に打たれて死ぬ。みんなが避難しているのに、最後までグランドにいたアホハル。落雷した体はまっ黒焦げで裏も表もわからない状態。担架で運ぼうと腕と足を引っ張り上げたんだが、その衝撃で首から頭が抜け落ちて、グラウンドでバウンド。ころころ転がり、見事ゴールへナイスシュート。】

 へえ、これ、お前が書いたんだ?ハルが黒焦げになるところ、想像しながら書いたんだろ?なかなか良く書けてるじゃないか。でもなあ、これだと一瞬で死んでしまうからなぁ。もうちょっと苦しんで死んでもらうのはどうだろう?なぁ、海斗?」

 先生は、この暗い病院の廊下にまるで似合わない、楽しそうな声色で、唄うようにしゃべり続ける。

「いやいや、せっかく予言の本人がここにいるんだ。海斗の著作権を尊重しよう。頭が抜け落ちてゴールに入るところは、ちょっと難しいが、どうにかやってみるよ。ちょうど、明日は天気が悪い。試合にハルを出場させてみるか」

「やめてください……」

 俺の言葉を無視して、中野先生はしゃべり続ける。

「あとは、翔一だな。

【翔一は、女に振られて自殺。腹いせに女の住むマンションの最上階から飛び降りる。パンッとスイカの割れたような音で、頭がい骨とその中身がはじけ飛んだそうな。

 脳みそは半径10メートルは飛び散った。なんと目玉は振られた女のベランダに飛び込んで、悲しげに女を見つめたってよ。ああ、怖い怖い。】

 うん、翔一らしい死に方だ。でも、どうだろう。チキンの翔一が女に告白するかなぁ。俺ならこうするかな」

 先生は、恐ろしい速さでスマホをフリックし、文字を入力しながら、文章を読み上げた。

【翔一は、惚れた女にストーキング。女の住むマンションのオートロックをかいくぐり、通路をうろついているところを、警察に通報される。慌てて逃げたその先は、最上階のサンルーフ。追い詰められた翔一は、俺の人生もうおしまいだと、屋上から飛び降りる。頭がい骨はスイカのように破裂音をたてて割れ、その中身ははじけ飛んだ。でも、翔一、安心しな。お前の目玉や脳みそや肉片は、四方に飛び散り、愛しの女のベランダに干してある洗濯物にも、付着した。これでしばらくは、女と一緒にいられるな。】

 うん、これでいい。送信っと。」

 先生は、嬉々としてしゃべり続けている。まるで、よどみなく再生される音楽のようだ。俺は、この場を何度も立ち去ろうとしたが、足が震えてどうしても立ち上がれなかった。

「あとは、お前だな」

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