第182話 すべてを変える、小さな声①

 クラリスの発した言葉に、一番驚愕しているのはユリゼンである。

 憑代であるクラリスは当然のこととして、ユリゼンの影響を大きく受ける。


 いや、支配されているといっても決して過言ではない。


 クラリスという人間を気に入っているユリゼンは、その意志を奪うことまではしていない。

 だがその気になればそれも簡単にできてしまう。

 事実、『聖戦』というの犠牲者として心が折れているクラリスを見たときは、最終的にはそうするのも止むなしかとさえ思っていたのだ。


 それが今、己の主たる黒の王ブレドに対して、自分の意志を告げている。


 天空城ユビエ・ウィスピールの中で今はそれなりの序列にあるユリゼンだが、そんなことなどとてもできない。不可能だ。


 絶対の主がと定め、それを己らの筆頭である相国エレア・クセノファネスに告げた以上、それはすでに確定事項。


 己の主神であるアルビオンはもちろんのこと、黒の王ブレドの寵愛が深い千の獣を統べる黒シュドナイ、女性体として側に仕えることを許されている鳳凰エヴァンジェリン真租吸血鬼ベアトリクス、白姫であっても今クラリスがやってみせたことはできまいと思う。


 ユリゼンが絶対にできないことを、その憑代であるクラリスがやってのけた意味。


 下僕しもべが主の決定に口を差し挟むという初めての事態に驚愕する者たちの中で、当人であるからこそユリゼンだけがそれに気付けている。


 同時に「私大丈夫かしら? 左府様あたりに消し飛ばされるのかしら?」という不安も同時に得ているのではあるが。


 憑代は己の一部、それが口にしたことはユリゼンの、ひいては主神たるアルビオンの責任でもある、と言われてしまえば返す言葉はないのだ。

 驚愕しつつも内心の汗を止められない、相変わらずの苦労下僕ユリゼンである。


「具体的な対処法の伴わぬを聞く気は無い」


 だが他の下僕しもべたちから批難や静止の声が上がる前に、主である黒の王ブレドが静かな声で告げる。


 それだけで冗談ではなくユリゼンなどは震え上がる。

 いやユリゼンだけではなく、その声を聞いたすべての下僕しもべたちが同じであろう。


『は……いっ――もちろんです』


 下僕しもべたちにとっては信じられぬ蛮行をやってのけたクラリスとても、さすがに声と膝が震える。

 それでも黙することは無く、己の意志を貫き通す。


 その姿勢こそ、不動であった黒の王ブレドを振り向かせたものか。

 そして主が興味をもてば、他の者からのすべてのとがめは停止され、すべては黒の王ブレドの判断にゆだねられる。

 

「――聞こう」


 聞く気にさせたクラリスの、まずは勝ちである。

 あるいはヒイロを知るクラリスゆえに、黒の王ブレドの内心を理解しえたのかもしれない。


『みんなと話す時間をつくってください、一秒でも長く。抑えきれなくなるか、話しても無駄であれば――』


 だが語る方法といえば、とどのつまりはただの説得。


 冴えたやり方があるわけでもなんでもなく、ただ愚直に話をする時間を下僕しもべたちの力を以ってつくってくれとする。

 しかしその声は懇願ではなく、文字通り提案――これが策たりえるという確信に満ちている。

 

 そして、それでもどうにもならなかった時は――


「諦めるか」


『私が殺します』


 ハッキリと告げる。


 大切な相手がもうと明確になれば、せめて自分の手で殺すのだと。


 倒すだとか、処理するだとか、そこを言葉遊びで誤魔化したりはしない。


 機会チャンスを一度だけくれといった、己の言葉に嘘はないのだとも明言する。

 それはその一度の機会を絶対に活かしてみせるという強い意志でもある。


 最期に話をさせてくれなどという、情緒的おセンチな懇願などではない。

 少なくともクラリスはその確信を持っている。


「――話してどうなる」


 そのクラリスの確信に、黒の王ブレドは確実に興味を示している――期待している。


 このどうにもならない、取り返しがつかない状況をひっくり返すたった一つの冴えたやり方を、年端もいかぬ少女の口から語られることを待っている。


『目を醒まさせてみせます。私たち人の意志は、想いは――天使なんかに身体を奪われたくらいで自由にできるものではないと証明してみせます!』


「根拠は?」


 天使という異形に塗りつぶされたであろう人としての意識を今一度呼び戻す。

 そして奪われた身体の主導権を再び取り戻させるということだ。

 たとえ身体は天使に堕したとしても、意志は人のものにしてみせると。


 当然、許可を与える責任者として黒の王ブレドはその根拠を問う。

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