第181話 ヒイロの誤謬④

 ゲームのキャラクターとしての存在がゆえに刻み込まれたものか。

 それとも人ならざるモノの性としてそうなっているのか。


 いずれにせよそれは下僕しもべたる者の絶対として存在する。

 主たる黒の王が、それを望むと望まざるとに拘わらずだ。


 かえせば、殺すのは主の――黒の王ブレドの意志ということだ。


 万を超える天使と堕した人を直接殺すのは、なるほど下僕しもべたちだろう。

 黒の王ブレドは今と変わらずこの場に立っているだけで、少なくとも天空城勢には全くの被害を受けないまま天使どもを鏖殺おうさつすることができる。


 いわば下僕しもべたちは剣。

 だが意志をもってを振るうのは黒の王ブレド


 これはあるじ下僕しもべの職責職権の再確認。


 エレアらにとってみれば、それを黒の王が厭うのであれば別にやらなくても平気なのだ。

 手を下したくなければ、汚したくなければ、放り出して天空城で去ればそれでもよい。


 天使に堕した人が、護らんとしていた人を己が手で殺めたところでとくにどうということは無い。


 そう仕向けたモノを「悪趣味な」と唾棄はしようが、ただそれだけだ。


 そして、それを放置したとて己らの主に何を思うわけでもない。

 下僕しもべたちは己が主が思うが儘に振る舞っていればそれでよく、誰かに強いられているのでさえなければ、その決定の是非善悪に頓着などしない。


 それに下僕しもべたちにしてみれば、なにをいまさらという話でもある。


 101周目となる今回。

 なんの気まぐれか、主が人の世界を護らんとしているのは馬鹿でなければ理解できている。


 そのおかげなのかどうか、今まではなかった直接の会話の機会をはじめ、接点を多く持てるようになったのは喜ばしいことでもある。


 だがつい一周前、百周目の主はそれこそ顔色一つ変えることなく人の世界を蹂躙し、邪魔になれば滅ぼし、そうでなければどうなろうと興味などないとばかりに放置していたのだ。

 

 天使どころか、それこそ天空城ユビエ・ウィスピール勢こそが人の世に地獄を現出させ、時代によっては無国家状態にまで人を追い詰めた元凶ですらあったのだ。


 それも積極的な悪意故ではない。


 ただ効率的に世界に存在する遺跡レリクス迷宮ダンジョンを攻略し尽くした結果、たまたまそうなったというレベルでしかない。


 本来はとして蹴り飛ばしていた存在に過ぎないのだ、天空城ユビエ・ウィスピールにとっての人の世界など。


 それに人はああ見えて強いことも下僕しもべたちは知っている。

 個で見れば脆弱としか呼べぬ生き物だが、種全体で見れば驚くほどに強かで


 滅んだのかと思っていたら、いつの間にやらまた増えていて、そこまで自分たちを追い詰めた天空城ユビエ・ウィスピールなど知ったことかとばかりに勝手に自分たちを世界の主の如く振舞って、また殺し合いを始めるのだ。


 数百年、数千年――という尺度で見れば、人という存在は誇張なくしたたかでしぶといのだ。

 種として生きながらえるということにおいていうならば、他のどんな種よりも貪欲であるとさえいえる。

 たまたま救い損ねたとて、放っておけばまた勝手に増える者共なのだ。


 よってこれは主の覚悟を問うというような、大袈裟なものではない。

 

 この場をどうしますか? というただの確認に過ぎない。


 一度ひとたび命が下れば人を護るために、元人であった者共も含めて天使どもを鏖殺おうさつする。

 可能な限り避難している人たちに被害を生じさせないように、速やかに。


 ただそれだけのことだ。

 すべての人を救えなかったとしても、そんなものは下僕しもべたちにとって黒の王の瑕疵になどなりはしない。


「我が下僕しもべたちを統べる地位を与えた者よ、答えよ」


 静かな黒の王ブレドの問いに、エレアがより一層深く平伏する。


 人であったとはいえ、人に対する拘りなどエレアは持ち合わせていない。

 そして己が傅く主が、己以上に酷薄でこともこれまでの100周を通じて誰よりもよく知っている。


 だからこそ、今周の黒の王ブレドが今までとは違うということに気付けない。

 あるいはヒイロの姿であったのなら、その内心の葛藤に思い至れたのかもしれないが、今エレアの前に背を向けて立つのはよく知った強大なるあるじ、『黒の王』なのだ。


 そうであれば目的を違えるはずがない。

 

「私の目的は?」


「可能な限り人の犠牲を少なく『天使襲来』を終えることです」


 ただの1人も殺すことなく、ということはもはや不可能となった。

 となれば1人でも多く救い、犠牲を少なくすることこそが次善となるのは当然のこと。


 そのためには人であった天使を殺すことを躊躇うなど、阿呆のすることでしかない。


「そのとおり。――その障害となるものは例外なく叩き潰せ。全力でだ」


 ヒイロとの長い時間を得ているシュドナイ、それにエヴァンジェリンとベアトリクス。

 その三者のみはその黒の王ブレドの常と変らぬ静かな声に、曰く言い難い感情を感じ取ったかもしれない。


拝命いたしましたイエス我が主マイン・フューラー


 だが主としての当然の答えに、エレアはなにも感じない。


 馬鹿ではないのでこの場にいることを許されている人――ポルッカたちがこのあまりにも酷薄な判断にたじろいでいることくらいは理解できるが、だからといって特に思うこともない。


 現状を打開する具体的な方法を主に伝え、その指示に従ってできることがあるのであれば、我が身にできることはなんでもやることに否やなどない。


 だがそれが無いというのであれば、酷かろうが辛かろうが今選べる最善を行うのみだ。


 悲痛な表情でポルッカがなにかをいおうとするが、声は出ない。

 少女王スフィアも、ユオ皇女も、総統令嬢アンジェリーナもそれは変わらない。


 人の判断として元仲間たちの死を望むことも、そこから救い出す妙策を告げることもできずに、ただ守られるものとして無力に佇んでいることしかできない。

 今黒の王ブレドが内心で抱えている無力感を、人である4人こそがより強く今同時に得ているのだ。


 あとはエレアが黒の王ブレドの命を復唱することによって、白姫の『静止する世界』は解かれ、天空城ユビエ・ウィスピールしもべたちによる天使の蹂躙が開始される。


 ――だが。


『……まって、ください、黒の王……ううん、ヒイロ様』


 人ならざる下僕しもべ――いや今は下僕の一体の憑代となっている者からの小さな、だが意志のこもった声が表示枠を通じて刻の静止した指揮所へと届く。


 その声にこれまで不動であった黒の王ブレドがゆっくりと振り向き、その表示枠へと眼窩に浮かぶ瞳代わりの三つのゲヘナの火を向ける。


機会チャンスをください、一度だけ』


 そこに映るのは幼き聖女。


 いや下僕しもべの一体、属神ユリゼンの憑代として一度死を経験し、そこから他人の――アルフレッドの言葉に支えられてなんとか立ち上がった聖女。


 そのクラリスがあどけなさの消えた、しかし意志のこもった瞳で立っていた。





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