第180話 ヒイロの誤謬③

 力では負けない。


 膨大量の天使に対抗するための兵士や冒険者が失われた今、ゲームの時よりはマシとはいえ避難している人に被害が及ぶことも避け得ない。


 だが天使に堕した兵士、冒険者の悉くを殺しきることは俺たち天空城勢にとって造作もない。


 天空城俺たちに被害は出ない。


 ――だけど。


 下僕しもべたちは一瞬の動揺を即座に脱し、すでに常の冷静さを取り戻している。


 彼らにとって、人は所詮人。

 多少親しくなったところで、優先順位ははっきりとしている。


 そして主である俺が望む、1人でも多くの人を救うということを今なお優先するというのであれば、やるべきことは決まっている。


 だが勝手に動くものは、千を超えるしもべたちの中にただの一体も居ない。


 静止した刻の中で、ただ待っているのだ。


 絶対のあるじたる俺の、「見敵必殺」の命令を。


◆◇◆◇◆


 静止した刻の中で、黒の王ブレドは静かに佇んでいる。


 その姿は荒れ狂う内心がどうあれ、傍から見る者には動揺の一切を感じさせない。


 凍った刻の中での時間の経過を語るのも妙な話だが、黒の王ブレドが大音声にて白姫に『静止する世界』の発動を促してからいくらも経っていない。


 白姫が展開した『静止する世界』の中で動くことを許されているのは、天空城ユビエ・ウィスピールに名を連ねる下僕しもべたち。


 それ以外といえば、冒険者ギルド総長ポルッカ・カペー・エクルズ。

 ウィンダリオン中央王国少女王スフィア・ラ・ウィンダリオン。

 シーズ帝国皇女ユオ・グラン・シーズ。

 ヴァリス都市連盟総統令嬢アンジェリーナ・ヴォルツ。


 ――この4人を数えるのみである。


 ラ・ナ大陸の人々はまだ、今起こっている悲劇を認識しないままに静止している。


 悲劇、あるいは悪趣味な喜劇。

 人の世界を護らんとして得た力を理由に、人の世界を滅ぼす存在へ無理やり堕された力ある者たち。


 人ならざる者たち――同じく人の世界を護らんとするたちによる彼らへのを聞くのは、たった4人の


 それぞれに言いたいことはある。

 だが声にならない。具体的に有効な手段としてどうすればいいかを言葉にできない。


 できるはずがない。


 冒険者ギルドが誇る、迷宮最深部攻略組。

 ウィンダリオン中央王国の柱たる『九聖天ノウェム・サンクアテイル

 シーズ帝国の空を護る、竜を駆る『八大竜王アハト・リンドヴルム

 ヴァリス都市連盟の象徴である『五芒星ファイブ・スターズ


 各々がよく知った、人の中ではにおいて最も頼りになる者たちも皆、おぞましく天使に変じて嗤いだすのを見せつけられているのだ。


 ちょっと待ってくれとは思う。

 ふざけたことを、と憤りもする。

 おぞましさに足が震える。

 どうにかならないのかと、混乱している。


 だがそれを口に出して喚き散らすことが赦されるのは、責任を持たない者だけだ。

 責任を負う者に、具体的な解決方法を伴わない泣き言を並べ立てることは許されない。


 状況が逼迫していればしているほどそうなる。


 それも本当のに際してなら許されもしよう。

 だがはそうではない。


 多大な犠牲を払うことになるとはいえ、打てる手はまだいくらでもある。

 その状況下で泣き言しか言えないのであれば、指導者の位置にいるべきではないのだ。


 厳しかろうが容赦が無かろうが、それが人の上に立つ者に求められる素養の一つであることは間違いない。


 ――俺が……が言わなきゃならねえ。化物天使に変じさせられたあいつらを倒す、いやのは、黒の王たち天空城勢の――ヒイロの旦那の判断ではなく、人の意志によらなきゃならねえ……


 頭ではわかってはいても、すぐには身体が動かない。

 それもまた人なればこそ、無理なからぬことなのかもしれない。


我が主マイン・フューラー


 そんな中、ごく短い期間の静寂の支配を破り天空城ユビエ・ウィスピール下僕しもべ筆頭――相国エレア・クセノファネスが膝をつきこうべを垂れて主に問いかける。

 その姿から、状況を把握した際に一瞬だけ見うけられた動揺はすでに霧散している。


 下僕しもべたちを取り纏める立場にある者が、その主にその意志を問うのだ。


 最初に跪いたエレアに続き、セヴァスもその場で膝を折る。

 黒の王ブレドの左右に立っていたエヴァンジェリンとベアトリクスも一歩を引き、その場で膝をつく。

 黒の王ブレドの肩にのっていた千の獣を統べる黒シュドナイも地に降り、背を伸ばして背後に控える。


 それだけではない。


 表示枠の向こう側に存在する、千を超えるしもべたちの悉くが己が付き従う主が発する言葉を待っている。


「……我ら下僕しもべ


 己が背に跪くエレアはじめ1桁№の者たちを振り返ることなく、微動だにせず立ったままの黒の王ブレドに対して、こうべをたれたままのエレアが述べる。


「肩を並べて戦った者であろうが、同じ釜の飯を食った者であろうが、数千年の長きにわたり共にいた者であろうが――我が主マイン・フューラーと呼んだ者であってさえ、一切の躊躇なく殺すことができます」


 淡々としたエレアの声。

 それは下僕しもべたる己たちの在り方を、あらためて言葉にしているだけに過ぎないからだ。


 人どころか、共にあった眷属たちであっても躊躇うことは無いと断言するエレア。

 信頼も友情も、勝てるかどうかすらも度外視して純粋な殺意を向けることができると。


 それは――


我が主マイン・フューラー


 言う。


 しもべの在り方。あるじの剣にして盾。

 そこに我意はなく、下命をただ遂行することこそが己らの存在意義レゾン・デートル


 あるじへの崇拝も憧憬も、己が身を差し出すことさえ厭わぬ己らの揺るぎない忠誠も、軸足にはそれがあってこそ。


 『絶対の忠誠』とは、はじめに滅私ありきで成立するのだ。

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