第116話 無垢なる娼婦①

「信じられない……」


 『九柱天蓋ノウェム・カノピウムズ』の旗艦、その居住区に用意された最上級の部屋。その最奥、豪奢な天蓋付ベッドに寝そべり、美しく整った清楚なかんばせに妖艶な笑みを浮かべている女性がいる。


 ヴァリス都市連盟の総統令嬢、アンジェリーナ・ヴォルツ。


 三大強国の一角としてシーズ帝国皇族と同格の部屋を用意され、第一皇女がべそをかいているのとまったく同型のベッドの上で、その男好きのする躰を悦びに震わせている。


 身に着けているのはシンプルなデザインの夜着ベビードール


 丁寧に縫製された総絹製シルクの為す絶妙な光沢と透け感が、包む躰の醸す色香を際立たせている。

 同じ素材で作成されているガーターストッキングと夜着ベビードールの裾の隙間が生み出す『絶対領域』は、ヒイロが見れば一言ありそうな完成度を誇っている。


 だがその姿を誰に見せているわけでもない。


 天蓋から伸びるプリンセス・ヴェールを閉じ、外との結界のようにしてその中でくすくすと笑っている。


 だが薄いプリンセス・ヴェールは枕元に灯りを燈した状態ではアンジェリーナのシルエットだけではなく滲んだような陰影も透かし、その前に立つ者を虚心では居させない。


 実際、つい先刻までアンジェリーナに「襲撃」の報告をしていた「炎の魔道士」の通り名エリアスを持つ『五芒星ファイブ・スターズ』の一人は、その報告を終えるまでに幾度生唾を呑み込んだか覚えていない。


 香水やお香のたぐいではないアンジェリーナそのものと言っていい甘い匂いが空気中に満ち、揺らめく燈火に映し出される薄く滲んで透けた妖艶な影を前にすれば、この世界の男であれば誰でもそうなるのだ。


 それはアンジェリーナが、いわば世界からかけられている呪いである。


 だがもう、アンジェリーナはそうなることを当然としている。

 側に仕える者たちもその特性を知り、自制できる者たちが揃えられている。


 それでもアンジェリーナが無防備に魅力を全開にすれば、血迷う男は多いのだが。


 そして今のアンジェリーナはその状態と言っていい。

 今はもう一人きりになった部屋のベッドの上で、本当に心の底から愉しくて笑っている。


 その理由、それは――


「シーズ帝国の第一皇女様が、あんな女の貌をするなんて」


 転んだ後に「お姫様抱っこ」されたシーズ帝国第一皇女ユオ・グラン・シーズの真っ赤に染まった女の貌を思い出して、アンジェリーナは笑う。


「ウィンダリオン中央王国の小女王陛下が、あんな表情をみせるなんて」


 そしてそれをみて、ほんの刹那だけとはいえ羨ましそうな表情を浮かべたウィンダリオン中央王国の小女王スフィア・ラ・ウィンダリオンを想い出して、また笑う。


 成り上がり者――父がこの期のヴァリス都市連盟総統であるというだけの自分とは、根本から違う二人だと、アンジェリーナはユオとスフィアを認識している。


 歴史ある大国、その王家と皇族の正統な血筋。生まれた瞬間からヒトの上に立つ者として育てられ、本人たちもその期待に応えて高貴に、美しく育った本物のお姫様たち。


 その立場ゆえに、市井の者たちのような恋愛などは望むべくもないだろう。

 だがそれでも高貴な立場の殿方に望まれて妻となり、大切に扱われるであろうことは間違いない。


 小女王スフィアなどは王配を得、家庭ではともかく公的には主君として夫に向き合うのだ。


 色欲に濁った目をした男たちに、おもちゃにされることなど、国が亡びでもしない限りあり得ない。

 彼女たちは王族や皇族として誰に恥じることなく、高貴で貞淑な妻として誇り高くその生涯を過ごすのだ。


 少なくとも本人がそうであろうと望めば、それは叶う。


 大陸の三美姫などと呼ばれ、男たちから美しいと呼ばれる同じ女として生まれながら、自分とは全く違う人生を約束された、羨ましいヒトたち。

 汚れた女自分などとは住む世界がまるで違う、穢れなき清楚な女性の象徴。


 本気でそう思っていた。


 だが先の公式歓迎会レセプションでその二人が見せた貌。

 あれはどこにでもいる、ただのオンナの貌だった。


 いやそうじゃない。

 市井の女の子たちは、心を奪われた殿方にはもっと綺麗な表情かおをつくって魅せる。


 あれは大国の王族、皇族としての責任――という名で隠された欲と、女の欲望がないまぜになった、決して純粋とは呼べない醜い代物なにか


 だからこそ色が宿り、艶を放つ。

 それは年齢などまるで関係なく、狡い女だけが纏い得る女の武器――力だ。


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