第112話 皇族姉弟の憂鬱①

「死にたい……」


 『九柱天蓋』旗艦、その居住区に用意された最上級の部屋。その最奥、豪奢な天蓋付ベッドに膝を抱えてべそをかいた、美しい少女がうずくまっている。


 シーズ帝国の第一皇女、ユオ・グラン・シーズである。


 常は美しさもさることながら、凜としたいかにも皇族然とした空気を纏っているのだが、そんなものは雲散霧消して今はどこにも感じることは出来ない。ただめそめそと、小さな声でさっきから同じようなことを繰り返すばかりだ。


 美しい真紅の瞳は己が涙に滲み、いつもはヒトを突き刺せそうなくらいにぴんと立っている輝く黄金の角のようなアホ毛も、今はわかりやすく萎れている。


 先の公式歓迎会レセプションでやらかした大失態から、まだ立ち直れていないのである。


「いや、あの……姉上?」


 それをどう慰めていいかわからぬまま、弟にして皇太子であるクルスが困惑気味に声をかける。


 普通ならいかに姉姫のものとはいえ、女性の寝室に足を踏み入れるようなクルスではない。姉弟仲は良い方だと思っているが、皇太子たる者、迂闊なことは出来ないのだ。


 だが今はそんなことを言っている場合ではない。


 なんとしても明日夜の『舞踏会バラーレ』までに、姉姫ユオを立ち直らせる必要があるからだ


 今現在『天空城』勢、それもそのトップであるヒイロに通用するかもしれない「女としての魅力」を持ったユオの戦線離脱リタイアは、シーズ帝国の皇太子として絶対に容認できない。


 もっとも常のユオであれば、クルスはこんな余計な心配はしない。


 自分よりもよほどしっかりしていると思っているし、能力的にも性格的にも姉姫がもしも兄王子であれば、どんなに自分は楽だっただろうかと常に思っているくらいなのだ。


 だが今回はさすがに放置できない。

 もしもユオの立場に自分がいたとしたら、自分一人ではとても立ち直る自信など持てないからだ。


「あはは、もう死んでいるようなものよね? あんなに小さい女の子小女王スフィアもいたのに、よりによって私が……」


「えっとぉ……」


 いやアレが見えていたのは自分とユオだけだったから、しょうがないだろうとクルスは思う。

 もしも見えていたのであれば、あの場にいた多くの女性がユオと同じ状況になっていてもさほど不思議とは思わない。


 どれだけしっかりしていようが、小女王スフィアも例外ではないだろう。

 ものすごく清楚に見えるのにどこか怖いと感じる、総統令嬢アンジェリーナはどうだかわからないが。


 クルスはどちらかと言えば弁が立つ方だ。


 その気にさえなれば「ああ言えばこう言う系」とでもいおうか、まあ皇太子など口下手では務まらない。だが今は気の利いた言葉の一つも出てこない。虚ろな瞳で、虚ろな声で笑う姉姫にかけるべき言葉が見つからない。


 さっきのは仕方がないと、やはりクルスは思う。

 アレが見えてしまったという、自分たちの血が宿す『竜眼』という血統能力ユニーク・スキルを恨むしかない。


 あんな圧倒的な存在を突然叩き付けられて、平然としているのは大国であるシーズ帝国の皇族である自分たちにだって出来はしない。

 そんなことができるとすれば、彼らと同等の力を持った者だけだろう。


 クルスが友達になりたいだなどと思っていた相手は、想像以上に本物の化け物だったのだ。


 それを目の当たりにしたのだ、膝がくだけたり尻餅をついたりする程度の事は許してほしいと思う。大声をあげて騒ぎ立てなかっただけでも、自分たちの胆力は褒められるべきだとさえ思うクルスである。


 だがそのために姉姫が支払った代償はあまりにも大きい。


 男性と話すことに慣れていないことを誤魔化すために、どうせ酔えぬのにいつもよりも赤葡萄酒ワインを多く摂取していたコトも災いしたのだろう。


公式歓迎会レセプションの場で……大陸中の要人たちが集まっている場でわたくし、お、お……わぁぁぁ!!!」


赤葡萄酒ワインが上手く毀れていたので、誰にも気付かれてはおりませんよ!!!」


 頭を抱えて呻きだしたユオに、慌ててフォローを入れるクルス。


 これは別にいい加減なことを言っているわけではない。


 ユオが飲んでいた特級と言っていい赤葡萄酒ワインは芳香が強く、濃い紅の色を持つ。それが尻餅をついた際、ワイングラスに注がれていたほぼすべてがユオの身に着けていたドレス、それも腰から下に派手にかかったので、本当に気付いた者はほとんどいなかったはずだ。


 実際この部屋に戻りユオの様子をその目にするまで、クルス自身もそんな大惨事になっていたことにまるで気付いていなかった。


 公衆の面前ですっ転んで赤葡萄酒で自分の服を汚すなどという、シーズ帝国の皇族としてあるまじき失態をうまく転じて、キッチリと自分の利に導く。やはり自分の姉姫は大したものだと、感心さえしていたのだ。


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