第111話 密かな大惨事

「どうしました、ユオ皇女殿下?」


 全員が一瞬だけ感じた、違和感。

 だがその後とくになにも変わることなく、公式歓迎会レセプションは続いている。


 護衛武官たちを直撃した殺意は、ここ主宴会場メイン・ホールに集う貴顕たちには察知することができなかった。

 素人でも反応してしまうほどの絶対的な殺意ではあったが、それをヒイロが弾いたからだ。


 脅威の襲撃とその迎撃には戦う力を持つ者たちが気付けばそれでよく、ここに集う紳士淑女をパニックにする必要はないとの判断を下したのだ。


 その甲斐あって、だれもが一瞬だけ「ん?」と思った程度で、優雅な曲は続き、食事や歓談は止まっていない。


 だが公式歓迎会開始からそれなりの時間が経っているにも拘わらず、国力を背景に主賓ヒイロたちとの会話を続けていた小女王スフィア・ラ・ウィンダリオン、シーズ帝国第一皇女ユオ・グラン・シーズ、ヴァリス都市連盟総統令嬢アンジェリーナ。


 その中でシーズ帝国第一皇女ユオ・グラン・シーズだけが、突然尻餅をつくようにして倒れたのだ。


 手に持っていたグラスから真紅のワインが毀れ、その上等で高貴な衣装を染めている。それに対して、気づかいの表情を浮かべてヒイロが手を伸ばしている。


 スフィアとアンジェリーナは一瞬「そこまでやるか」という表情を浮かべたが、ユオはそんなあざとい手段に出たというわけではない。

 その証拠というわけではないが、弟で皇太子であるクルスも尻餅こそつかないものの膝から崩れかけ、手近なテーブルに手をついて周りの者に心配されている。


 二人ともその顔色は真っ青でありながら額には玉ような汗が浮き、その表情はとても演技とは思えない。


「大丈夫ですか?」


 心配そうに重ねて問うヒイロに、気の利いた答えを返すことすらできない。


 それでもなんとかぎこちない笑顔をその美しい顔に浮かべ、礼を言おうとするが歯の根があっていない。


 千載一遇のチャンスを、自らふいにしている。


 スフィアやアンジェリーナも普通ではないと気付くほどの動揺。

 大国の皇族がそんな姿を見せるのは、よほどのことが無ければ在り得ない。


 それだけの衝撃を、今ユオは受けている。


 至近距離にいる分だけ、クルスよりもその衝撃――いや恐怖は大きい。


 シーズ帝国の皇族に発現する血統能力ユニーク・スキルである『竜眼』。


 魔力の流れを視覚化し、行使される技・能力や魔法の初動を読むだけではなく、その残滓も見ることが可能な特別な瞳。膨大な魔力に反応して自動的に起動したユオとクルスの『竜眼』には、この場の本当の光景が映し出されているのだ。


 普通の光を映す右の瞳にはヒイロの愛らしい少年の姿と、とびきり美しい三人の女性、可愛らしい漆黒の小動物が。


 つい先程まで行使されていた魔力の残滓を捉える左の『竜眼』には、『黒の王』、『鳳凰』、『真租吸血鬼』、『凍りの白鯨白姫』、『千の獣を統べる黒シュドナイ』の真の姿が。


 そして『九柱天蓋』旗艦どころか、ウィンダリオン中央王国の王都ウィンダスを灰燼に帰すに足るだけの膨大な魔力が、この一瞬で展開されたことが極彩色の絵の具をぶちまけたかの様に映しだされているのだ。


「し、失礼いたしました……」


 なんとかそう応え、差し出されたヒイロの手を取って立ち上がるユオ。


 自分はついさっきなにを考えていたのか。

 巨大な力を持っただけの、普通の男の子? 


 それはとんでもない思い違いだった。


 自分が自分の理想のために利用しようと思っていた相手は、正真正銘の化け物であることを思い知らされた。


 それでもシーズ帝国のため、己の夢のために。

 手が震えることは止められなくとも、美しい少年の姿をした化け物の手を取って微笑んでみせる。


 その尋常ならざるユオの様子を見つめるスフィアもアンジェリーナも、その目にそれぞれの思惑を秘めた光を宿らせている。


 如何にシーズ帝国が三大王国の一角とはいえ、公式歓迎会レセプション間中主賓ヒイロを独占するわけにはさすがに行かない。


 それくらいの判断は本来のユオであれば即座に下す。

 皇女たる彼女の行動は一挙一動、そのすべてがシーズ帝国を利するものでなくてはならないのだ。


 短期的に利益に見えたとて、それが長期的に国に害成す可能性をはらんでいれば、リスクを考えたうえで取捨選択するのは当然だ。


 この場合でいうならば、あざとくヒイロを独占することは間違いなく害の方が大きい。


 だが今の――あまりのことに皇女ではなく、一人の女の子に戻ってしまっているユオにはその判断くらいはできても行動に移すことができない。

 ヒイロに手を引かれ何とか立ち上がりはしたものの、その美しい顔を真っ赤に染めて俯き、立ち尽くすことしかできなくなっている。


 とある理由で。


 それに気付いたヒイロが国賓たるユオに服を着替えさせるという、順番待ちをしている各国使節団との歓談から逃げる大義名分を手に入れた。


 豪奢なドレスがそれをほぼすべて吸収しているのも幸いし、他の誰にも悟られないようにヒイロが大胆な行動に出る。


「……着替える必要がありますね」


 似合わぬ微笑を張り付けてにこやかにそう声をかける。


 ユオが立ち上がる際に差し伸べた手をそのままに引き、もともとそんなに重くはないとはいえまるで体重がないものかのように、ヒイロはドレスをワインの朱に染めた美女をお姫様抱っこする。


 その際に会場に満ちた声なき声、驚愕の空気は一般人たちよりも天空城に属する下僕たちの方がより強かったのは言うまでもない。


 のちにヒイロが下僕たちの女性体たちに「お姫様抱っこ」を報酬扱いされるようになるきっかけである。


 弟である皇太子クルスですら見たことのない、素敵な男性に突然お姫様抱っこをされた年ごろの娘にしか見えない、だからこそ可愛らしいといえる表情でヒイロに抱かれたユオが会場から退出する。


 驚き以上に快哉を上げているのは、そうしているヒイロも年相応の男の子のようにその美しい顔を朱に染めていることを確認した、シーズ帝国の関係者たちである。


 この時点では皇太子クルスもそのうちの一人であり、自分の姉は必要とあればあそこまで効果的に自分の女を使うことができるのかと感心さえしていた。


 自分が膝砕けになり何とか平静なふりをすることしかできなかったアレを見てしまってなお、シーズ帝国を利するように動けるのだと。

 直後にそれが盛大な過大評価であることを、これでもかというほどに思い知ることになるわけだが。


 とにかく予想外の展開で主役を欠いた公式歓迎会は、実質的に終わった。


 だがまだ夜会は一夜目。


 明日の夜には女たちにとって主戦場である、『舞踏会バラーレ』がまだ控えているのだ。

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