第043話 その冒険者、迷宮を解放せし者。①

「おはようございます、ポルッカさん」


 もはや手慣れた様子でヒイロが冒険者ギルドの扉をくぐり、自分の担当者であるポルッカの座る窓口へ直行して声をかける。

 いつも通り『千の獣を統べる黒シュドナイ』が付き従っているが、最近はカティアのモフり攻撃から解放されたので、何も畏れることなく颯爽と先行している。


 わりとわかりやすいのが『千の獣を統べる黒シュドナイ』のいいところかもしれない。


「おう、相変わらず朝ははやいなヒイロの旦那」


「旦那はやめてくださいよ」


一月ひとつきもかからず第五階層突破して、攻略最前線に到達するようなお人はそうお呼びするしかねえんだよ」


 ヒイロの挨拶に気付いたポルッカが手早く処理していた書類を一区切りまで済ませ、視線を上げて答える。


 机の上に雑然と積まれている書類は膨大な量だ。

 ポルッカが見た目によらず有能であることをすでにヒイロは理解しているが、それにしたって朝からこの量は尋常なものではない。


 有能な者に仕事が集中せざるを得ない状況になっている理由を、ヒイロは当然知っている。というかその状況を引き起こしたのがヒイロであるからには当然である。

 

 続くヒイロの言葉と、にやりと笑ったポルッカの返しはここ数日のお約束だ。

 ポルッカの言葉に初期の頃のような嫌味はすでになく、ヒイロも肩を竦めるだけでその旦那呼ばわり呼称を受け入れる。


 冒険者稼業において重視されるのは実績であり、見た目や年齢は二の次。

 その実績という点において、今やヒイロは「注目の新人」などという域を遙かに超えており、冒険者ギルド本部ですらその存在を認識している程となっている。


 その割にはヒイロが騒がれ過ぎたり、要らぬ勧誘や絡みが発生していないのは『黄金林檎アルムマルム』との友好同盟によるところが大きい。


 仕事上荒くれ者の多い冒険者たちとはいえ、自ら進んで大手ギルドと揉めたくはないのだ。


「しかし旦那も毎日真面目に潜るよな……あの別嬪さん二人と休日をしゃれ込むなんてこたしねえのか? そこらのお貴族様にゃ負けねえくらい金は入ってんだろ?」


 ポルッカは他の仕事をしながら、自分の担当者の相手をするようなことをしない。

 やることは山ほどあるだろうに、いったん仕事を止めて自分の担当冒険者ヒイロに向き合っている。

 仕事には並行して進めてよいものとそうでないものが明確に在り、人と接する仕事は間違いなく後者に属する。

 片手間に自分の相手をする担当者のことなど、命を賭けた仕事を生業とする冒険者が信頼などするはずがないのだ。


 それで訊くことがそれとはどうなんだ、と思わなくもないヒイロではある。


 確かに日々の攻略と依頼クエスト達成でかなりの金は入ってきている。

 ポルッカの言うとおりちょっとした豪遊するくらいは何の問題もなく、ヒイロの目立つ容姿と相まって夜街を歩けばこればかりは遠慮の欠片もない呼びこみにもみくちゃにされかねない。


 そうなると約二名の機嫌が加速度的に悪くなることはもう学習済みなので、ヒイロは夜街には近づかない。

 宿での食事もエヴァンジェリンと、最近はベアトリクスも作って用意してくれているので、金は貯まる一方だ。


「そうしたいのはやまやまなんですけどね。はやく家を買いたいなと思ってまして」


「スウィートホームってやつかい。別嬪さん二人も養うとなるとスケールが違うねえ」


「そんなんじゃありませんよ」


 ポルッカらしからぬ「スウィートホーム」という響きに思わずヒイロが笑う。


 当然連日迷宮ダンジョンに潜っている理由はマイホーム購入のためというわけではない。

 だがエヴァンジェリンとベアトリクスの存在を知っている者にしてみれば、いい女にいいカッコをしたくて頑張っている図というのはわかりやすいのかもしれない。


 ――そういうのも悪くない。


 もしも自分が才能に恵まれただけの男の子でしかなく、エヴァンジェリンとベアトリクスに相応しい男になろうと奮闘している男の子の物語というのも、それはそれでアリだと思ったのだ。


 やめて『千の獣を統べる黒シュドナイ

 そんな目で仮にも主を見上げるんじゃない。


 わかりやすくにやけたヒイロが悪い。


「しかし今日は……というべきですか。朝からギルドは忙しそうですね」


「暇だったのはの翌日だけだったからなあ……どこもかしこもバタバタだよ」


 ヒイロとポルッカの言うとおり、ここのところ冒険者ギルドは本当に忙しい。

 『凍りの白鯨』の一件の以降、迷宮を攻略するパーティー、ギルドは一部を除いて停止しているのが現状である。

 ヒイロのようにある意味暢気に毎日迷宮に潜っているのは極少数なのだ。


 それ故に本来本業と言っていい迷宮攻略に関わる仕事は暇と言っていい現状なのだが、別の仕事が通常の数倍の勢いで増えている。


 大手ギルドやパーティーをはじめとする、冒険者たちのアーガス島支部への登録変更。


 あれだけの事件があってもなお、『連鎖逸失ミッシング・リンク』の発生していない世界唯一の迷宮ダンジョンを放置しておける者など『冒険者』にはいない。


 一方あれだけの事件があったからこそ、冒険者アーガス島へ入ってくる者たちも相当数に上る。


 よってアーガス島冒険者ギルド支部はここのところずっと、書類仕事に忙殺されている日々が続いているというわけである。

 

「ポルッカさんはのんびりしているように見えますけど?」


「俺ぁいいんだよ。もはやヒイロの旦那専属みてえなもんだ」


 机の上の書類には気付いているくせに、ヒイロがからかうのを、手慣れた調子でポルッカが返す。


「人材の無駄遣いじゃないんですか?」


「新進気鋭、はやくも最前線攻略組の一角を担うようにまでおなり遊ばされたヒイロ殿の迷宮攻略に支障をきたさないようにすることは、我ら冒険者ギルドとしては最優先事項でございましてね」


 冗談ではなく、冒険者ギルドが自分ヒイロを特別視するがゆえにポルッカ本来の業務処理量スペックを発揮できていないのは、ヒイロの本意ではない。


 だがそういうことも含めて、組織としての優先順位ははっきりしているんだと言われてしまえば、あくまでも一人の利用者でしかないヒイロは黙るしかない。

 ふざけた調子でいってはいるが、ポルッカが言っているのはそういうことである。


「ま、正直なところ、ウィンダリオン中央王国の王族が来ることが本決まりになったし、アルビオン教の『教会騎士団テンプル・ナイツ』はそれに先んじてアーガス島うち迷宮ダンジョン入りするらしいし、大混乱ってやつさ」


 少ない髪を掻きながら、ポルッカにしては珍しくふざけた空気を纏わない、愚痴めいたものを口にする。


「ポルッカさん前にも言ってましたよね。『教会騎士団テンプル・ナイツ』ってそんなに厄介なんですか?」


 いつも口では大変だ大変だと言いながら、鼻歌交じりで業務をこなすポルッカの本気のしかめっ面に、ヒイロが反応する。


 プレイヤーとしてのヒイロもこの時代の国家や宗教にそこまで詳しくないので、活きた情報をきく価値は充分にある。


「アルビオン教サマってなぁ、世界宗教だからな。ウィンダリオンこの中央王国の国教でもあるし、ヴァリス都市連盟ってなアルビオン教ありきの勢力だ。冒険者ギルドうちにも信者は多いし、ある意味国家以上に敵にまわしちゃダメな相手と言えなくもねえ。――旦那も気を付けろよ」


 アルビオン教。


 女神アルビオンを主神とし、北方守護神アソーナ、南方守護神ユリゼン、東方守護神ルヴァ、西方守護神サーマスがラ・ナ大陸四方の諸族を守護し、平和を与え法を布く巨大宗教。

 

 この時代のヒトの世において、最も多くのヒトに信仰されている宗教である。


 聖地『世界の卵ムンドゥス・エンブリオ』を都市国家としてヴァリス都市連盟の中に持ち、その影響力は計り知れない。


 ポルッカの言うとおり、考えれば敵に回していい相手ではない。

 というか個人が敵に回すという感覚すらもピンとこない、国家を超える巨人である。

 

 もしも敵対すれば、本体が手を下すまでもなく勝手に人生が詰む。

 それがほとんどのヒトに信じられている巨大宗教を敵に回す――神敵となるということなのだ。


 持っている力の割には世慣れていないヒイロに対するポルッカの忠告は、いろんな意味で普通ヒイロに対するものとしては妥当と言えるだろう。


「こっちから喧嘩売ったりはしませんよ」


「売られたら高値買取しそうなのが怖ぇんだよ、旦那は。可愛らしい顔して」


 心外そうなヒイロの抗議を、ポルッカが一刀両断する。

 珍しく二の句が継げないヒイロを見て、ポルッカが毒のない笑いをもらす。

 

 この意外と仕事ができてよくヒトを見てもいるおっさんは、わりと損得抜きでヒイロのことが心配なのだ。

 そういうらしくない、ここのところの自分を気に入ってもいる。

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