第一章 八話 若しもの事
「ーーーーーーー、ーーーーーーーーーーーーーーー」
うるさいな。
「ーーーーーーーーーーーーーーーー。ーーーーーーーーー?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
理解しているよ。「じゃあ、ーーよ、はよ起ーーー?そして理ーーーーね、状況を」
わかってるさ。
「ーーまーーー。ーーちゃんーーーーーーーーーーー。ーー、ーーー」
呆れるような、どこか子供っぽい声が脳を劈く。
いつも、後に思い出そうとすると、何も思い出せないが、これだけははっきりと覚えている。
「大好きだよ、愛してる」
そう甘く、愛を囁かれ、また意識が削られる。
殻が閉じる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
頭が割れる。痛みではない、そんなものよりも激しい喪失感を伴って、得体のしれない感覚が僕を襲う。
意識が薄れる。呆然と唖然と忽然と、僕の意識は虚ろに消えていく。あぁ、眠い。このまま永遠の静寂に身を任せてしまえたら、どんなに幸せなのだろうね。でも、それはできない。それは僕の意思決定で行うのを認可されている行為ではない。
はっきりと意識が薄れるのを感じられるならば、僕はまだ大丈夫だ。意識が大なり小なり存在するのであれば、僕は僕を認識する事ができる。
だから生きていける。
そんな何度目かわからないくだらない自問自答を繰り返し、目を覚ます。
「あ、きゅー。起きたのね?おはよう。今日はいい天気よ」
「あぁ。おはよう、詩季。本当にいい天気だね」
詩季に言われ、窓の外を見ると、昨日と同じように入道雲が空を覆っている。
ふむ、この場合は快晴と言えばいいのか、確か快晴の基準は雲の量で決まっていたような気がしたが、残念ながらそれを把握できるほど僕は賢くはない。夏らしくいい景色なのだ、難しいことを考えず、凡夫なりにその美しさに打ちひしがれていればいい。
「あれ、詩季、何してるの?」
「何って、見てわからないの?きゅー。料理してるのよ。きゅーはハンバーグは苦手だったりするのかしら?」
「小さい頃、通っていた教室で無類のハンバーグ好きとして皆を恐怖の底に陥れたことがあるぐらいには好きだよ」
えっへん。
「そう。どれぐらい好きなのかを示す表現がまるで理解できないけれど、嫌いでないのなら良かったわ。きゅーったら昨日お風呂に入らずに寝ちゃったから髪ギトギトでしょ?お風呂を沸かしてあるから、ゆっくり入ってくるといいわ。私もその間に昼食の用意を済ましておくから」
「あぁ、ありがとう、詩季。もう昼なんだね。どうやら随分長い間寝てしまったみたいだね、僕は」
一拍、奇妙な間を空けて、彼女が答える。
「そうよ、随分長い間寝ていたわ。明日からは気をつけるのよ」
「あぁ、もちろん」
台所で料理を作っている詩季に向けて声を返し、お風呂場へ向かう。
随分と気が利くね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「いただきます」
「ええ、どうぞ」
手短に風呂を済ませ、食卓に座る。
ハンバーグにポテトサラダ、野菜のスープに卵焼き。食卓には予想以上に多くの種類の料理が並べられていた。
「美味しいよ、詩季。ありがとう」
「そう。なら良かったわ。人のために料理を作るのも、悪くないわね。特に好きな人相手には」
スープを口に運ぶ。
見た目だけではなく、味もなかなかに美味だ。詩季にこんな技能があるだなんてね。小さい少女といって侮るわけには行かないようだ。
「今日は何をするのかしら、きゅー」
何をするのか。何も考えていないな、そう言えば。
ふむ。
「昨日、さくら組とかいうのが張り紙を貼っていったみたいだけど、それについて調べてみようと思うんだ」
「調べるって、どうやって調べるのかしら?」
「知り合いに、優秀な探偵がいるんだ。彼女に助力を頼もうと思っていてね。詩季もついてくるかい?」
「愚問ね、当たり前よ。きゅーが行くところにシキあり、ってね」
「格言っぽく言ったのになにか意味はあるのかな?」
「ないわ」
「ないんだ」
そっか。まぁ言葉の意味が強調されるし、なんの意味もない行為ではないだろうね。
「わかったよ、じゃあこの御飯を頂いてから、行こうか。僕はもう少し食べるのに時間がかかるから、詩季は用意を済ましておいて」
「用意なら、疾うに済んでるわ。私に気を使って焦って食べなさい」
それもそうだね。
「はは、じゃあ、キリキリ食べるとするよ」
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