第一章 三話 契約者
夏特有の焼けるような日差し。遠くにある入道雲や、騒々しい蝉たちを見てふと思う。
そうか、今は夏なんだね、と。
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踏切を渡る。
電柱にしがみついている蝉を物珍しそうに、僕の手を握っているシキがハート型の瞳で眺めている。蝉を見たことがないのだろうか?この辺りに住んでいれば目にしないことはないと思うんだけれどね。やはり彼女の銀髪と、ピンク色の目から考えるに、日本人ではないのかもしれない。
「きゅー。暑いね」
「そうだね、今日も太陽は元気に出勤中だ。彼のおかげで僕達は生きていられるけれど、やはり人類としてではなく一人間として言わせてもらうならば、なかなか鬱陶しいと言わざるを得ないね」
「きゅー、言葉、長い。複雑。もっと簡単に言って」
「そうだね。じゃあ言い方を変えようか。太陽とか消えてくれないかな」
はっきりと言う。昔から、僕は太陽が嫌いだ。光が嫌いだ。僕の醜悪さを一層浮き彫りにする気がして。
「ひどいこというね、きゅー。あの子のおかげで、生きていられるんだよ。わたしたち。感謝しなきゃ、だよ?」
「それもそうだね、シキ。ありがとね、太陽さん」
現在、シキと出会った湖に向けて歩みを進めている。というのも、何かシキに関する手がかりがないかを探すためである。僕は一向に構わないが、しかし、流石にずっとシキを家に置いておくわけにもいかないだろう。
シキは、家族のことや、自分がなぜあの場所にいたのかも思い出せないらしい。ただ、契約に関することのみを残し、彼女の記憶は曖昧に、霧散してしまったようだ。
「確かここらへんだったかな、シキがいた湖は」
山の麓に到着し、眼前の草むらを見やる。この先を少し行くと、小さな湖があったはずだ。
「草で指とか切らないように気をつけてね」
「分かった、きゅー」
前回僕がここらを踏み鳴らしたおかげか、少し茂みに道ができている。その後を、草をかき分けて進む。
それにしても僕はなんでこんな道なき道を進もうとしたのだろうか。
思い出せない。
「お、見えたね」
少し、漠然とした違和感を覚えながらも、目的地に着いた。
湖が見える。木々に囲まれ、外界から完全に隔離されているこの湖は、水底が見える程澄んでいる。
「シキ、ここにきて何か、思い出せることはあるかい?」
「うーん。....ごめん、きゅー...」
僕の問いに、彼女は申し訳なさそうに小さく首を振る。
「いいよ、気にしないで」
優しく、笑顔を作る。
「思い出せないものは仕方がないよ。ゆっくりいこう。君さえ良ければの話だけど、君の両親が見つかるまでは、僕の家に何日でもいてもらって構わないから、焦らず探そう」
「............」
シキが無言で僕を見つめる。あれ、何かまずい事を言ってしまったかな?
「...どうして..」
「............ッ!」
突然シキが、僕を押し倒す。あまりにも脈絡のない展開に体が反応できず、そのまま力なく押し倒される。
「ずっと一緒にいるって、離れないって、契約した」
「そうだったっけ」
記憶にない。
「そうなの。だから、きゅーは私とずっと一緒にいるの。ずっと一緒に暮らすの。私のお父さんや、お母さんを見つけて、もうきゅーといれなくなるぐらいなら、見つけたくない。ねぇ好き、好きだよ、きゅー。好き、大好き。好き。だから、ね。約束して。ずっと一緒にいるって。一生シキと暮らすって。お願い、きゅー。私ね、きゅーとあって、きゅーの顔を見たあの時から、ずっと頭の中きゅーのことで頭がいっぱいなんだよ?きゅーのせいなんだよ?私が、きゅーを好きで好きでたまらなくなっちゃったのは、きゅーが私を、助けようとしたからなんだよ?これって、誰が悪いと思う?きゅーだよね?きゅーのせいだよね?あはっ♡だから、責任をとるべきだよね?私をこんなに、狂っちゃいそうなぐらい、おかしくなりそうなぐらい好きにさせたんだからね?」
頬を紅潮させ、興奮した様子で、もう少しで僕の顔に触れてしまいそうな距離まで顔を近づけたシキが、いままでとうって変わって流暢な口調で続ける。
「きゅー。私の全部を、きゅーにあげる。だからきゅーの全部を私に、ちょうだい?」
僕の目を、ハート型の瞳でじっと見つめる。
ピンク色であったはずの瞳が、夜の闇のように黒く濁り、渦を巻いている。
ここは、取り繕わず、正直に返事を返さねばならない。そう告げる僕の脳に従うべく、口を開く。
「全部は、悪いけどあげられない。でも、これからも、例えシキの両親が見つかっても一緒にいるってことは、君を助けようとしてしまった、君の瞳を覗いてしまった、契約をしてしまった責任をとって、約束する」
僕の体は、とうの昔に僕のものではなくなっている。僕の所有物ではなくなっている。だから僕の意志で、この体全てを渡す決断はできない。
「それじゃ、ダメかい?」
恐る恐る、シキの表情を窺う。
「もちろん、僕としてもできる限りのことをさせてもらうよ、だから....」
そう続けようとした口は、塞がれた。
「ん....♡」
三回目の口づけだ。彼女の舌が、僕の歯の付け根にあたる。
「分かった。今は、それで妥協してあげる♡」
今はね、ともう一度繰り返した彼女は、悪戯っぽく笑う。
「ーーーーーーーこんなところで何をしているのかな?兄妹の戯れにしては、いささか苛烈だねぇ」
聞き慣れない、若い女性の声がする。
いつのまにそこにいたのだろうか、右腕に黒い革手袋をはめた、長いポニーテールを携えた、若い女性が木にもたれかかり、こちらを見ていた。黒い外套を羽織り、その中には腹部が露出してしまうほど丈の短いシャツを覗かせ、長い足を強調するショートパンツ姿の、黒髪の女性がいた。
「ま、どーでもいーがねー」と、つまらなさそうに言った彼女は、右腕の皮手袋を外す。
現れた右手を目にし、思わず息を呑む。
彼女の右腕は、まるで炎で炙られたかのように赤黒く変色していた。そしてそのまま、腕をこちらに掲げ
「じゃあ、悪いけど焼け焦げてもらおうか」
赤黒い炎が噴き出した。
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「いくつか、聞きたいことがあるんだけどね、いいかな?」
赤黒い右腕を、逆向きに折られ、頬に同じく赤黒い跡をつけられ、地面に押さえつけられている彼女が言う。
「なんですか?どちらかといえばここは僕が質問する場面ではないでしょうか」
そう返され、「そうかもねぇ」と返し、彼女が言う。
「君、何者なの?」
「こちらのセリフですね」
彼女の右腕をへし折り、地面に押さえつけている少年、枯指妥が感情のこもらない機械的な声で返す。
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