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 幼馴染であるジークハルトは兎も角、流石に第一王子を無碍むげには出来ずに、あっという間にバルコニーまで案内されたニコラは猫足の円卓を囲むアンティークな椅子に座らされた。


 アロイスは何が可笑おかしいのか「アッハッハ! 表情隠し切れてないってばニコラ嬢!」などと笑うので、余計に憮然とするしかない。なんだか随分と軽薄なノリの王子だった。





 三段のケーキスタンドに用意された可愛らしいお菓子も、ハイブランドの紅茶も文句無しに美味しい。

 だがどうしても胸焼けしてしまうのは、間違いなく眼前の美形たちのせいだろう。


 長く透き通る銀髪をサイドに流して緩くくくるジークハルトは、相も変わらず完全無欠の造形美で、羽根でも乗りそうなほどに長い銀の睫毛まつげがアメジストの宝玉を縁取る。

 そんな睫毛が落とす影が、艶めかしい色を孕む紫の瞳に扇情的な一差しの色を加えるのだ。花のかんばせは今日も今日とて状態が良いらしい。


 一方で、アロイスはやや癖のある金髪に碧眼、そして童顔寄りながらもすっきりと通った目鼻立ち。

 典型的な甘いマスクの『王子様』を地で行く彼もまた、ジークハルトには劣るものの、十二分に整った顔立ちだった。


 比較対象が絶世の麗人であるため、比べるとどうしても若干見劣りはしてしまうが、アロイスもまた、単品で見れば余裕で美形に類する。


 優美さか愛らしさか、ジャンルが全く違う分、ここまでくればもはや好みだろう。

 金銀と対比させたくなるのが分からなくもない程に、二人は対照的だった。




 ジークハルトはとろりと蜂蜜のような甘ったるい表情を、ただ紅茶を飲んでいるだけのニコラに向ける。

 何が良いのかさっぱり理解出来ないものの、これに関してはいつものことなのでニコラは無視をした。問題は、アロイスから向けられる視線だった。

 彼は新しい玩具を見つけた猫のように、好奇に満ちた目を向けてくるのだ。


 陽光を弾いて無駄に輝く金と銀の髪も、双方から向けられる視線も煩わしく、ニコラの眉間に皺が寄る。




「……まず前提として、先の不名誉な表現について訂正させてください。確かにジークハルト様の幼友達の役は仰せつかりましたが、別に婚約関係にあるわけでも何でもありません。誤解を招きかねない表現はやめて頂きたく」


 視界の端でしゅん……としょげるジークハルトが映って不覚にも「ヴッ……顔が良過ぎる……」とうめき声が洩れるが、気にしては負けであるため黙殺する。

 ジークハルトはニコラがその表情に弱いことを知って敢えてやっている確信犯なのだ。


 それに、口を尖らせて小さく呟く内容は全くもって可愛くない。「婚約はこれからするから問題ないんだ」と言われても、ちょっと言葉の意味が分からない。

 侯爵閣下といち子爵家の娘が結婚などどう考えても有り得ないだろうにと、ニコラは白けた目を向ける。


「うんうん、そうなんだ? でも、たとえ一方的だとしても、ジークにとって最愛であることは変わらなくない?」

「だから、」

「あ、そうだニコラ。今日の本題なのだけれど」


 今度はジークハルトがニコラの言葉を遮る。

 ここには人の話を聞かない奴しかいないのかと青筋を立てかけて、なんとか咳払いで溜飲りゅういんを下げた。

 相手がジークハルト一人ならいざ知らず、第一王子もいるのだ。代わりに眉間の皺が更に深くなった。


「はいこれ、渡したかったもの。日頃の感謝と入学祝いもかねてね。開けてみて」


 ジークハルトから手渡されたのは、包装に包まれた長方形の箱だった。

 言われるがままに包装を剥がし、箱の蓋を開ければ、シンプルな一本の万年筆が収まっている。


 そっと手に取ってかざして見れば、それは実に品の良い、名のある職人の手によるものと分かる一品だった。

 深い紺碧とそれを縁取るシルバーの絶妙なコントラストは惚れ惚れするほど美しく、確かにニコラの好みにも合うものだ。

 だがそれを差し引いても余りある程に「高そう」という感想が先に来る。


「こんな高価なものに釣り合う返礼なんて出来ませんから。受け取れません」


 そう言って返そうとすれば、逆にその手を包み込まれる。

「高価でなくていいんだ。ニコラの手作りってだけで価値があるんだよ。だから、いつものあれをくれないかな?」


 小さく小首を傾げる仕草はあざとい。ニコラはぐぬぬと唸る。


「ほら、前に貰ったものはもう香りがなくなってしまってね」


 ごそごそとジークハルトが首元から取り出したのは小さな紗の生地の匂い袋サシェだ。

 首から下げられるようになったそれはニコラのお手製で、ちょっとした魔除け道具だった。

 だが、つい二ヶ月前に郵送したはずのそれは、見る者が見れば一目で既に効力を失っていると分かる。


 確かに効力が無くなったのならば、どのみち渡さなければならないものではあるが。

 ニコラは苦虫を噛み潰したような顔で、渋々とポケットから新しい匂い袋サシェを取り出した。




 今回の中身は乾燥させたウィステリア。

 和名は藤で、魔除け厄除けの効果を持つ花だ。

 だが匂い袋サシェ自体も、消耗品であるので布の端切れを使っているし、ウィステリアの花も自生しているものから採取した。原価は殆どゼロに近い。


 それでも、ジークハルトはぱぁぁと顔を輝かせて、さも嬉しそうに、大事そうにそれを受け取るので、ニコラはぎざぎざと口を引き結ぶ。

 高価なものへの返礼が原価ゼロというのは、何とも居心地が悪くて仕方がないのだ。



 そんなジークハルトを見て、アロイスは興味津々と言わんばかりにしげしげと匂い袋を覗き込む。


「へぇ、これそんなに良いの?」

「ニコラの手作りだから嬉しいんだよ。いや効果もすごいけれど」

「それ自体にたいした効力はありませんよ。気休め程度です」

「いやいや、効果もすごいよ? 今回も香りがなくなった瞬間にアレが現れたし……」


 小言でぼそり付け加えられたアレというのは、昨日ニコラが放り捨てたドッペルゲンガー的怪異のことだろう。

 思い出してしまったのか、僅かにその玉顔が翳る。

「……そうですか」


 謙遜ではなく事実気休めにしかならない品なのだが、まぁ効果が全く無いと言われるよりは良いかと引き下がる。


 ふとアロイスの視線を感じて目を向ければ、彼はおもむろに円卓に両肘をついて手を組み、その上に顎をのせた。

 サファイアの双眸がじーっとニコラを見つめる。


「それで、ジークの不思議お助け人さん。ジークが時々巻き込まれてる不思議現象って、何なのかな?」


 マカロンに伸ばしかけた手がピクリと止まる。まさか喋ったのかと、咎めるようにジークハルトを睨めば、ぶんぶんと首を振り否定される。


「あはは、ジークは何も言わないよ。でも僕、好奇心旺盛だからさぁ、隠されると気になっちゃうんだ」


 まるで鼠を追いつめた猫のように、アロイスはにっこりと笑う。

 それに対して、ニコラもまた真っ向からにっこりと笑い返した。踏み込むなという威圧を添えた、仮面のような隙のない笑みを意識的に貼り付ける。


「殿下。知らない方がいい世界というのは確かにありますよ」


 そう言って一方的に、話は仕舞いとばかりにニコラは席を立つ。

 ニコラはこういう、怖いもの知らずの輩が大嫌いだった。マナーは悪いが、堅苦しいのは無しだと言ったのはアロイスの方だ。


 ジークハルトを見れば、仕方ないねと言うように苦笑する。

 アロイスがニコラの地雷を踏み抜いたのが分かっているのだろう。適当に取り成してくれることを期待して、ニコラは二人に対して一礼した。

 最後に形ばかりの忠告を添えて、バルコニーを辞す。




「気になったこと、疑問に思ってしまったこと、それさえも忘れるのが身のためですよ。それでは御機嫌よう」




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