どうしてあたしをみるの?


「っ!? い、いたたたた」


 目を覚ましたわたしの視界には、いつも通りの部屋が広がっていた。

 まただ。あれだけのことがあった筈なのに、何事もなかったかのように、部屋は静まり返っている。


 宙を舞っていた筈の小物たちは定位置に戻っており、特に壊れているものもない。わたしにぶつかってきた枯れないお花の小瓶も、元通りになっていた。

 打ちつけてしまったこめかみを抑えながら、自分の身体をゆっくりと起こした。


「ど、どうし、て? はっ! ら、ランちゃんっ!」


 呆気に取られていたわたしだったけど、ハッとして親友の姿を探す。ランちゃんも倒れていた。駆け寄って身体を揺すってみると、「う、ううん」と声を漏らしている。良かったぁ、大丈夫みたいだ。


「……ハッ! こ、コヤケッ? さっきのはッ!?」


 目を覚ましたランちゃんが、ついさっきのわたしのように、キョロキョロと辺りを見回した。

 何でもなくなってしまったわたし部屋を見て、顔から血の気が引いていく。せっかくの綺麗な顔が真っ青だった。


「う、嘘。嘘だよッ! だってさっき、あんなにも飛び回ってたじゃんッ!? なんでッ!? なんで元通りになってんのッ!? コヤケ、あたしが寝てる間に片づけたりしたッ!?」

「う、ううん。何も、してない、よ。わたしもついさっき、起きたばっかりだし」

「そ、そんな」


 ランちゃんは、ギュっとわたしを抱きしめる。彼女の身体は震えていた。震えながらもあたたかい温もりが伝わってきて、わたしは涙が出てきた。


「ごめ、ごめんね、ランちゃん。わたしの所為で、こんなことに、なっちゃって」

「ううん。コヤケは悪くない。悪くなんか、ないからッ!」


 わたしはランちゃんを抱きしめ返して泣いた。溢れる涙が、止められなかった。

 怖かった。怖かった。何より、ランちゃんにも同じ辛い思いをさせてしまったということが、堪らなく嫌だった。


 そんなわたし達の耳に、甲高い音が飛び込んでくる。


「っ!?」

「ッ!?」


 二人して身体をビクっと震わせ、恐る恐る視線を音のする方へと目を向けてみる。どうやら床に置いてあった空き缶が倒れたらしい。

 中身は昨日ランちゃんが飲み干していたのでこぼれることはなかったけど、空っぽになった缶の甲高い音は、わたしたちの鼓膜と身体を震わせる。


 缶が倒れた、それだけのことであれば何にもおかしくはない。空き缶は軽いから、それこそちょっと風が吹いただけで倒れちゃったりもする。

 外でお花見をした時なんかは風に飛ばされちゃったりして、集めるのが大変だった覚えもある。


 でもここは屋内だ。窓も開けていない今、風なんて天井で回っているシーリングファンのそよ風レベルのものしかない。

 なのに倒れたのならば、理由がある。わたし達以外の誰かがいたんだ。それは。


「あー、ちゃん?」


 空き缶の傍に一緒になって倒れている、人形のあーちゃんだった。さっきまでベッドの上でまくらを背もたれにしていた彼女。

 あの部屋中の物が宙を舞っていた時だって、彼女は素知らぬ顔でちょこんと座っていた筈だ。


 あーちゃんは空き缶の傍で倒れている。わたしも、ランちゃんも、抱き合っていて何かを動かした覚えなんてない。

 だけどあーちゃんは、ベッドから転がり落ちて空き缶にぶつかった。つまり、彼女が独りでに動いたんじゃないかってことで。


「い、いやぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

「ッ!? こ、コヤケ? コヤケッ!」


 わたしはパニックになった。もう何もかもが解らない。普通に考えて、好きで集めた小物たちが宙を舞うなんておかしいし、人形が独りでに動くなんてあり得ない。こんなのは何かの間違いだ。

 どうしてわたしがこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。ビックリするのは嫌だ。怖いのは嫌だ。何よりも、ランちゃんに迷惑をかけるのは、もっと嫌だ。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ」


 落ち着かない。心臓がずっとバクバクしている。手の震えも止まらないし、幾重にも汗が頬を伝っている感触がある。

 残暑が続いていてまだ暑い筈なのに、わたしの胸とお腹の間くらいのところがとても冷たい。


 身体の芯の部分がまるで雑巾絞りのように締め上げられているような感覚もあり、息苦しかった。思わずランちゃんから離れて、胸のところに両手をやる。

 いつの間にか、息遣いまで荒くなっていた。


「ハア、ハア、ハア、ハア」

「コヤケッ!? しっかりして……」


 すぐ近くにいる筈のランちゃんの声が、遠くなっていく。自分が勝手に彼女から遠ざかっていくかのように。わたしを呼んでいる声が、彼女の姿が、遠く、薄く、なって。

 ポタポタと、流れ落ちてて、わたし、涙も、流れて、る。


「ハア、ハア、ハア、ハア」


 あ、あれ? わたし、どうしちゃったんだろ? 今わたし、座って、るんだよね? お尻に、床の感触が、ない。身体が、意識が、持ち上げられてる、みたいな、変な感じが。

 わた、わたし、今、何処に、いるの? ここは、どこ? ランちゃんは、どこ? 何か、言ってる、の?


「ッ! ッ!」


 何か、聞こえる。わたしを、呼んでる? 誰? あれ? 視界が、急に、動いて。わたし、倒れ。


「コヤケッ!」

「っ!」


 倒れ込もうとしたわたしは、誰かに抱きとめられた。耳元で名前を呼ばれて、やっと意識が戻ってくる。この、声は。


「ラン、ちゃん?」

「大丈夫、大丈夫よコヤケ。あたしが、いるから」

「ラン、ちゃん……」


 あまり力は入らなかったけど、わたしは精一杯彼女を抱きしめ返した。温かい彼女の身体が、わたしを繋ぎ止めてくれる。落ち着くまでずっと、わたしはランちゃんに縋っていた。

 視界にあーちゃんが入らないように、目を閉じたまま。

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