あたしをすてちゃうの?
「その人形を捨てよう」
ユウヤ君がそう言った。ランちゃんとお泊り会をして、二人してあんな目に遭ってから少し経った。
わたしはあの後、介抱してくれたランちゃんのお陰でなんとか意識を取り戻したが、気分が悪かったのでそのまま大学を休むことにした。その日はランちゃんの家に行って、泊まらせてもらった。
流石にランちゃんの家では何も起きることがなく、わたしはゆっくり休むことができた。
ランちゃんは不審者用とか言って玄関先に木刀まで置いてあるので、「あの人形が来てもこれで追い返してやるんだからッ!」と息巻いていた。わたしにはそれが、凄く頼もしかった。
何とか元気になってきたわたしは大学に行き、研究室でユウヤ君とお話していた。ランちゃんは選択科目の単位が足りないらしく、今は講義に出ている。
今は彼と二人っきりだ。
「明らかにその人形のあーちゃん? が来てから、おかしいことになったんだ。だったら、そんな人形は捨てちゃおう。勝手にコヤケの家に現れたっていうのも不気味だしね」
「そ、そうかも、しれないけど」
昨日あったことを全部お話したら、ユウヤくんは迷わずにそう言った。確かにあのあーちゃんが現れてから、わたしの家はおかしくなってしまった。
あの時のことを思い出すと、今でも背筋にゾクっとしたものを感じる。あーちゃんが現れてからこうなってしまったのであれば、原因と考えてもおかしくないのかもしれない。
それにあーちゃんは、元々自分で買ったものでも何でもないから。捨ててしまおう、っていうユウヤくんの意見も、その通りだと、思うんだけど。
「どうしたんだい、コヤケ? まさか、捨てたら何か?」
「う、ううん。そういうことじゃ、ないの。ただ、その。あーちゃんが可哀そうかなって、ちょっと思っただけで」
もちろん、もし部屋のものを勝手に浮かび上がらせたり。独りでに動いたりしているのがあーちゃんなのであれば、とても怖いことだと思う。
わたし達には解らない力があって、それで自分を傷つけようとしてきているのであれば、恐ろしいことだ。
でも正直。わたしはまだ、あーちゃんのことを何も解っていない。急に現れたお人形さんというだけで、ひょっとしたら何か事情があるのかもしれない。
本当はただ単に構って欲しくて、暴れているだけなのかもしれない。結局、何も解っていないのだ。
「もし、あれはその、呪いの人形、みたいなものだったとしても。最初っから、そうだったんじゃない筈だし。わたしに何かできることが、あれば」
「コヤケは、優しいんだね」
ユウヤくんが、そんなことを言った。
「普通はさ。そんな怖い目に遭って、その原因がこの人形かも、なんて思ったら迷わず捨てちゃうもんだと思うよ。触らぬ何かに祟りなし。でもコヤケは、勝手にやってきたその人形のことも考えてる」
「そ、そんなことないよっ! こ、子ども扱いしないでってば~」
いつの間にか、ユウヤくんに頭を良い子良い子されていた。わたしは別に優しいつもりなんてないし、恩着せがましく何とかしてあげよう、なんて思ってる訳でもない。
少し、気になっただけだ。それにできることなら、みんなに頼らなくても、何とか自分だけでしたいという思いもある。
「大丈夫だよ、コヤケ。一人でやろうとしないで。僕もついてるからさ」
「う、うん。ありがとう、ユウヤくん」
と思っていたけど、ユウヤくんは手伝ってくれるみたいだった。
一人でできる、なんて思ってはいたけど。少し心細いこともあったから、正直なところ、彼の言葉は嬉しかった。しっかりしなきゃ、なんて思ってるのに、やっぱりわたし、まだまだなのかなぁ。
ユウヤくんも一度ウチに来てくれることになった。今日はこの後はもう講義もなかったので、わたしの家であーちゃんを確認して、その後は一緒に晩御飯を食べに行こう、と。ユウヤくんとのご飯も久しぶりだったから、わたしはうんと返事した。
そうして帰ってきたのは、久しぶりの我が家。一日半くらいランちゃんの家に泊まってただけなのに、何だか凄い懐かしい感じがする。
玄関の自動ドアを暗証番号を打って解除し、一階にある自分の部屋の前まできた。鍵を使ってオートロックを外し、ゆっくりと中に入る。
この前のこともあって、内心では戦々恐々としていたけど。ユウヤくんが手を握ってくれていたので、わたしも頑張ることができた。
あとは関係ないかもしれないけど、さっき窓が開いたような音がした気がした。
入った玄関先は、前と何も変わっていなかった。ランちゃんがお泊りに来てくれて、二人で怖い思いをした時のまま。
台所の流しには空き缶と、食べた後に洗うこともしないままに放置してきたお皿やお箸が残っている。ユウヤくんにちょっと汚いとこ見せちゃったかな、なんて考える余裕もあった。
「うん、何にもないね。じゃ、行こっか。そのあーちゃんは、居間にあるんだっけ?」
「ううん。あーちゃんは寝室のベッドの近くに転がってた筈で」
ユウヤくんと手を繋いだまま一緒に中へと進み、居間の扉を開ける。
「っ!?」
「なァッ!?」
わたしの心臓がビクンっと跳ねた。扉を開けた先、正確に言えば居間の向こう側にある寝室に、わたし達の目を疑うような光景が広がっていたからだ。
寝室にぶちまけられた、セミの死骸。確かにもう夏も終わり始めていて、セミがそこかしこで死んでいるのを見かける。
自然豊かなグリーンキャンパスを謳っている大学の学内であれ、山に近い道路であれ。特に気にするようなことでもなかった。
しかし今、目の前の光景は気にせずにはいられない。どうしてわたしの寝室で、こんなに大量のセミが死んでいるのか。床に、ベッドに、机に、本棚に、セミの死骸が転がっている。そして。
「な、なんなんだよ、これ?」
「あー、ちゃん?」
ユウヤくんが言葉を漏らしている中、わたしの視線は一点に集中していた。床の一部のセミの死骸が転がっていない空間にちょこんとお座りしている、あの人形。無機質な笑顔を扉を開けたわたし達に向けている彼女、あーちゃんだ。
彼女は何も語らない。語らないまま、溢れているセミの死骸の中からわたしを見ている。何かを訴えかけているかのように。
なん、で? なんで、こんな、酷いことを? わたし、一体、どうしたら? これも、あーちゃんが、やったの? あーちゃんは、わたしに、一体どうしろって。
「ッ! コヤケッ!」
「っ!? ゆ、ユウヤ、くん?」
目まいがしていたわたしは、気が付くとユウヤくんに抱きしめられていた。彼の体温を身体中で感じて、飛びそうになっていた意識が戻ってくる。
彼の胸の中に抱きしめられたわたしの視界には、彼が着ているTシャツしか入ってこない。あーちゃんも、セミの死骸も、何も見えなかった。
「これ以上見ちゃいけない。一度締めるよ、いいね?」
「あっ、えっ?」
ユウヤくんはわたしを抱きしめたまま、ピシャリと扉を閉めた。その場にわたしを座らせて、すっと身体を離す。
「コヤケ。無理に喋らなくても良いから、はいかいいえだけを教えて。あの床に置いてあった人形が、あーちゃんなんだね?」
「へ? う、うん」
ペタンっと床に女の子座りをしたわたしを真っすぐ見つめたまま、ユウヤくんが質問してくる。
「解った。僕は今からあの部屋を掃除して、そしてあのあーちゃんを捨ててくる。コヤケは何も気にしなくても良いよ。全部、僕がやるから」
「あっ。えっ?」
「ゴミ袋は何処にあるかな? あの台所の下のとことか?」
「う、うん」
「ありがと。扉を開ける時は向こうを向いててね。もうこれ以上、あんなものを見ちゃ駄目だ」
呆けているわたしを余所に、テキパキと行動を始めるユウヤくん。ゴミ袋を取り出して扉を開け、中に入るとすぐに閉めた。
ガサガサとゴミ袋に詰め込んでいく音が聞こえてくる。何かが砕ける音もしたので、もしかしたら抜け殻なんかも混ざっていたのかもしれない。
「こんなもんが、コヤケをッ!」
途中で、ユウヤくんのそんな声が聞こえた気がした。
一度も聞いたことないような、怒気を含んだ低い声。わたしは小さく身体を揺らした。ユウヤくんが、怒ってる。
「終わったよコヤケ。捨ててくるね。向こうを向いててよ? これ、結構気持ち悪いからさ」
少しして。ユウヤくんはそう言いながら扉を開けた。わたしはあわててそっぽを向いて、彼が持っている筈のゴミ袋を見ないように努める。
一度壁に当たったらしいゴミ袋のガサっとした音が聞こえたけど、それ以上は何もないままに、彼はそのゴミ袋を外へと持ち出していった。
「ゴミ捨て場に行ったらまた戻ってくるね。すぐ下だから何もないと思うけど。もし怖かったら一緒に行く?」
「あっ。う、ううん。待って、る」
「解った。少し待っててね」
玄関を閉めようとした彼の方を、わたしは思わず向いてしまった。閉まりゆく扉の影には、大量のセミの死骸が入った袋が見える。
その中に、セミの合間に無理やり突っ込まれたと思われる、人形の彼女の姿も。
「あー、ちゃん」
完全に扉が閉まり、何も見えなくなった。ユウヤくんの足音が遠ざかっていくのが聞こえて、彼と一緒にあーちゃんも行ってしまったことを実感する。
最後に隙間から見えた彼女の顔は、いつもの無機質な笑みであった。
「ごめん、ね」
わたしの口から出たのは、謝罪の言葉だった。彼女について何も知らないままに捨ててしまったことに対してか。それとも結局は自分で何も出来ないまま、ユウヤくんに全部やってもらってしまったことに対してなのか。あるいはその両方か。
申し訳ないという気持ちの一方で、怖かった、気持ち悪かった、嫌だったということがなくなり、安堵感が出てきたことも事実だ。良かった、って。
少しして帰ってきたのは、わたしを見て微笑んでくれる大切な人、ユウヤくん。何故か酷く嬉しくなってしまったわたしは、彼の胸の中に飛び込んだ。
彼は驚きつつも、わたしを受け止めてくれる。胸の中から彼を見上げながら、精一杯の笑顔で彼にお礼を言った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
彼に飛び込んだくらいからいつの間にか、わたしはあーちゃんのことを忘れ始めていた。それよりも何よりも、わたしの為に頑張ってくれた彼に、甘えていたい。
まだまだ弱い、わたしだった。
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